フアン・カルロス・バレロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年10月9日 (水) 15:22時点におけるKurapon117 (トーク)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:サッカー選手 フアン・カルロス・バレロン・サンターナJuan Carlos Valeron Santana, 1975年6月17日 - )は、スペインカナリア諸島ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア出身のサッカー選手セグンダ・ディビシオンラス・パルマス所属。スペイン代表であった。ポジションはMF

経歴

クラブ

初期の経歴

1995年、セグンダ・ディビシオンB(3部)に所属していたUDラス・パルマスからデビューし、1995-96シーズンはデビューシーズンながら27試合に出場した。セグンダ・ディビシオン(2部)に昇格した1996-97シーズンも27試合に出場し、2得点を記録した。1997年夏にはプリメーラ・ディビシオン(1部)のRCDマジョルカに移籍し、8月31日のバレンシアCF戦(2-1)で10分間出場してプリメーラ・ディビシオンデビューした。最上位リーグ初挑戦ながらチームの主軸となり、1997-98シーズンは36試合に出場した。

アトレティコ・マドリード

1998年夏、アトレティコ・マドリードに移籍した。1998-99シーズンにはリーグ戦で5位となってUEFAカップ出場権を獲得し、コパ・デル・レイでは決勝でFCバルセロナに敗れたが準優勝を果たした。1999-2000シーズンも絶対的なレギュラーとしてプレーしたが、シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン降格が決定した。

デポルティーボ・ラ・コルーニャ

2000年夏、デポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。はじめはジャウミーニャとポジションを分け合ったが、次第にレギュラーに定着し、2004年2月に契約延長した[1]。2003-04シーズンはリーグ戦3位・UEFAチャンピオンズリーグでベスト4という好成績を残した。

2006年1月、RCDマジョルカ戦の試合終了2分前に左膝の前十字靭帯を断裂する怪我を負った[2][3]。2006年夏に練習を再開したものの、プレシーズンマッチのSLベンフィカ戦で左膝の半月板を負傷し、さらに完治したはずの靭帯を再び痛めた[4][5][6]。2007年3月、レアル・マドリード戦で復帰するが、左膝は完治しておらず、2度目の手術に踏み切った[4]。長期間にわたりリハビリの日々を経て、2008年1月27日、レアル・バリャドリード戦(3-1)で133日ぶりに招集され、アンドレス・グアルダードとの交代で15分間出場した。2009年1月のレアル・マドリード戦では1098日ぶりにリーグ戦で先発出場した[5]。2008-09シーズンは再びチームの中で重要な役割を担い[7]、国内リーグでも欧州カップでも活躍した[8]

2013年6月、デポルティーボ退団を発表。

ラス・パルマス

2013年7月14日、古巣のUDラス・パルマスに復帰決定。契約は1年間。

代表

1998年11月18日、イタリア戦(2-2)でスペイン代表デビューした。2000年にはUEFA欧州選手権2000に出場し、2002年に日本と韓国で共催された2002 FIFAワールドカップではスロベニア戦(3-1)で得点している。2004年にはUEFA欧州選手権2004に出場し、ロシア戦(1-0)では途中出場してすぐに得点したが、グループリーグ敗退に終わった[9]

人物

その卓越したテクニックからジネディーヌ・ジダンと比較されることがある[10]。人格者として知られ、地元のカナリア諸島やアフリカのガーナのサッカースクールに多額の寄付をしている。スペイン代表ではラウル・ゴンサレスとポジションを争ったが、「僕は控えでもかまわない。僕のせいで人を悪く言ったりしないで欲しい」と公言し、闘争心に欠けるという批判を受けることもあった。ハビエル・イルレタ監督には「もう少しだけ試合に情熱を注げば世界最高の選手になれる」と評された。

ダビド・シルバと同郷である。ふたりは人口7000人ほどのアルギネギンという村の出身で、シルバがプロデビューする前からの知り合いである[4]

兄のミゲル・アンヘル・バレロン( Miguel Ángel Valerón)もミッドフィールダーとしてプレーした元サッカー選手である[11]。彼はUDラス・パルマスRCDマジョルカBなどでプレーしたが、怪我により早期の現役引退を余儀なくされた。

所属クラブ

タイトル

クラブ

代表

個人成績

クラブ

2011年8月1日時点

テンプレート:Football player statistics 1 テンプレート:Football player statistics 2 |- |1994-95||UDラス・パルマスB||テルセーラ||25||7||-||-||-||-||25||7 |- |1995-96||rowspan="2"|UDラス・パルマス||セグンダB||27||0||2||1||-||-||29||1 |- |1996-97||セグンダ||27||2||1||0||-||-||28||2 |- |1997-98||RCDマジョルカ||プリメーラ||36||3||11||1||-||-||47||4 |- |1998-99||rowspan="2"|アトレティコ・マドリード||rowspan="2"|プリメーラ||30||3|||5||0||5||0||40||3 |- |1999-00||35||4||6||0||6||0||47||4 |- |2000-01||rowspan="11"|デポルティーボ||rowspan="11"|プリメーラ||31||4||2||0|||8||0||41||4 |- |2001-02||36||3||4||0||13||3||53||6 |- |2002-03||23||2||1||0||5||0||29||2 |- |2003-04||34||3||1||0||14||3||49||6 |- |2004-05||38||1||1||0||8||0||47||1 |- |2005-06||20||4||3||1||-||-||23||5 |- |2006-07||2||0||1||0||-||-||3||0 |- |2007-08||5||0||0||0||-||-||5||0 |- |2008-09||22||0||2||0||8||0||32||0 |- |2009-10||24||1||3||0||-||-||27||1 |- |2010-11||21||0||5||0||-||-||26||0 テンプレート:Football player statistics 3442||37||42||3||67||6||551||46 テンプレート:Football player statistics 5442||37||42||3||67||6||551||46 テンプレート:Football player statistics end

代表

テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |1998||1||0 |- |1999||6||0 |- |2000||7||0 |- |2001||4||0 |- |2002||9||2 |- |2003||10||1 |- |2004||8||2 |- |2005||1||0 |- !通算||46||5 |}

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:UDラス・パルマスのメンバー

テンプレート:Navboxes
  1. Valerón shows devotion to Depor UEFA.com、2004年2月10日
  2. Valerón suffers injury blow UEFA.com、2006年1月23日
  3. テンプレート:Cite web
  4. 4.0 4.1 4.2 「地獄からの生還」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2008年5月1日号、114-116頁
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
  6. Critical surgery nears for Valerón UEFA.comテンプレート:リンク切れ
  7. Valerón thankful for new lease of life UEFA.com、2009年1月28日
  8. Valerón fires Depor through UEFA.comテンプレート:リンク切れ
  9. Spain 1-0 RussiaBBC Sport、2004年6月12日
  10. テンプレート:Cite web
  11. Miguél Ángel Valerón BDFutbol