龍寶寺
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龍寳寺(りゅうほうじ)は、神奈川県鎌倉市植木にある曹洞宗の寺。山号は陽谷山(ようこくざん)。本尊は釈迦如来像、開基は北条綱成、開山は泰絮宗栄禅師である。
歴史
文亀3年(1503年)、2代目玉縄城主・北条綱成が玉縄城の東北、山居(現在の栄光学園周辺にあたる)に開基し、寺地を寄付して「香花院」とし、泰絮宗榮大和尚をもって開山した。なお、綱成の戒名が「瑞光院殿実州宗心大居士」だったため、寺も「瑞光院」と呼ばれた。
天正3(1575年)、4代目城主北条氏勝が3代目城主・北条氏繁を弔うため現在の地に移し、氏繁の戒名(龍寶寺殿応栄公大居士)から寺名を「龍寳寺」と改めて建立した。その当時は玉縄北条氏の菩堤寺として栄えた。
後年新井白石が付近の城廻に家禄を得ると、白石は龍宝寺に200石を献上した。また朝鮮通信使の宿舎として使われた事もある。
明治10年(1882年)1月に貞宗寺境内より玉縄学校(現在の鎌倉市立玉繩小学校)が移転し、その後昭和12年(1937年)8月に現在地(玉縄1丁目)へ移転するまで50年近く山門内に置かれた。
昭和23年(1948年)4月8日、宗教法人龍寳寺(曹洞宗)玉縄幼稚園創立。
昭和26年(1951年)、火災により山門・鐘楼以外を全焼したが、昭和34年(1959年)に再建した。
伽藍
- 山門
- 山門は木造茅葺で元禄年間頃の創建と伝わる。なお山門を入って左側には同寺が運営する玉縄幼稚園が、右側には玉縄民俗資料館がたつ。
- 本堂
- 昭和26年の火災により全焼したが、昭和34年に大岡実の設計で再建される。
- 欄間には五百羅漢像が彫られ、本堂内には本尊の釈迦如来坐像や脇侍の文殊菩薩・普賢菩薩が安置されている他、源実朝や後北条時代の歴代玉縄城主の位牌も祀られている。
- 参道
- 御影石を敷いた参道で山門より本堂までを結ぶ。なお御影石は廃止された都電の軌道にあったものを転用している。
史跡
- 旧石井家住宅
- 元禄期に建てられた農家を移築したもので国の重要文化財に指定されている。石井家はもともと後北条氏に属した地侍で、後北条氏滅亡後帰農し、関谷村の名主を代々務めたと伝わる。
- 朝散大夫新井源公碑銘
- 享保10年(1725年)に室鳩巣が撰した碑。新井白石に関する碑だが、風雨により磨耗しており銘文は判読できない。
そのほか築造物
- 玉縄民俗資料館
- 旧石井家住宅に隣接して建つ。旧石井家や周辺の旧家に残されていた家具や農具を集め展示している。また玉縄城に関する遺物や資料、縄文時代の遺物、地元の歴史資料も展示されている。国重文古民家(旧石井家)とともに整備され、2011年1月より「玉縄ふるさと館」としてリニューアルオープン。
交通アクセス
- 神奈川県道402号阿久和鎌倉線沿い
- JR大船駅より徒歩20分
参考文献
- 『鎌倉の寺 小事典』(かまくら春秋社)