徳川家英
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テンプレート:Ambox-mini 德川 家英(とくがわ いえひで、1912年(明治45年)1月11日 - 1936年(昭和11年)9月28日)は、外交官・徳川家正の長男。母は島津忠義の十女・徳川正子。徳川宗家第16代当主・徳川家達の孫。
東北帝国大学法文学部在学中の1936年(昭和11年)9月28日午前4時半、敗血症のため東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)の日本赤十字社病院で死去[1]。テンプレート:没年齢。未婚のまま死去したため、戦後に家正は外孫の徳川恒孝を養子として迎えている。
脚注
テンプレート:Reflistテンプレート:People-substub- ↑ 『読売新聞』1936年9月29日付夕刊。