早稲田大学本庄高等学院
テンプレート:日本の高等学校 早稲田大学本庄高等学院(わせだだいがくほんじょうこうとうがくいん)は、埼玉県本庄市大久保山(浅見山丘陵)にある私立の高等学校(普通科、男女共学)。略称は「本庄学院」「早大本庄(早本)」。在校生や教職員は、単に「学院」と称することも多い。早稲田大学関係者からは、「本庄」とも呼ばれる。男子校として設立されたが、2007年4月より男女共学化 した。
概要
学校法人早稲田大学が運営する高等学校であり、早稲田大学創立100周年に当たる1982年に開校。自宅からの通学が困難な生徒のために「委託ホーム」と呼ばれる寄宿制度があった(ただし男子のみ)。現在は廃止され、2012年にJR本庄駅付近に生徒寮ができたため、日本全国世界各地から生徒が集まる[1]。2008年から本庄高等学院長は早大大学院国際情報通信研究科教授の山崎芳男が務めている。
早稲田大学にはかつての予科の流れをくむ直系の附属校として、当学院と東京都練馬区にある早稲田大学高等学院・中学部があり、いずれも一条校でありながら、当学院と早稲田大学高等学院共に「学校」、「附属」を称していない。また、早稲田実業学校、早稲田中学校・高等学校、早稲田渋谷シンガポール校、早稲田摂陵中学校・高等学校および 早稲田佐賀中学校・高等学校は学校法人の異なる系属校である。
当学院は早稲田大学直属の後期中等教育機関として、大学各学部・大学院などと同等の扱いを組織内で受ける。例として、一部の学部講義科目の先取り履修が可能であったり、学部学生等と同様に大学図書館等の各種施設の利用も可能である。
なお、校舎号館付番は大学のキャンパスの一部という位置付けから90番台が付番されている(当学院校舎は92号館A~J棟)。
- 環境
浅見山丘陵を含む約86万m²の早稲田大学本庄キャンパスの美しい自然に抱かれるように校舎が立地する。当学院旧校舎や大学院等研究施設、上越新幹線本庄早稲田駅はキャンパス北部に位置し、当学院新校舎(2012年度より供用開始)・図書館・グランド等は南部に配される。校舎は当時早稲田大学理工学部建築学科教授であった穂積信夫と同研究室が設計した(1986年に第27回建築業協会賞を受賞)。
その基本コンセプトは、教員を「店長」、生徒を「お客様」と設定し、『「お客様」である生徒は「店長」の待つ「店」(各教科棟)へ足を運び、「店長」である教員は生徒の興味をそそる企画を行い、学究的な雰囲気を高めていく』というものである。そのため、いわゆる「職員室」は存在しない。代わりに各教科教員が詰める「教員室」が各棟に設置され、事務職員は各教科棟とは別に設置された事務所棟に詰める。
- 寮
都心から離れて立地している点や帰国生徒を多く受け入れている点、さらに2007年3月末まで男子校であったこともあり、早稲田大学が地元の住民に委託して独自の寄宿施設(委託ホーム)を設けていた。かつては全生徒の半数以上が入居していたが、バブル経済の崩壊や上越新幹線本庄早稲田駅の開業などにより入居者が減少し、また、女子生徒の入居は認められていなかった。2012年よりJR本庄駅前に男女とも入居可能な寮が完成した。
- 入学者の状況
卒業生全員が早稲田大学の各学部へ進学可能であり、さらに生徒寮の設置や本庄早稲田駅の開設により、例年国内外から多くの志願者を集め、高校入試としては全国屈指の高偏差値を誇る難関校となっている(一般入学試験一次試験は、本庄市の同校キャンパスと新宿区西早稲田の早大本部キャンパスにて行われる)[2]。また、帰国生徒入試やα選抜、指定校推薦など多様な方法により入学者の選抜を行っている。共学化以降女子を定員より多く入学させる年が続いている。
教育
教養教育を重視しており、人文科学、社会科学、自然科学に渡る多くの教科が全生徒必修となっている。また、スーパーサイエンスハイスクール(以下SSHと記す)の制度導入時からの指定校であり、第2学年への進級時には高度な理系科目を履修する SSHクラスへの移動ができる。ただし、SSHクラスは2クラスしかないため、有志を募った上で選抜する。
3学年次には約1年間を掛けての卒業論文作成が課せられるという特色を持つ。論文のテーマはどの様な内容でも構わず、指導教員の下で研究・執筆に取り組む。しかし、その内容は学部進学に反映される。また、各種の国際交流プログラムが用意されている。
また留年制度を導入しており、一定の成績を満たさなかったものは進級することはできない。
大学進学にあたっての学部選択は、3年間の成績と卒業論文の評価、本人の志望により決定される。直系の附属校として、系属校よりも余裕を持った進学定員数が付与されている[3]。
- 教育目的
早稲田大学の一員として、早稲田大学建学の精神(教旨)に基く。
- 「早稲田大学は学問の独立を全うし
- 学問の活用を効し
- 模範国民を造就するを以て
- 建学の本旨と為す
- 早稲田大学は学問の独立を
- 本旨と為すを以て
- 之が自由討究を主とし
- 常に独創の研鑽に力め以て
- 世界の学問に裨補せん事を期す
- 早稲田大学は学問の活用を
- 本旨と為すを以て
- 学理を学理として研究すると共に
- 之を実際に応用するの道を講し以て
- 時世の進運に資せん事を期す
- 早稲田大学は模範国民の造就を
- 本旨と為すを以て
- 個性を尊重し
- 身家を発達し
- 国家社会を利済し
- 併せて広く世界に活動す可き
- 人格を養成せん事を期す」
- 国際交流
北京大学附属中学と Singapore NationalJunior College が姉妹校である。特に北京大学附属中学は当学院開校時から交流があり、北京市への修学旅行に際して訪問するなど、各種の交流が行われてきた。また、華東師範大学第二中学(上海市)との国際交流締結の調印や国立台中第一高級中学(台中市)の来訪が行われるなど、世界各地の学校と交流がある。
- 部活
大学と同様に部活動も盛んである。運動部では、インターハイや国体などの全国レベルの競技会でも活躍するレスリング部、スキー 部、陸上競技部、硬式テニス部などが強い。文化部においてもスーパーサイエンスクラブなどが活動している。また、部活動には所属せず、個人あるいは有志で各種競技会に参加している者も多い。
- 行事
文化祭である稲稜祭(とうりょうさい)が毎年10月末に開催されている。高校の文化祭としては集客力が高く、埼玉県北部を中心に群馬県等の県外からも多くの来客がある。クライマックスの後夜祭は在校生のみの参加となっている。
体育祭は6月初めに開催される。例年派手な仮装による参加が名物となっている。その他にも芸術鑑賞会、サマーセミナー・ウィンターセミナー、球技大会、遠足、修学旅行、マラソン大会などがある。かつては、ホーム生によるスポーツ・バーベキュー大会などがあった。なお、入学試験期間に入ると温習日という、約一週間の休校日がある。
- 制服(1990年代初頭まで)
当学院開校当初は制服が定められ、黒詰襟(冬服)とされていたが、その後、当学院「生徒心得(いわゆる校則に当たるようなもの」の改正に伴って服装は自由化された。
- 襟章
スクールカラーである海老茶色(臙脂色)で縁取られたアルファベット「W」をモチーフとし、白地に旧字体で「学院」の黒文字が入るものが制定。黒詰襟の左襟に着用されていた。右襟に着用する徽章についての規定はなく、各部が独自に制定した襟章のほか、生徒が大学等で各自買い求めたものを自由に着用していた。大学各学部・大学院の襟章も同じくアルファベット「W」をモチーフとしたデザインになっている。なお、早稲田大学高等学院・中学部ではふち取りが緑色である。
- 制帽
当初は制帽も定められていたが、基本的に着用は自由であった。その後、上記の服装自由化により、制帽は事実上廃れた。早稲田大学の角帽と違い、丸帽だが顎紐が無いことが特徴。旧制学院生が学徒動員で出征した際に軍帽として利用されたことへの反省から顎紐が外された。
- シンボルマーク(早稲田スクェア)
早稲田大学は創立125周年を迎えた2007年を期して、学内外において次代の早稲田アイデンティティを確立するために、UI (University Identity) システムを導入した。その中心となるロゴマーク「早稲田スクェア」は、大学の角帽をモチーフとした菱形2つを並列する。左側のひし形は早稲田カラーの 海老茶色(臙脂色)をベースに大学の校章を白抜きで配した共通デザインとし、右側のひし形に施す文字、図柄、色により各学部・大学院・附属校などを区別する [1]。
交通アクセス
また、以下の駅から本校までスクールバスが出ている。
その他
- 学部生や大学院生等と同様に早稲田大学が提供する各種サービスを利用することができる。
- 指定された制服、髪型などはなく自由な格好で授業を受けることができる。
- 生徒の良識に任せているため校則らしい校則はない。
- 成績優秀者や経済的に困窮している者には大隈奨学金が与えられる。
沿革
- 1981年 当学院校舎起工式(5月11日)
- 1982年 当学院開校
- 1984年 当学院のすべての校舎およびグラウンドなどの施設が竣工
- 2002年 文部科学省よりSSH(スーパーサイエンスハイスクール)の指定を受ける
- 2004年 当学院旧グラウンドに早稲田大学大学院国際情報通信研究科竣工・開学。上越新幹線本庄早稲田駅開設
- 2007年 男女共学化
- 2012年 新校舎と生徒寮が竣工
校歌
- 本庄高等学院は、その沿革から早稲田大学の学部に準じた扱いを受けるため、校歌は大学と同様に「都の西北」である。
歴代学院長
- 本庄高等学院長には、慣例として、早稲田大学の学術院(学部)所属の教授(学部長級)が就任している。
代 | 氏名 | 在任期間 | 専攻 | 所属 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 神澤惣一郎 | 1987 - 1990 | 哲学 | 第一文学部 | 早大学生部長 |
2 | 大槻宏樹 | 1990 - 1993 | 社会教育 | 教育学部 | 早大教育総合研究
所長 (2000-2002) |
3 | 榎本隆司 | 1993 - 2000 | 国文学 | 教育学部 | |
4 | 山下元 | 2000 - 2003 | ファジィ理論 | 政治経済学部 | |
5 | 河合素直 | 2003 - 2004 | 制御工学 | 理工学術院 | 早大理工学術院
副学術院長、基幹理工学部長兼基幹理工学研究科長(2004-現在) |
6 | 尾崎肇 | 2004 - 2008 | 電気工学 | 理工学術院 | 早大理工学研究科 |
7 | 山崎芳男 | 2008 - 2012 | 音響工学 | 理工学術院 | |
8 | 兼築信行 | 2012 – 現在 | 日本古典文学 | 文学学術院 |
卒業生
(期別表示は入学年による)
- 手塚仁雄 - 衆議院議員、内閣総理大臣補佐官(野田内閣)、1期生
- 植本潤 - 俳優、2期生
- 加藤剛 - 統計学者、上智大学理工学部准教授、2期生
- 横山仁一 - 演出家、劇団東京オレンジ主宰、洗足学園音楽大学講師、2期生
- 吉田信解 - 本庄市長、2期生
- 吉田行地 - 指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団専属指揮者、3期生
- 五十嵐元一 - 経営学者、桜美林大学経済・経営学系ビジネスマネジメント学群ビジネスマネジメント学類専任准教授、3期生
- 広瀬巌 - 政治哲学者、マギル大学哲学部教授、4期生
- 石井竜馬 - 経営学者、名古屋商科大学経営学部教授、4期生
- 宇田理 - 経営学者、日本大学商学部准教授、4期生
- 池谷博 - 医師、京都府立医科大学医学部教授、4期生
- 饗庭伸 - 工学者、首都大学東京都市環境学部准教授、5期生
- 初田啓介 - TBSアナウンサー、5期生
- 福永俊介 - 札幌テレビアナウンサー、5期生
- 永井伸一 - NHKアナウンサー、5期生
- 宅間孝行(演出家 サタケミキオ) - 俳優、劇団東京セレソンデラックス主宰、5期生
- 河口正史 - アメフト選手、7期生(中退)
- 青木義満 - 工学者、慶應義塾大学理工学部准教授、8期生
- 松田巌 - 工学者、東京大学物性研究所准教授、8期生
- 押田貴久 - 教育学者、宮崎大学教育学部准教授、8期生
- 籠宮功 - 工学者、名古屋工業大学環境材料工学科准教授、9期生
- 田中充 - ジャズトランペッター、9期生
- 安岡優 - 歌手、ゴスペラーズ、9期生
- 秋葉丈志 - 政治学者、国際教養大学国際教養学部准教授、秋田県行財政改革推進委副委員長、10期生
- 井手大介 - DJ、モデル、10期生
- 今村哲也 - 法学者、明治大学情報コミュニケーション学部准教授、11期生
- 荒井健一 - 歌手、RAG FAIR、13期生
- 光嶋裕介 - 建築家、首都大学東京都市環境学部助教、14期生
- 宮下匠規 - 音楽プロデューサー、中国語通訳、14期生
- 松崎博保 - サラリーマンプロボクサー(太陽生命保険社員)、17期生
- 仲俣汐里 - AKB48メンバー
脚注
- 元の位置に戻る ↑ 学院案内P17参照 http://www.waseda.jp/honjo/honjo/annai/_SWF_Window.html
- 元の位置に戻る ↑ 2009全国主要私立180校駿台最新偏差値(サンデー毎日2008.5.28号)において女子が7位、男子が10位となっている
- 元の位置に戻る ↑ 卒業論文を提出した卒業生全員に早稲田大学への進学権が付与されるが、他大学を受験する場合は、それを喪失する。
関連項目
ギャラリー
- Wuhhs15.jpg
稲稜祭(1990年当時)
- Wmark1998.png
襟章(1990年当時)
- Student cap of Waseda University Honjo Senior High School.png
制帽(1990年当時)