ヨアヒム・ラフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年3月7日 (金) 01:03時点におけるGruppetto (トーク)による版 (作風)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox Musician テンプレート:Portal クラシック音楽 ヨーゼフ・ヨアヒム・ラフJoseph Joachim Raff, 1822年5月27日 - 1882年6月24日/25日)は、スイス作曲家ピアニスト

人物・経歴

チューリッヒ湖畔の小さな町テンプレート:仮リンクで生まれた。学校の教師をしながら、日曜コンサートなどに出演していたが、1845年バーゼルにやってきたリストのコンサートを聞き、そのままリストの演奏旅行についてドイツへ行く。ドイツではメンデルスゾーンや生涯の友となったハンス・フォン・ビューロー等と知り合うが、一時スイスへ戻る。

1849年、ラフはヴァイマルのリストの助手として雇われドイツに移った。リストの少なからぬ作品のオーケストレーションを手がけるなどしてその力量を証明したラフは、1851年に歌劇「アルフレート王」を完成させてワイマールで発表する。しかし、この作品は一定の評価を得るも成功とまではいえない程度だった。1856年にリストの元から独立し、ヴィースバーデンに移ったラフは、1857年にピアノと管弦楽のための「春への頌歌」を完成させ、友人のビューローの独奏によって初演される。これが成功し、作曲家としての足がかりを得た。1859年ヴィースバーデンで結婚。この年発表したヴァイオリンとピアノのための6つの小品の中の「カヴァティーナ」が人気となり、

この翌年、交響曲第1番「祖国に寄す」が完成し、ウィーン楽友協会の主催するコンクールで第一位をとる。ラフ41歳の時のことである。作曲家としてはいささか遅咲きであったが、彼はこの後全部で11曲の交響曲をはじめ、室内楽歌劇と膨大な作品を残した。

1877年フランクフルトホッホ音楽院の院長に招かれる。そこで彼はクララ・シューマンを招聘するなど音楽院の水準を著しく向上させたが、そのために作曲の筆はいささか鈍ることとなった。彼の注目すべき作品の多くは1857年からの20年の間に書かれたのである。著名な弟子にはエドワード・マクダウェルなどがいる。1882年に同地で死去した。

作風

代表作としては交響曲第5番「レノーレ」がまずあげられる。リストやヴォルフなど、ロマン派の作曲家たちに度々とりあげられた詩人テンプレート:仮リンクバラードを交響曲にしたものである。また1873年に書いたシンフォニエッタは管楽アンサンブルのための小交響曲として書かれ、グノーリヒャルト・シュトラウスなどに影響を与え、この分野の開拓者としても名を残した。交響曲の第8番から第11番の4部作は春、夏、秋、冬という標題が付けられている。

長い間、その全体像を知ることが難しい忘れられた作曲家であったが、近年、再評価の機運も高まり、マルコ・ポーロ、チューダー、cpo、シャンドスなどから交響曲全集がCD化され、室内楽作品のCD化も進んでいる。

主要作品

交響曲

協奏曲

  • ヴァイオリン協奏曲 第1番 ロ短調 Op.161 (1870-71)
  • ヴァイオリン協奏曲 第2番 イ短調 Op.206 (1877)
  • ピアノ協奏曲 ハ短調 Op.185 (1873)
  • チェロ協奏曲 第1番 ニ短調 Op.193 (1874)
  • チェロ協奏曲 第2番 ト長調 WoO.45 (1876)
  • 組曲(ヴァイオリンと管弦楽のための) Op.180 (1873)
  • 組曲(ピアノと管弦楽のための)変ホ長調 Op.200 (1875)
  • 愛の妖精(ヴァイオリンと管弦楽のための)(La Fée d'amour)Op.67 (1854年)
  • 春への頌歌(ヴァイオリンと管弦楽のための)(Ode au Printemps)Op.76 (1857年)

室内楽

  • 弦楽四重奏曲 第1番 ニ短調 Op.77
  • 弦楽四重奏曲 第2番 イ長調 Op.90
  • 弦楽四重奏曲 第3番 ホ短調 Op.136
  • 弦楽四重奏曲 第4番 イ短調 Op.137
  • 弦楽四重奏曲 第5番 ト長調 Op.138
  • 弦楽四重奏曲 第6番 ハ短調 Op.192-1 "古い様式の組曲"
  • 弦楽四重奏曲 第7番 ニ長調 Op.192-2 "美しい水車小屋の娘"
  • 弦楽四重奏曲 第8番 ハ長調 Op.192-3 "カノンの形式による組曲"
  • ヴァイオリンとピアノのための6つの小品 Op.85 (1859)

参考サイト