フィリップ大学マールブルク
フィリップ大学マールブルク(テンプレート:Lang-de)は、ドイツのマールブルクにある大学。通称、マールブルク大学。
歴史
1527年7月1日に初のプロテスタントの大学として、当時23歳のフィリップ方伯が設立し、11人の教授と84人の学生のもとに開学。 モーリッツ (ヘッセン=カッセル方伯)が1605年カルヴァン派に改宗、大学も従ったため、1607年にルター派の教授たちは隣接するヘッセン=ダルムシュタット方伯領ギーセンに設立されたギーセン大学に移った。
ヘッセン選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は普墺戦争で敗れたオーストリア帝国の側に就き、ヘッセン選帝侯国は1866年にプロイセン王国に併合された。ヘッセン選帝侯国は同時にプロイセンに併合されたナッサウ公国、フランクフルト自由市とともにプロイセン領ヘッセン=ナッサウ県に組み込まれたため、これらの地域からも学生が入学するようになった。そのため、1866年にプロイセン王立フィリップ大学に改称されると、学生数は4倍に増加した。マールブルク大学の宗派はプロイセン王国に従い、ルター派、改革派が共存することになり、、1866年になってしばらく続いていた改革派単独の大学であることを止めている。神学部にもルター派の教授がドイツ各地から入り、ドイツの聖書学や組織神学を主導する看板学部になる。
著名な教授・出身者
この大学で学び、または教授した歴史的な人物として、作曲家のハインリッヒ・シュッツ、歴史法学のフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー、言語学者で童話収集家のヤーコプ・グリム、新約聖書学のルドルフ・ブルトマン、宗教哲学のルドルフ・オットー、モスクワ大学の創立者ミハイル・ロモノーソフ(ロシア)、詩人のボリス・パステルナーク(ロシア)とゴットフリート・ベンなど分野も多彩である。
特に哲学者では新カント派マールブルク学派のヘルマン・コーエン、パウル・ナトルプ、エルンスト・カッシーラーをはじめとして、カール・バルト、ルドルフ・ブルトマン、ニコライ・ハルトマン、ホセ・オルテガ・イ・ガセト、マルティン・ハイデッガー、ハンナ・アレント、ハンス・ゲオルク・ガダマー、三木清、エーリヒ・アウエルバッハなどが著名である。またカール・バルト、クリスティアン・メラー、エルンスト・ケーゼマン、マルゴート・ケースマンらが福音主義神学部に通った。 異色の関係者としてはスターリングラード攻防戦でドイツ第6軍を率いたフリードリヒ・パウルス陸軍元帥が法学部に短期間在籍していた。さらに、ドイツ赤軍の創設者、指導者の一人であったウルリケ・マインホフも在籍していた。