マガダン

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テンプレート:世界の市 マガダンМагадан; Magadan)はロシア連邦都市マガダン州の州都。オホーツク海に面する海港都市である。港は5月から12月まで使用可能。造船漁業が盛ん。人口は89,200人(2004年)。郊外にソコル空港を持つ。

歴史

20世紀初頭からロシア帝国は極東での資源探索を進めており、現在のマガダンから300km北のコリマ川上流に金の鉱山(コルィマ鉱山)を発見していたが、厳しい気候と不便な交通から開発は進まなかった。ソビエト連邦時代になってコルィマの開発計画が立てられ、オホーツク海北部のタウイ湾(タウイスカヤ湾)奥のナガエフ湾に港を作ってコルィマへの玄関とすることになった。こうして1929年にナガエフ湾岸の現在のマガダンの位置に町が建設された。

この町は極東の強制収容所や強制労働の拠点になった。1932年にはマガダンに流刑者の強制収容所が建設された。その後、300km北のコルィマ鉱山への道路がつくられ、さらに、1700km離れたヤクーツクとも道路で結ばれて、次第に市街地が形成された。1939年には正式に市となった。

1953年には新たに設置されたマガダン州の州都となった。スターリンの時代には、流刑者はまずインディギルカ号などの護送船でマガダンに送られ、強制労働に従事するべくここからシベリアの各地へ送られていった。1996年、犠牲者を悼む慰霊碑「Mask of Sorrow」(en)が建設された。

その後、ペレストロイカによる対外開放の進展に伴い、外国人に開放された。経済混乱や僻地であることから人口の急減が起こり、1989年に15万人だった人口は2008年に9.6万人となっている。

気候

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交通

マガダンへの鉄道ルートはなく、市内交通はバスが専らの足である。ソコル空港からはウラジオストク便やモスクワ便などが運行されている。

日本との関係

ファイル:Nagayev bay, close to Magadan.jpg
マガダン付近のオホーツク海(ナガエフ湾)

1945年にソビエトが対日参戦し、多くの日本人の将兵や民間人がソビエト領内に連行されるシベリア抑留が発生すると、マガダンはその移入地となった。日本人はここからコリマの金鉱などに送られ、多くは現地で死亡することになった。その後、1991年になって日本政府の遺骨調査団が初めて訪問した。

2003年には、日本人の自転車冒険家安東浩正がロシア北西部のバレンツ海沿岸都市ムルマンスクからマガダンまで冬季にマウンテンバイクで横断し、帰国後には第8回植村直己冒険賞を受賞した。

現在では、マガダン国際教育大学と北海道教育大学との間で協定が結ばれ、教職員や学生の交換留学が行われている。マガダン国際教育大学では日本語講座も開設されている。

姉妹都市

脚注

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外部リンク

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