デットマール・クラマー
テンプレート:サッカー選手 デットマール・クラマー(Dettmar Cramer、1925年4月4日 - )はドイツ・ドルトムント出身のサッカー指導者である。名前はデトマール・クラマーと表記されることもある。
日本においては、日本代表の基礎を作った事から「日本サッカーの父」と呼ばれる[1]。
来歴
ドイツの複数クラブで選手としてプレーしたが、怪我のために引退し、指導者の道へ進んだ。西ドイツユース代表監督を務めた時期にはフランツ・ベッケンバウアーをユース代表に抜擢し、公私両面で指導をおこなっている[2]。
1960年、1964年東京オリンピックを控えた日本代表を指導するため、コーチとして招聘された。日本サッカー協会は代表強化のために外国人コーチを招くことを検討しており、成田十次郎の仲介や、会長である野津謙の決断で実現した人選だった[3][4]。
クラマーは、自ら手本となるプレーを見せて実技指導を行った。初歩的な練習の繰り返しに対しては批判もあったが、方針を変えることはなかった。当時の教え子には釜本邦茂、杉山隆一らがいた[5]。
そして迎えた1964年の東京オリンピックでは、日本代表はアルゼンチンを破るなどの活躍を見せ、ベスト8の快挙を成し遂げた。役目を終えたクラマーは、帰国にあたって5つの提言を残した[6]。 テンプレート:Quotation この提言により、1965年には日本サッカーリーグが発足した。その後も釜本のドイツ留学を実現させるなど、日本のサッカーに貢献。彼の指導を受けた選手・コーチを中心に構成された日本代表はメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した[7]。この試合を観戦していたクラマーは日本代表の活躍を喜んだという[8]。
1975年、クラマーはバイエルン・ミュンヘンを率いてUEFAチャンピオンズカップで優勝した。その際、人生最高の瞬間ではないかと問われたものの、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがない[9]」と答えた。
クラマーは「言葉の魔術師」とも呼ばれ、数々の名言を残している[6]。 テンプレート:Quotation
その一方で口は相当悪かったらしく、コーチと兼任でクラマーの通訳も担当していた岡野俊一郎は度々出るクラマーの罵言雑言を意訳するのに苦労した経験(直訳で伝えると、怒鳴られた選手はショックを受け、その場で泣き出すほど酷かったという)から、会長時代にクラマーと同じく短気で直言癖があるトルシエの通訳を担当する事となったフローラン・ダバディーに「トルシエの汚い言葉は意訳して伝えろ、難しければ訳さなくて良い」と注意していたテンプレート:要出典。
経歴
- 1960年 日本代表コーチとなる。
- 1967年 FIFA公認のコーチとなり、世界各地で指導にあたる。
- 1969年 日本にて「FIFAコーチングスクール」を開講。
- 1975年 バイエルン・ミュンヘンの監督に就任。その後、UEFAチャンピオンズカップを2連覇する。
- バイエル・レバークーゼン、オリンピック韓国代表などの監督も務めた。
- 2005年 日本サッカー協会が制定した表彰制度「日本サッカー殿堂」第1回受賞者になる[1]。
参考文献
- 大住良之・後藤健生『日本サッカーは本当に強くなったのか』中央公論新社、2000年
- 中条一雄『デットマール・クラマー 日本サッカー改革論』ベースボール・マガジン社、2008年
脚注
外部リンク
- デットマール・クラマー - 日本サッカーアーカイブ
- 釜本邦茂オーナーのキオク 釜本邦茂 栄光のサッカー人生動画-クラウンヒルズ京都ゴルフ倶楽部ウェブサイト(来日から東京五輪までのクラマーの方針や指導ぶりとその指導が花開いたメキシコ五輪日本代表の動画を閲覧できる)
テンプレート:日本サッカー殿堂 テンプレート:UEFAチャンピオンズカップ優勝監督
テンプレート:バイエルン・ミュンヘン歴代監督- ↑ 1.0 1.1 2002 FIFAワールドカップ記念 日本サッカーミュージアム:日本サッカー殿堂、日本サッカーミュージアム。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 中条一雄「クラマー取材ノートから(6)」、牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会。
- ↑ 中条一雄「クラマー取材ノートから(7)」、牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会。
- ↑ デットマール・クラマー(中)、賀川サッカーライブラリー。
- ↑ 6.0 6.1 三上孝道「日本サッカーの父 デッドマール・クラマーの言葉」、JOCオリンピックメモリアル、2008年6月12日。
- ↑ デットマール・クラマー(下)、賀川サッカーライブラリー。
- ↑ NHK『その時、歴史が動いた -日本サッカーの父-』
- ↑ クラマーコーチと大和魂 メキシコ五輪日本代表、日本トップリーグ連携機構。