クイーン・エリザベス2

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クイーン・エリザベス2(クイーンエリザベス ツー、RMS Queen Elizabeth 2もしくはQE2)は、キュナード・ライン社が保有するクルーズ客船で、20世紀後半を代表する客船である。

概要

名前は、イギリス女王エリザベス2世ではなく、先代の「クイーン・エリザベス」の後継であることにちなむ。そのため、名称が(Two)であってII(The Second)ではないとする説が有力である。しかし、1967年9月29日のジョン・ブラウン造船所の進水式において、臨席したエリザベス女王は"I name this ship Queen Elizabeth the Second. May God bless her and all who sail in her."と宣言し、それがBBCにより放送された[1]。 。船名の前に冠するRMSとは郵便物の輸送に用いられる船につけられるRoyal Mail Shipの略称であり、これを冠することは名誉なこととされる。

1969年に就航したが、1950年代後半の大西洋横断路線へのボーイング707ダグラスDC-8などの大型ジェット旅客機の就航を受けて、「クイーン・メリー」をはじめとする北大西洋定期横断航路の乗客が急激に減り、採算性が低下していたことを受けて、「クイーン・メリー」よりも小さいサイズで作られ、さらにパナマ運河の通過も考慮され32メートルと幅も細くされた。

しかし、本船の就役に先立ち1967年には先代の「クイーン・メリー」(81,237総t)が、1968年には先代の「クイーン・エリザベス」(83,673総t)が退役していたため、就役時の総トン数69,053tはフランスのジェネラル・トランスアトランティック社「フランス」(1962年就役、66,343総t)を抜いて世界最大の客船で、2004年に「クイーン・メリー2」が就役するまではキュナード・ライン社のフラグシップであった。

主に北大西洋定期横断航路に使用されたが、1970年代に入って同航路が定期横断航路として衰退したことを受けてしばしば世界一周クルーズを行ない、日本にも1975年3月5日神戸港ポートターミナルQ2バースへの初入港以来、何度か寄航している。

1982年に勃発したフォークランド紛争時にはイギリス海軍に徴用され、同海軍の輸送艦として使用された経験もある。その際にはイギリスを代表する客船ということもあり、アルゼンチン軍の攻撃によりもし撃沈された際には、国家の威信を傷つけ、イギリス軍の戦意喪失にもつながりかねないことから、あえて戦闘地域には近づかなかった。この際に内外装が大きく傷んだことから、その後改修を受けている[2]

1987年には動力をすべて蒸気タービンからディーゼル電気推進に換装する大改装を受けた。この際キャビンの増設工事も施工され、総トン数は7万tを超えた。

数少ない遠洋航海の客船の生き残りで、パナマ運河を通過するため全幅32mと細長い船形であり、優美と表現されることもある。そのため、クルーズ船として使う場合は若干不便な面がある。度重なる改装によって船内が雑然としており、老朽化から来る不具合も散見される。遠洋航路時代の伝統から、サービスはモノクラスが基本なクルーズ船にあって、部屋の等級によって利用できるレストランが違うのがサービス面の特徴で、そのため『ベルリッツ・クルーズガイド』では複数のレーティングを保持している。

2008年に客船としては退役し、アラブ首長国連邦ドバイで海上ホテルとして使用されるために、「クイーン・メリー2」を従えた引退航海の後に、ドバイまで回航され係留された。しかし計画は予定通りには進まず、2012年には計画中止の上、売却解体の方針が報じられた。その後、2013年1月には、シンガポールの投資会社が現在の所有者からリースの上、アジア地域で海上ホテルとして活用する計画と報道されたが、新たな係留先などは未定である[3]

キュナード・ラインの親会社・カーニバルは、2007年10月10日の記者会見で、新たに建造するクルーズ客船に、次代の「クイーンエリザベス」と命名すると発表した。新「クイーン・エリザベス」は「クイーン・メリー2」の同級船ではなく、「クイーン・ヴィクトリア」の準姉妹船として建造され、2010年に就航した。

技術面

ファイル:21-QE2 Re-engine.jpg
エンジン換装中にQE2'の原型のファンネルを外した

進水後、QE2は蒸気タービンと3機のFoster Wheeler E.S.D IIボイラーを搭載していたが、交換することになった。Brown-Pametrada社製のタービンは最大出力110,000馬力(通常出力は94,000hp) 2機6葉の固定ピッチスクリューを駆動していた。

蒸気パワープラントは24時間で600tの重油を消費する効率悪いものであった上、度々故障し船が漂流してしまうなど問題を抱えていた。さらにボイラーやタービンの修理用部品の入手も困難になりつつあった。就航後17年にして、キュナード社は新造するか効率の良いディーゼルに換装するかの選択を迫られた。設計から建造まで造船所で数年待たされる新造船の建造よりも、6ヶ月の期間で運航に復帰し、さらに20年間運航を延長できて安上がりな後者が選択された。

1986年から1987年にかけて、改修工事が実施された。古いパワープラントは撤去・解体され、ドイツMAN社のL58/64・9気筒中速ディーゼル機関9機に換装、砕氷船しらせと同じ推進方法であるディーゼル電気推進を搭載した。それぞれの発電機は10.5MW出力で10,000ボルトである。この発電プラントは変圧器を介してホテルサービスと2機の推進モーターを駆動する。これらのモーターは、44MW出力の同期式で、スクリュー・プロペラは直径9m、重量400tである。巡航速度は28.5kt(52.8km/h)で、7機のディーゼル発電機を使用する。新型の機関の最大出力は130,000hpで、以前の110,000hpより大幅に向上した。燃料消費は以前と同じIBF-380('C'重油)を使用しつつ、35%節約することに成功した。ファンネルは9機のB&Wディーゼルエンジンの排気管を通すため、より幅広の物に交換された。

同様に固定ピッチスクリューは可変ピッチ式に交換された。古い蒸気タービンでは前進と停止だけだったが、新しい可変ピッチブレードによって同じ回転方向でも後進する事ができるため短距離で停船でき、操船性が大幅に向上した。

新しいスクリューにはグリムホイールが装備された。これはスクリューの後ろで空回りすることで渦流を推進力に換え、燃料消費率を2.5から3%向上する事を企図されていたが、試験運航後ドライドックに入渠した時に、羽根が破損している事が発見され、ホイールは外された[4]

エピソード

ファイル:QE2colour.jpg
フォークランド紛争時に軍の輸送船として徴用され塗装を変えられたクイーン・エリザベス2

本船は就役当初から世界有数の高速客船であった。就航当初の機関は重油燃焼缶3基・蒸気タービン2基で11万馬力の出力を発揮し、軸単位で言えばアメリカ海軍の通常推進型空母に匹敵する高性能であり、当初は機関故障に悩まされた。1974年4月には缶の故障で航海中に漂流する事態に陥り、他社のクルーズ客船の救援を受けた[5]

フォークランド紛争時にイギリス海軍に徴用されたことは前記したが、その際の傭船料は一日22万5千ドルであった。収容した兵士の数は3,500名余りであった。フォークランド諸島への兵士の上陸はP&O社の「キャンベラ」に一旦移乗させ同船からの上陸という形をとった。

蒸気タービン機関の航海速力28.5ノット時の一日の燃料消費は520tに及び、1973年オイルショック以後は採算を取るのが困難となっていた。機関自体も老朽化も進み保守管理費用の増大も懸念されたことから、機関全体を換装させる大工事が決定された。工事はドイツのロイド・ヴェルフト社で施工され、期間は6か月を要し、費用は約1億ポンドに達した。機関換装後は28.5ノット航海時の燃料消費量が一日380tへと削減された。なお、この速度では搭載されたディーゼル発電機9基中7基の運転で十分であり、航海中でも常時2基以上の発電機を停止してメンテナンスを行っている。工事終了後の全力運転試験では33ノット以上の速力を発揮したといわれている。この大規模改装時に交換した青銅スクリューからゴルフクラブが製造され、限定販売された。

1973年5月には本船に対しての爆破予告と身代金35万ドルを要求する脅迫事件が発生し大西洋を航行中の本船にイギリス軍特殊部隊の隊員等が[6]洋上降下で乗り組んで捜索活動を行う事態となった。結局、爆破予告は虚言で身代金も奪われることはなく、後にFBIに逮捕された犯人は懲役20年に処せられている[7]

機関換装後の最初のクルーズではまたしても機関絡みのトラブルが発生したが、今回は故障ではなくディーゼル発電機の調整不良のため生じた煤煙によるものであった。乗客の衣服を汚しクリーニング代金の負担や乗船料金の一部返還などに至った。

2000年7月4日20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するためニューヨーク港に入港する際、係留されていた海上自衛隊練習艦かしま」に接触する事故を起こした。双方に大きな被害はなかったが、本船乗組員は謝罪のため「かしま」を訪れた。その際「かしま」艦長の上田勝恵一等海佐(当時)は「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下のキスを賜り光栄に思っております」とコメントを返した。このことは『タイムズ』や『イブニング・スタンダード』でも報道された。

日本における反響

QE2は日本のメディアでは21世紀に入っても「世界最大の客船」と紹介されることが多かったが、実際に総トン数で世界最大だったのは就役時から1980年までで、同年客船「フランス」を改装したクルーズ客船「ノルウェー」(7万0202総トン)が再就役して世界最大客船の座を奪っている。その後QE2は1987年のエンジン換装と同時に施されたキャビン増設で一時的に世界最大の座に返り咲いたが、1988年にはロイヤル・カリビアン・クルーズラインの新造クルーズ客船「ソブリン・オブ・ザ・シーズ」(7万3192総トン)が就役し、その後はクルーズ客船の際限のない巨大化に伴い順位を落としている。2007年時点での総トン数ランキングでは100位前後となっていた。

それにも関わらず、日本のメディアによるQE2の扱いは客船の中でも別格だった。日本では「現英国女王の名を冠した」という実際の命名経緯とは異なる認識があるためとも、昔日の「豪華客船」を彷彿とさせるイメージがあるためともいわれるが、いずれにしてもその突出した扱いに引きずられてクルーズ客船を一概に「豪華」客船と捉えるメディアの姿勢が日本における大衆クルーズの発展を阻害しているという船舶関係者からの指摘もある。

1989年には、横浜博覧会開催にあわせ、ホテルシップとして約2か月間横浜港 大さん橋に停泊した。また同年、日本テレビ系の演芸バラエティ番組『笑点』の「大喜利」コーナーで、座布団10枚の豪華賞品に本船のクルージングが採用された。

現役最後の世界一周クルーズでは、2008年3月19日に日本で唯一の寄港地となった大阪港 天保山岸壁に入港した。

ギャラリー

脚注

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  1. 「QE2」船名考  山田廸生 世界の艦船267号(1979/4)
  2. 紛争直後に日本に寄港した際は、通常見られる白+黒ではなく、白+灰色の若干の低視認性を図った塗装であった。
  3. 世界の艦船776号(2013/2)
  4. テンプレート:Cite web
  5. この救援におもむいたクルーズ客船「シー・ヴェンチャー」は後にプリンセス・クルージズに買収され「パシフィック・プリンセス」(カリブ海クルーズを爆発的に普及させたテレビドラマ『ラブ・ボート』の撮影舞台となった船)と改名された。
  6. テンプレート:Cite book
  7. テンプレート:Cite book

関連項目

外部リンク

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