東京大学検見川総合運動場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年3月8日 (土) 01:22時点におけるSeseraginen (トーク)による版
東京大学検見川総合運動場(とうきょうだいがくけみがわそうごううんどうじょう)は、千葉県千葉市花見川区の花園町・朝日ケ丘町・畑町に跨る東京大学の総合運動場。運動場の他、農学生命科学研究科附属緑地植物実験所、薬学系研究科附属薬用植物園が隣接している。
設備
- サッカーグラウンド5面(ただしこのうち1面は陸上競技施設と併用)
- 陸上競技施設
- 野球場
- アメリカンフットボール場
- ホッケー場
- ラグビー場
- テニスコート8面
- クロスカントリーコース
- 体育館
- セミナーハウス
他
所在地
- 検見川総合運動場
- 千葉市花見川区花園町1035
- (花園小学校隣)
- 緑地植物実験所:千葉市花見川区畑町1051
- 薬用植物園:千葉市花見川区畑町1479
アクセス
歴史
- 戦前は東京大学検見川厚生農場だった。
- 戦中から戦後にかけ燃料不足を補うため東京都は、東京大学検見川厚生農場の一部を借り受け草炭を採掘していたが、1947年(昭和22年)7月28日に採掘現場で縄文時代の丸木舟が掘り出され、その後1951年(昭和26年)3月には、今から2000年前(弥生時代後期)のハスの実3粒が発掘された。3粒のハスの実のうちの1粒が植物学者の大賀一郎博士によって発芽に成功、翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせ大賀ハスと名づけられた。
- 1964年東京オリンピックでは近代五種のうちクロスカントリーのコースとして使用された。
- サッカー日本代表の合宿地として有名で、福島県のJ-ヴィレッジが整備されるまでは検見川グラウンドが日本代表の定宿であった。
- 1968年のメキシコオリンピック開催前にサッカー日本代表は検見川で合宿をし、FW の釜本邦茂、MF の杉山隆一、八重樫、松本育夫など日本サッカー史上に残る名選手が集った。名コーチのデットマール・クラマーに鍛えられた日本代表は銅メダルを獲得するなど縁起の良い場所となった。
売却問題
- 東京大学は、法人化に伴い財政難に陥っており、大賀ハスの生育されている施設を含めた、同運動場の売却を検討している。これに対し、千葉市民らが、大賀ハスが千葉市の市花となっており、シンボルキャラクターともなっていることなどを考慮し、存続を求めている[1]。
脚注
- 元の位置に戻る ↑ 大賀ハス:ゆかりの研修施設 東大が売却検討 千葉 毎日新聞 2012年1月4日