ヴァドヴィツェ

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ヴァドヴィツェWadowice, ドイツ語:Wadowitz)は、ポーランド中南部、現在はマウォポルスカ県西端のヴァドヴィツェ郡に位置する町。シロンスク高原上、スカワ川ヴィスワ川の支流)流域にある。古都クラクフからは50km離れている。ヴァドヴィツェ郡の行政中心地であり、クラクフとチェシン(Cieszyn)を結ぶ国際道路沿いに位置する。

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の出生地として知られる。

歴史

ヴァドヴィツェについての最も古い記述は1327年のものである。オシフィエンチム公ヤン1世スホラスティクボヘミアヨハンに送った封土台帳にWadowiczの綴りで書かれている。

1430年に大火災によって町は一旦焼滅したものの復興し、オシフィエンチム公カジミェシュ1世により、市町の特権を与えられた。1482年ザトル公ヴワディスワフによって彼の死(1489年)までヴァドヴィツェ公国の首都となる。

16世紀には、家内工業と商業の中心地であった。この時期に特筆すべき出身者にマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)がいる。彼は、クラクフのヤギェウォ大学神学者哲学者助祭であり、またヴァドヴィツェに病院と初等教育学校を設立した。

1819年オーストリア帝国に併合されたヴァドヴィツェの地域は広がり、3380平方キロメートルに亘り、10の町、2の市場の集落、340の村を抱え、人口は35万人を数えた。初代予備軍隊長ルドヴィク・ド・セルト(Ludwik de Sertes)の頃には、ヴァドヴィツェの町には2,500人の人口があった。

1867年から1975年までヴァドヴィツェのコミュニティーの管理の所在地であった。

出身者

上述したマルチン・ヴァドヴィタ(Marcin Wadwita)、のちにローマ教皇ヨハネ・パウロ2世となったカロル・ヴォイティワ、そして、ゴドウィン・ブルモフスキ(Godwin Brumowski)が知られている。

ブルモフスキはオーストリアのパイロットであり、オーストリア=ハンガリー帝国軍の戦闘機のエースパイロットとして第一次世界大戦中に活躍した。

哲学者のエーミール・ラスクも知られている。

外部リンク

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