高橋まこと
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テンプレート:Infobox Musician 高橋 まこと(たかはし まこと、1954年1月6日 -)は日本のミュージシャン。本名、高橋 信(読み方同じ)。
福島県福島市出身。福島県立福島高等学校出身。日本のロックバンド、BOØWYのドラマーとして知られる。身長170cm、体重61㎏。 血液型はA型。
略歴
アマチュア時代数多くのバンドに参加した後、上京。長沢ヒロ率いるヒーローに参加するも諸事情によりメジャーデビューアルバムの録音が終わった時点で脱退。音源はそのまま発売されたが、ジャケット写真は後任の伊藤真視(現・1960)が写っている。知人に誘われて偶然見た新宿LOFTでの暴威のライブ(この時が暴威としての初ライブ)の後、ドラムを募集していることを知りオーディションに参加し、その後加入した。1987年、BOØWYが解散発表するとほぼ同時期に元ALLERGYのボーカリスト宙也を中心として結成されていたDe-LAXに参加。De-LAX解散後はソロアルバム「楽しき人生」を発表した後、De-LAXのギタリスト榊原秀樹と共にGEENAを結成。その後再結成されたDe-LAXを中心に活動していたが、2013年2月に脱退。また、2006年、TOYOTAの新型車 「AURIS(オーリス)」発売に際して結成された特別バンドTHE AURIS (SUPER) BANDにドラムとして参加。2007年には自叙伝『スネア』を出版。
逸話
- 「ミスター・エイトビート」と異名をとるほど、何十分でもリズムキープをすることが出来る。
- BOØWY時代初期に、布袋寅泰からのアドバイスをきっかけにサングラスを着用し始めた。以来、今日まで自身のトレードマークとして定着している。
- BOØWYのドラマーのオーディションに受かった理由が、曲の出だしのカウントする声が大きかったことだと言われていたが、実際には高橋を加入させる事は他のメンバー間では決定事項であり、オーディションに呼ばれていたのも彼だけだったと言う。他のメンバーにとっては形だけのオーディションが行われたが、そのカウントの声の余りの大きさで松井が笑ってしまい、結局まともなオーディションにならなかった。その後、高橋と他のメンバーは、合宿所での麻雀で親睦を深めたと言う。布袋は麻雀が上手くなかったので、殆ど高橋の後ろで見ていたが、その打ち筋は初心者の布袋の目から見てもとことん男らしかったと証言している。
- BOØWY時代、ツアー先が観光地だと必ず城に登っていた。
- BOØWYの駆け出しの時代、他のメンバーに内緒で、とりあえず車で東京まで帰って来られる額のヘソクリを持っていた。内緒にしておかないとメンバーから「酒を飲もう」「飯を食おう」ということになるため、と雑誌で語っていた。
- BOØWY以前には、アニメソングの作曲やジャニーズ事務所のバックバンドとして有名な長沢ヒロのバンド「HERO」や、RED WARRIORSの木暮武彦のバンド「STRAIGHT」に所属していたこともあり、アマチュアシーンではその名が知られていた。
- BOØWY時代初期、氷室京介の免許更新に同伴して群馬に行った際、当時まだアマチュアだったヤガミトールに焼肉をおごってもらう代わりに、ヤガミの自宅でドラムを2時間叩いてみせたことがある。しかし当時は高橋とヤガミのレベルが違いすぎ、「何故こんな音が出るのか全くわからなかった」という。
作品
アルバム
ソロ
- 楽しき人生(1994年7月20日)
書籍
- スネア(2007年マーブルトロン)ISBN 4123901557
DVD
参加した主なバンド
- ヒーロー
- AUTO-MOD
- BOØWY
- De-LAX
- GEENA
- UZU 和洋BAND。参加メンバーは佐藤三昭、小田島徳旺、加藤芳治、三浦公規、浅野祥、George
- PRISCIILA
- BLUE CADILLAC ORCHESTRA
- DAMNDOG
- ドラマーズ 参加メンバーは元JUN SKY WALKER(S)の小林雅之、元THE BLUE HEARTSの梶原徹也、元PRINCESS PRINCESSの富田京子、元RCサクセションの新井田耕造など
- THE AURIS (SUPER) BAND
外部リンク
- TAKAHASHIMAKOTO.COM(公式サイト)
- ATOMIC*DRUM(公式サイト)
- 高橋まことのぼちぼちblog(本人のブログ)
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