惑星ソラリス

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テンプレート:Infobox Film惑星ソラリス』(わくせいソラリス、原題ロシア語Солярисサリャーリス[1]英語:Solaris)は、アンドレイ・タルコフスキーの監督による、1972年の旧ソ連映画である。ポーランドのSF作家、スタニスワフ・レムの小説『ソラリス』(早川書房版での邦題は、『ソラリスの陽のもとに』) を原作としているが、映画自体はレムの原作にはない概念が持ち込まれており、また構成も大きく異なっている。1972年カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞。1978年、第9回星雲賞映画演劇部門賞受賞。

キャスト

  • ハリー:ナタリア・ボンダルチュク
  • クリス・ケルヴィン (心理学者):ドナタス・バニオニス
  • アンリ・バートン (宇宙飛行士):ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
  • サルトリウス (天体生物学者):アナトーリー・ソロニーツィン:
  • ギバリャン (物理学者):ソス・サルキシャン
  • スナウト (サイバネティックス学者):ユーリー・ヤルヴェト
  • ニック・ケルヴィン (クリスの父):ニコライ・グリニコ
  • アンナ (クリスの伯母):タマーラ・オゴロドニコヴァ
  • ギバリャンの客:オーリガ・キズィローヴァ

作中挿入音楽

テーマ曲: ヨハン・ゼバスティアン・バッハ コラール・プレリュード 『イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ』(BWV 639 )
演奏: 電子音楽実験スタジオアンサンブル

ストーリー概説

に覆われた惑星ソラリスを探索中の宇宙ステーション「プロメテウス」との通信が途切れたことから、心理学者のクリスは調査のために派遣される。

「プロメテウス」に到着したクリスが目にしたのは、友人の自殺死体、いないはずの人物の痕跡、そして知性を持つ有機体である海が及ぼす、不可解な現象の数々であった。

どうやら、この不可解な現象は惑星ソラリスを覆いつくすソラリスの海がなんらかの知的活動を行っており、その結果として引き起こされているものである可能性が見出された。はたして人類は「ソラリスの海」との間にコミュニケーションすることができるのか。ソラリスの海は何を考えているのかを人類は理解することができるのか。とんでもなく形而上的な課題がたちあらわれる。

作品をめぐる評価

タルコフスキーの名前を世界に知らしめた記念碑的作品。1972年のカンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けた。

荒廃した宇宙ステーションを舞台に、カットが途切れず延々とカメラが回り続ける独特の映像感覚や、電子音楽で流れるバッハコラール前奏曲(BWV639)の音楽感覚が映画評論家たちに絶賛されている。かねてより水・火などの映像の美しさで知られていたタルコフスキーによる海の描き方は、穏やかでありながら神秘的。また、タルコフスキーが生涯を通じて繰り返し愛用した人体浮遊シーンは、この映画の中でも効果的に用いられている。ストーリーは追いづらく、難解と評されることが多い。タルコフスキー監督は、のちに意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ、と述べている。

ポーランドの巨匠スタニスワフ・レムの『ソラリス』を原作としているが、レムの作品は「枠物語」として利用しているだけで、主題的には1974年の『』にヴァリエーションが見てとれる。

レムの『ソラリス』では、惑星ソラリスの表面全体を覆う「海」が、知性を持つ巨大な存在で、複雑な知的活動を営んでいる。人類はこの「ソラリスの海」を研究し何とか意志疎通を試みようと努めるが、何世紀ものときが経過しても、「海」は謎のままに留まり、人類とのコミュニケ-ションを硬く拒んでいるようにも見える。このような基本設定の上に、「ソラリスの海」上空の軌道に設置された研究用宇宙ステーションに赴任して来た科学者クリス・ケルヴィンが、驚くべき出来事に直面するというところからストーリーが始まる。

タルコフスキーの『惑星ソラリス』は、レムの原作には無い、地球上での情景とエピソードが物語冒頭に置かれているし、レムの作品にはまったく登場しない(厳密には研究者ゲーゼが父に似ており、両者が地球上に墓場を持っていないことが作中語られている)、主人公の父親も出てくる。またタルコフスキーによる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中している。レムが、その「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上の大きなテーマとして、「人間と、意思疎通ができない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語を展開するのとは、はっきりと異なる。

このために、レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起きたことは有名。もともとレムは舌鋒鋭く他作家に対しても非寛容な批評を行ってきたことで知られており、独自のSF観にそぐわない自作の映画化には言いたいことがいくらでもあった。これに対して、芸術至上主義のタルコフスキーは自身の芸術観に身も心も捧げている。激しい口論の末に、レムは最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞を吐いたという。

レムはこの映画について「タルコフスキーが作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っている。タルコフスキーの側は「ロケットだとか、宇宙ステーションの内部のセットを作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別を宣言している。

この後、タルコフスキーは『ストーカー』で再びSF作品を原作に選ぶのだが、レムとの一件に懲りた彼は原作者のストルガツキー兄弟と文通しながら「路傍のピクニック」という短編を基にしてシナリオを作成し、宇宙船もあらゆる機械類も特撮も一切無しという特異なSF映画を作り上げることになる。結局のところ、タルコフスキーはSFによる非日常的なシチュエーションに創作意欲を掻き立てられはするが、SFそのものに興味がある訳ではない。

『惑星ソラリス』と比較されることの多い『2001年宇宙の旅』を公開直後にタルコフスキーは観ているが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしている。また劇中で、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせている。

未来都市の風景として東京の首都高速道路が使われているが、「タルコフスキー日記」によれば、この場面を大阪万博会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可が中々下りず、来日したときには既に万博は閉会。跡地を訪ねたもののイメージどおりの撮影はできず、仕方なしに東京で撮影したとのことである。

日本公開は1977年。かねてから親交のあった黒澤明が紹介に努めたが、SFファンなどからは酷評された。その後、各種の上映会等で徐々にタルコフスキーの理解者が増えていき、現在では名作の誉れが高い。黒澤は後に、熊井啓 の手により映画化された『海は見ていた』(英題:" The sea " watches . )の脚本で、『惑星ソラリス』と同様に、「」の持つ 「限りない優しさ」 を描くことになる。 黒澤とタルコフスキーは、が入ると、ともに『七人の侍』のテーマを合唱するなど、肝胆相照らす仲だった。

短縮版について

日本で発売されたビデオの中には、全編日本語吹き替え(声の出演:木村幌千葉順二寺田路恵ほか)で、オープニングとエンディングではオリジナル版に存在しないケルヴィンのナレーションが流れ、彼の父親とバートン飛行士、そして有名な首都高速の映像を全てカットした(それでいて本編より前のキャスト紹介の字幕では、彼等二人の配役と役者の名前がちゃんと紹介されている)ヴァージョンが存在する。これは、テレビ東京が2時間枠のテレビ放送用に作成したもので、その後ビデオとして販売された。このヴァージョンではその他にも、ソラリス・ステーションでケルヴィンとハリーが彼等の家族が映ったホーム・ムービーを観るシーンや、ケルヴィンが夢の中で母親と再会するシーンなど数多くのシーンがカットされていて、165分のオリジナル版が90分になっている(画面サイズはスタンダード)。

地球シーンがないことなど、実は「映画版」と「小説」が乖離している部分がかなりカットされており、タルコフスキーの世界観を度外視するならば、奇しくもレムによる原作に近い仕上がりになっていると言える。

リメイク

テンプレート:Main 2002年アメリカ映画監督スティーブン・ソダーバーグによりリメイクされた。製作者側によるとこの作品はタルコフスキーの作品のリメイクではなく、あくまでも原作の小説のソダーバーグによる映画化とのことである。 とは言っても、レムの小説よりはタルコフスキーの映画からの影響と思われる要素も多く見られる。実際、DVDの特典に収録されているソダーバーグの脚本には「スタニスワフ・レムの小説および、アンドレイ・タルコフスキーとフリードリッヒ・ゴレンシュタインの脚本に基づく」と書かれている。映画本編のクレジットではレムだけが記載されている。

登場人物名の変更について
クリスの前妻はオリジナルではハリーだが、リメイク版は「レイア」にされている。これはハリーという名前が英語圏では男性名にあたり、英訳版の「ソラリスの陽の下に」ではハリーをアナグラム化して「レイア」という名前になっていることからリメイク版では英語名が優先されている(なお、英語版では「スナウト」も「Snow」に変更されており、かなりの異同がある)。

脚注

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  1. ポーランド語原題で「ソラリス」(Solaris)となるところがロシア語では「ソリャリス」(Солярис(となっているが、これは言語上の単純な対応関係の問題であって深い理由のあってのことではない。ポーランド語の軟子音l」(エル)に対応するロシア語表記が「ль」(エリ)であるため、「Solaris」(ソラリス、ソラーリス)をそのまま転写すると「Солярис」(ソリャリス、ソリャーリス)となるのである。邦題では原作のポーランド語表記に準じている。

参考資料

  • 『惑星ソラリス』 日本海映画株式会社、1978年6月18日
  • 井原和夫 『追悼タルコフスキー』 株式会社日本海、1987年8月4日/1989年3月18日第2刷
  • 河合隼雄中沢新一 『ブッダの夢-河合隼雄と中沢新一の対話』 朝日文庫 ISBN 4-02-264262-9(64-65頁「ロシア宇宙主義」参照)

外部リンク

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