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大友 貞親(おおとも さだちか、1246年(寛元4年) - 1311年9月2日(応長元年7月19日))は、鎌倉時代中・後期の武将。大友氏の第5代当主。父は第3代当主大友頼康(または第4代当主大友親時)。母は戸次時親(頼康の弟・重秀の子)の娘。「貞」字は幕府の執権・北条貞時から賜ったものと思われる。
永仁3年(1295年)、兄(または父)である第4代当主・大友親時が死去したため、父(または祖父)の命を受けて後を継いだ。嘉元3年(1305年)、得宗の北条貞時の命を受けて翌年、豊後に万寿寺を建立している。応長元年(1311年)に66歳で死去し、後を弟の大友貞宗が継いだ。法号は正温。
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