交響曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 テンプレート:Portal クラシック音楽 交響曲(こうきょうきょく)は、主に管弦楽によって演奏される多楽章からなる大規模な楽曲。シンフォニー:symphony、:Sinfonie, Symphonie)、シンフォニア:sinfonia)とも呼ばれ「管弦楽のためのソナタ」。

原則として4つ程度の楽章によって構成され、そのうちの少なくとも1つの楽章がソナタ形式であることが定義であるが、特に近現代においては、例外も多い。

なお、交響楽(こうきょうがく)ともいうが、どちらもドイツ留学経験のある森鴎外による訳語である。

歴史

17世紀イタリアオペラ序曲シンフォニアと呼ばれていたが、G.B.サンマルティーニがこの序曲のみを独立させ、演奏会用に演奏したのが起源とされる。また、バロック時代合奏協奏曲(特にコンチェルト・シンフォニア、サンフォニー・コンセルタンテ)も交響曲の成立、発展に影響を与えたとも考えられる。特にスカルラッティによるイタリア式序曲は「急-緩-急」の3部からなり、この3部分が後に楽章として独立することとなる。これはヴィヴァルディペルゴレージに受け継がれ発展し、ガルッピらによってソナタ形式の楽章を持つ楽曲形式として発展していった。さらに、マンハイム楽派シュターミッツカンナビヒによってさまざまな管弦楽手法が研究され、エマヌエル・バッハらによってメヌエットの楽章が付け加えられるなどし、古典派音楽へとつながった。

古典派により交響曲の形式は一応の完成を見た。ハイドンは「交響曲の父」と呼ばれ、軽快で明確な形式を持つ交響曲を(番号のついたもので)104曲残した。同時期にモーツァルト第41番までの交響曲を残しており、後期のものは特に重要であるが、初期のものは父レオポルトの手が入っており、どれだけが独自のものか不明である。

ハイドン、モーツァルトの交響曲形式は、

が標準的なものであった。

ベートーヴェンは、第3楽章に使われていたメヌエットをスケルツォに変え、古典派の交響曲の形式を完成させた。交響曲第5番ハ短調(運命)ではピッコロコントラファゴットトロンボーンの導入により音響の増大を図ると共に、第3楽章と第4楽章を続けて演奏することを指示した。交響曲第6番ヘ長調「田園」においては楽章の数を5つにし、各楽章には場面や内容を表す「標題」が付けられた。これについてベートーヴェンは、単なる風景を描写したものではなく人間の内面を表現したものだと言っており、次第にロマン派的傾向を強めていったことがわかる。最後の交響曲第9番では、終楽章で独唱と合唱、そして複数の打楽器を新たに取り入れ、さらに緩徐楽章とスケルツォの順番を逆にするなどの斬新な手法で、古典派における交響曲の頂点に達した。

ロマン派の時代には、交響曲が人間の内面を表現する手段となる。ドイツ系の作曲家であるシューベルトシューマンメンデルスゾーンの交響曲は、ベートーヴェンの影響が大きく形式上の大きな発展は見られなかった。一方ベルリオーズは「幻想交響曲」において巨大なオーケストラを想定したり、固定楽想(フィクス・イデー)を導入するなど、ロマン派における交響曲の大規模化の発端をつくった。これに対しブラームスは、厳格なソナタ形式と弦楽器を中心にしたオーケストラの響きを重視した「新古典主義」的態度をとったが、彼が作曲した交響曲では4曲とも三拍子のスケルツォが置かれておらず、第4番の最終楽章ではベートーヴェンよりも古いバロックパッサカリア(シャコンヌ)を用いるなどしている。またロマン派時代においては、緩徐楽章が近親調だけでなく、より遠い関係調となったり、ベートーヴェンの第7番で試みられたようにスケルツォ楽章が近親調や、より遠い関係調となる例も多くなった。これは交響曲のみならず、独奏ソナタや室内楽曲についても同様である。

ベルリオーズ交響曲『イタリアのハロルド』のように実質的には半ば協奏曲という作品もある。ラロの『スペイン交響曲』などは「交響曲」と名付けられているものの、実際にはヴァイオリン協奏曲であり、交響曲とは見なされていない。

ブルックナーにおいては、ソナタ形式が拡大され、従来の2つの主題に加えて第3主題をもつようになった〔ブルックナー形式〕。管弦楽手法としては、尊敬するワーグナーの影響から金管楽器が華麗に響くような巨大なオーケストラを使用すると共に、オルガンの奏法を応用した大胆なユニゾンや和声的展開を用いた。ウィーンの大学で彼の講義を受けていたマーラーにおいては単なる主題から『主題群』に発展し、管弦楽の規模の拡大(4管編成から5管編成まで)、自作の歌曲集からの引用、独唱や合唱等の声楽を含めたことが特徴的である。また、最終楽章も主調ではないことがあり、最終的には主調にたどり着いて終わるもの(第1番第6番第10番)もあるが、平行調で終わるもの(第2番大地の歌)、半音上の調で終わるもの(第5番第7番)、半音下の調で終わるもの(第9番)などもあり、調の扱いについても極限にまで拡大、または解体されている。交響曲第8番は、初演で独唱者7人と少年合唱、さらに2つの混声合唱団を伴った1千人余りによって演奏されたことから、『千人の交響曲』の異名を持つ巨大な作品である。リヒャルト・シュトラウスは初期に2曲の絶対音楽としての交響曲を書いているが、あまり注目されず、その後書かれた『家庭交響曲』や『アルプス交響曲』は初期の交響詩群を拡大させた標題音楽という意味で極めて高く評価されている。

国民楽派、民族楽派に分類される作曲家は後期ロマン派と時代が重なるが(広い意味でのロマン派でもある)、交響曲は彼らにとっても重要な表現手段であり、ドヴォルザークチャイコフスキーボロディンリムスキー=コルサコフグラズノフスクリャービンシベリウスニールセンエルガーヴォーン・ウィリアムスバックスハチャトゥリアンシマノフスキトゥビンらがそれぞれ3曲から9曲の交響曲(未完のものを含む、ただしトゥビンは11曲。)を残している。あまり注目されないが、ミャスコフスキーは27曲の交響曲を残しているし、ブライアンはその交響曲第1番「ゴシック」で8管編成による当時史上最大の交響曲を残している。

現代においても交響曲というジャンルは残っているが、内容的に大きな変貌を遂げたものも含まれている。新ウィーン楽派においてはシェーンベルク室内交響曲のような形式の変容や、ヴェーベルン交響曲作品21のように完全に音列技法に組み入れられたのもある。ソナタ形式の伝統に連なる交響曲作家としては、プロコフィエフショスタコーヴィチが、今のところ最後の双璧である。以降も(古典的な意味での)交響曲を主たる表現手段とする作曲家はいるが、現代音楽の中心的な存在とはなっていない。

アイヴズの6つの交響曲(最後のユニヴァース交響曲は未完)、コープランドの4つの交響曲、メシアンの『トゥランガリーラ交響曲』、グレツキ交響曲第3番『悲しみの歌の交響曲』などの曲は有名であるが、形式や内容はロマン派の交響曲からは大きな隔たりがある。韓国の最初の大作曲家であるユン・イサンの交響曲は5曲あるが、本人は最後の題名付けに大変悩み、苦し紛れに半ばでっち上げで「交響曲」としたもので、内容を意識した物ではないとの見解を1990年当時示していた。

それでも現在も交響曲が作曲され、フィンランドの作曲家・指揮者のレイフ・セーゲルスタムは史上最多の200曲の交響曲を量産している。

日本における交響曲の受容は、山田耕筰が交響曲「かちどきと平和」を作曲したのが初めで、その後金井喜久子の、日本の女流作曲家として初めての交響曲(第1番。第1楽章〜第3楽章は1940年初演、第4楽章は未完)の作曲を経て、矢代秋雄別宮貞雄松村禎三團伊玖磨黛敏郎吉松隆池辺晋一郎などが交響曲を作曲している。2013年には佐村河内守交響曲第1番『HIROSHIMA』がCD売上においてオリコン週間総合チャートで2位となり、交響曲としては異例のヒットを記録した[1]

交響曲の番号

複数の交響曲を作曲した作曲家の交響曲は、一般的には作曲者自身によって作曲順に「交響曲第○番」というように番号が付けられることが多い。しかし、場合によっては作曲者自身でなく、出版社が付与する場合、後世の研究者が付与する場合などがある。

作曲者以外が番号を付与した場合、番号付与時点で把握されていない交響曲があったり、出版社が作曲順でなく出版順に番号を付与したりすること(ドヴォルザークの交響曲第5番など)も少なくない。この場合は、後に番号が付け替えられることもある。

また、ドイツ・オーストリアでは、モーツァルトの協奏曲やシューベルトの交響曲など、元は番号がついてなかった作品は番号無しで調性、およびケッヘル番号ドイッチュ番号などの作品番号だけで呼んだりすることもある。

交響曲の副題

テンプレート:Main

ハイドンやモーツァルトにおいては、交響曲が音楽以外のものと結びついた副題を予め与えられることは、一部の特殊な製作事情をもつ作品を除き、ほぼなかった。これは交響曲が絶対音楽として成立していたことを示す。

ハイドンにおいては、第45番『告別』第94番『驚愕』第101番『時計』第104番『ロンドン』などの名前を持つものがあるが、これは曲の特徴や初演された場所を愛称として付したものであり、副題の内容を音楽として表現したものでないため、絶対音楽と言える。モーツァルトの第31番『パリ』第35番『ハフナー』第41番『ジュピター』なども同様である(第35番はハフナー家のために作曲された)。ただし、ハイドンの第6番『朝』第7番『昼』第8番『晩』は、当時仕えていたエステルハージ侯爵から題を与えられて作曲したものであるとされ、標題音楽的側面も持つといえよう。また、第8番『晩』の第4楽章にはハイドンによって『嵐』という副題がつけられている。

ベートーヴェンは、第3番『英雄』・第6番『田園』において自ら副題を与えるというやり方を開始した。第3番は、最初『ボナパルト』と題されて作曲されたことからも、ナポレオン・ボナパルトを念頭においた標題音楽であると言うこともできる。なお、第5番『運命』第9番『合唱(合唱付き)』は後世の人が与えた愛称であり、標題ではない。ただし、第9番はシラーの詩による「歓喜の歌」を含み、その言語により意図していることは明確であり、絶対音楽ではない。

以降のロマン派の交響曲は、絶対音楽と標題音楽の狭間を揺れ動きつつ、発展を遂げることになった。

ベルリオーズは『幻想交響曲』において、1人の女性の幻影につきまわれるという筋立てのもと、女性の幻影を旋律にし、固定観念(イデー・フィクス)として用いた。5つの楽章は「夢と情熱」、「舞踏会」、「野の風景」、「断頭台への行進」、「悪魔の祝日と夜の夢」という副題を持つ。この曲は、後の交響詩の発展の先駆けともなった。

シューマン、メンデルスゾーンの交響曲も副題を持つものがあるが、形式的には絶対音楽の範疇にとどまっている。

ブルックナーはかたくななまでに絶対音楽の形式を守った。マーラーは1番と3番で作曲途中に標題を付けたが、最終的には標題を削除している。2番「復活」、7番「夜の歌」、8番「千人の交響曲」は他人によってつけられた通称であり、6番「悲劇的」もマーラー自身によって付けられたものかは定かではない。マーラー本人が明確に題を残したものは歌曲集と交響曲との中間的な存在である「大地の歌」のみである。ただし、マーラーの交響曲には声楽を含むものも多く、意味のある歌詞を含むようになった以上、それらは絶対音楽ではあり得ない。また、最終的に標題を削除した交響曲についても、作曲の過程で標題を意識したものがほとんどであり、いずれの交響曲も大なり小なり標題性を持つといえる。

リストの『ファウスト交響曲』と『ダンテ交響曲』、シベリウスの『クッレルヴォ交響曲』、マーラーの交響曲『大地の歌』、チャイコフスキーの『マンフレッド交響曲』など、番号付き作品の系列外に標題を持つ作品もある。

エドゥアール・ラロの『スペイン交響曲』(ヴァイオリン協奏曲第2番)、ヴァンサン・ダンディの『フランスの山人の歌による交響曲』、伊福部昭の『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』など、実質は独奏楽器と管弦楽のための協奏曲であるが規模の大きな作品を、あえて交響曲と呼ぶ例もある。

主な作曲家と作品

古典派以前

(生年順に並べてある)

ロマン派 - 近代

20世紀以降に生まれた作曲家

さまざまな交響曲

ここでは、交響曲という名を冠するさまざまなジャンルについて触れる。

シンフォニエッタ
イタリア語で「小さな交響曲」を指す。下の室内交響曲とは違い、通常の管弦楽編成で演奏されるものが多い。「小交響曲」とも訳されるが、グノー小交響曲のように、原題がPetite Symphonieとなっているものもある。
室内交響曲
室内楽、室内管弦楽のための交響曲。シェーンベルクの2曲が知られている。
協奏交響曲
18世紀に多く書かれたジャンル。カンビーニシュターミッツらに数多くの作品がある。ハイドンモーツァルトのものがよく知られている。
オルガン交響曲
シャルル=マリー・ヴィドールフランスの作曲家によるオルガン独奏曲にSymphonie pour orgue(オルガンのための交響曲)と名付けられたものがある。これらは通常の交響曲とは別のものであり、「オルガン交響曲」または「サンフォニー」と呼んで区別する。なお、ヴィドールのサンフォニー第5番第5楽章「トッカータ」は特に有名で、演奏機会も多い。後世のイギリスの作曲家ソラブジには3つのオルガン交響曲があるが、演奏時間が桁違いに長く、2時間から6時間40分もかかる。
ピアノ交響曲
ソラブジは長大な演奏時間を要する数曲の「ピアノ交響曲」を作ったが、同じく数時間かかるピアノ・ソナタや6管編成などのオーケストラ伴奏付きのピアノ協奏曲などの延長上の作品、またはそれらを遥かに超えた作品としてみることが出来る。

類似の形式を持つ楽曲

出典

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

テンプレート:交響曲
  1. テンプレート:Cite web