前田製菓
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前田製菓株式会社(まえだせいか)は、大阪府堺市堺区に本社を置く、クラッカー・ビスケットを専門とする製菓会社である。1918年(大正7年)創業。
概要
1918年(大正7年)の創業から今日まで、クラッカーやビスケットなどの菓子を製造している。現在は主にスーパーの他、駄菓子店・駄菓子コーナーや100円ショップ、一部の生協などで販売されている。
1962年(昭和37年)から1968年(昭和43年)までテレビ放映され、人気を博したコメディ時代劇『てなもんや三度笠』(朝日放送制作・TBS系列放送)のスポンサーとしても知られる。主力商品の「ランチクラッカー」は、『てなもんや…』主演の藤田まこと[1]が番組のオープニングで“俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!”というフレーズを発しながらカメラに差し出すコマーシャルで人気商品となった。同番組のエンディングでは、子供役の白木みのると父親役の原哲男が商品を紹介するコントもあった。現在は、テレビ・ラジオでの宣伝活動はおこなっていない(ただし「あたり前田のクラッカー」というフレーズは、現在も商品のパッケージや会社のウェブサイト[2]などで使用されている)。
なお、製菓会社には、大阪府藤井寺市に本社を置き「乳ボーロ」で知られる大阪前田製菓、大阪市港区に本社を置き「チューペット」で知られる前田産業、「メジャー松井秀喜サブレ」(旧「ゴジラ松井サブレ」)で有名な石川県能美市の前田製菓が存在するが、いずれも無関係である。
沿革
- 1918年(大正7年)5月:大阪府堺市で前田西洋菓子製造所として創業
- 1926年(大正15年)9月:ビスケット工場を堺市内に設置
- 1931年(昭和6年)12月:合名会社 前田本店製菓所に組織変更
- 1946年(昭和21年)2月:農林省(現・農林水産省)の携帯乾パンの製造を開始
- 1955年(昭和30年)3月:ランチクラッカー発売開始
- 1957年(昭和32年)10月:株式会社に改組し、前田製菓株式会社に組織変更
- 1962年(昭和37年)5月:テレビ番組『てなもんや三度笠』放送開始
- 1964年(昭和39年)1月:宇都宮工場を建設
- 1966年(昭和41年)7月:販売部門を独立し、前田クラッカー株式会社を設立
事業所
関連会社
- 前田クラッカー株式会社:販売部門が独立した会社
主な商品
- 前田のクラッカー
- 前田のランチクラッカー クラックス(以前は、コイン状に固めた粉末のコンソメスープが付いていた)
- オーツ麦クラッカー
- 野菜クラッカー サプ
- 黒ごまソフトクラッカー
- アーモンドソフトクラッカー
- 五穀たっぷりクラッカー
- 沖縄産黒砂糖のクラッカー
- クリームチーズクラッカー
- ブラックペッパークラッカー
- のりセサミ
- 前田のクリケット
- リサーチシリーズ
以前の商品
- 乾パン
- バタークラッカー
- 前田ビーベットビスケット (卵味とチョコ味の2つを同梱)
- セサミハイチ
- ひじきスナック
- しらすスナック
流行語
当たり前田のクラッカー
脚注
- ↑ 2010年(平成22年)2月17日に、藤田の訃報が発表された際には、同社の知名度の向上に貢献した人物が、泉下の人となったことで、同社のウェブサイトにて弔辞を発表している。
- ↑ 前田製菓の取得ドメインは、これに因んだ"atarimaeda.com"である。
- ↑ 「昔の流行語」のランキング一位