レオ1世 (ローマ教皇)
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レオ1世(Papa Leo I、390年 - 461年11月10日)は、ローマ教皇(在位:440年 - 461年)。大教皇。カトリック教会、正教会、聖公会などで聖人。正教会ではロマの「パパ」聖レオと呼ばれる[1]。
プロフィール
390年、ピサ近郊で生まれた。若い頃の経歴はあまり詳しく分かっていない。ただ、史書によれば聡明かつ雄弁な人物で、440年に教皇として即位した後は地方教会の改革や教皇権の強化などに務めた。教義論争でも異端説を弾圧し、正統論を確立した。
またローマの世俗上の行政における功績もよく知られる。この頃のイタリアではフン族の首長・アッティラが侵攻してきていたが、レオ1世はアッティラと会見して平和的解決を図った。その結果、452年にアッティラはローマから撤退している。また、455年にヴァンダル族の王ガイセリックの軍勢がローマに侵攻してきたときも、その責任者と会見することで虐殺やローマの破壊をしないよう要請し、平和的な解決に努めている。また、この教皇は、副助祭に至るまで、聖職者のあらゆる結婚を禁じた[2]。 461年、72歳で死去した。
レオ1世が即位した頃の欧州では、ゲルマン民族の大移動による紛争時代であったが、レオ1世は常に平和的な解決を図り、武力による解決を好まなかった。このため、レオ1世は「大教皇」と称されている。 テンプレート:Sister テンプレート:ローマ教皇
脚注
- ↑ 『正教改暦 2008年』日本ハリストス正教会教団発行
- ↑ 神山四郎訳、ヨゼフ・ロルツ『教会史』ドン・ボスコ社、1956年、p.110