埼玉県立熊谷高等学校
埼玉県立熊谷高等学校(さいたまけんりつ くまがやこうとうがっこう)は、埼玉県熊谷市大原一丁目にある県立高等学校。県の進学指導重点校である。
概要
1895年(明治28年)、埼玉県の第二尋常中学校として創設された。開学以来男子校である。私服での登校が認められている。なお平成22年度より県の進路指導重点校、平成23年度にはスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けた。
校風・学校生活
- 校風
カクト(各自図書館自習の略と言われている)と称する、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間が設けられ、その利用方法は生徒各々の自主性に任されたり[1]、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一切行われない。また、愛校心が強く、生徒が自ら好んで肩を組み校歌を斉唱する習慣がみられる[2]。
- 通称
近年では一般に「くまたか」とされていることが多い。古くは「くまこう」と呼ばれていたが、熊谷工業高校に「熊工」(くまこう)の通称が用いられるようになったため、両校を明確に区別するために次第に変化していったものである。しかし校歌や応援歌などには「熊高」(くまこう)と歌われるため、在校生・卒業生には「熊高」(くまこう)が用いられることが多い。
- 部活動
硬式野球部は、1949年・1951年・1982年に夏の甲子園に出場しており、1951年の大会においては準優勝した。このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、音楽部、将棋部などもインターハイや県大会に出場するなどの実績を残している。
- 授業
通常の文系・理系に加え、医歯薬科系進学クラスを設置しているほか、教科により少人数授業を実施している。また、土曜日の授業が隔週で行われており、夏季休業中には全50講座程度の補講があり生徒は自由に選択することが出来る。
- 進学実績
詳細は熊谷高等学校公式サイトを参照[3]。
- 設備
校舎は、各教室が集まるホームルーム棟(4階建て)、職員会議室などがある本館(3階建て)、そして各種理科室などがある理科棟(3階建て)の3つがある。このうち本館は1980年に竣工したものであるが、かつての本館(木造2階建て)は1978年3月18日に西半分を焼失した。なお、校歌に歌われている「赤甍」とは旧本館のそれを指し、現在の本館の赤甍風の屋根はそれの模倣であるが、部分的に旧本館の赤甍が使用されている。全館冷暖房完備。このほか、屋内型温水プール、記念館(図書館)、学生食堂、合宿棟などの設備があり。2009年8月には理科棟の床の張替が行われた。
- 校歌
作詞:石坂養平、作曲:山田耕筰。当時音楽教員であった荒井敬正が山田耕筰との間に交流があったことから作曲されたという経緯がある[4]。
- 応援歌
六校応援団による「日輪の下に」や熊谷高校応援団披露「勝利の伝統」があり、部活動応援で生かされる。
- 校外交流
埼玉県立浦和高校、川越高校、春日部高校との交流がある。音楽部は熊谷女子高校と毎年、合同定期演奏会を行っている。近年では熊谷市の姉妹都市として締結されたニュージーランド・インバーカーギル市に所在する Southland Boys' Highschool, 通称SBHS との交流がある[5]。
- 交通
- 熊谷駅より徒歩30分
- 秩父鉄道秩父本線上熊谷駅・石原駅より徒歩20分
- 朝日バス熊谷駅-妻沼仲町経由-太田駅・西小泉駅・妻沼聖天前・(東武CITY)妻沼 各線:気象台入口停留所または円光停留所下車、徒歩10分
学校行事
- 40キロハイク
- 5月中・下旬ごろに行われる行事。熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを歩いたり、走ったりする。NHKの正午のニュースで「仮装行列」と紹介されてから仮装する生徒が増えた。
- 臨海学校
- 1年次の7月中旬に行われる行事。新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。2007年度は臨海学校の前日に起こった新潟県中越沖地震の影響で、長い歴史において初めて中止となったテンプレート:要出典。
- 熊高祭
- 毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称。前者に関しては、仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行う。また、応援団による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった種目がみられる。
- クロスカントリー大会
- 毎年11月頃に熊谷スポーツ文化公園で行われる。通称「クロカン」。完走後に参加賞としてりんごが配られることが通例となっている。かつては荒川の堤防で行われていたが変更となった。
- 修学旅行
- 2年次の11月頃に行われる。大まかな行き先を学年で関西地方や九州地方、北海道などから選択する。また宿泊地をグループ毎に各自選択することができる。
- 例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。
このほかにも各種スポーツ大会(1年次:バレーボール・ラグビー、2年次:柔道・バスケットボール、3年次:テニス卓球・サッカー)や、百人一首大会(1年次)、水泳大会(各学年別)などがある。
沿革
- 1895年(明治28年) - 埼玉縣第二尋常中學校(旧制)が設立される。
- 1899年(明治32年) - 埼玉県第二中学校と改称する。
- 1901年(明治34年) - 埼玉県立熊谷中学校と改称する。
- 1946年(昭和21年) - 昭和天皇巡幸の途次に行幸せられる。
- 1948年(昭和23年) - 埼玉県立熊谷高等学校(新制)と改称。定時制設置。
- 1949年(昭和24年) - 第31回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 1951年(昭和26年) - 第33回全国高等学校野球選手権大会に出場。準優勝する。
- 1969年(昭和44年) - 制服、制帽の規制を廃し、服装自由となる。
- 1978年(昭和53年) - 赤甍校舎が火災により焼失する。
- 1982年(昭和57年) - 第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 1995年(平成7年) - 創立100周年記念式典挙行される。
著名な出身者
- 政治・行政
- 佐々木正峰 - 元文化庁長官、国立科学博物館長
- 江利川毅 - 元厚生労働事務次官、元内閣府事務次官、人事院総裁
- 新井家光 - 元埼玉県議会議員、前深谷市長
- 藤原弘 - 元根室市長、元根室支庁長
- 増田敏男(旧制中学退学 - 少年航空兵) - 元熊谷市長、元衆議院議員・厚生労働副大臣等
- 田並胤明 - 元衆議院議員
- 学者・研究者
- 竹本修三 - 京都大学大学院理学研究科教授
- 樋口忠彦 - 京都大学大学院工学研究科教授
- 大谷弘之 - 東京工業大学大学院生命理工学研究科准教授
- 今村都南雄 - 中央大学法学部教授
- 戸矢学 - 日本文化・神道研究者、作家
- 薗田稔 - 京都大学名誉教授
- 松本健一 - 麗澤大学教授、日本思想史研究者、司馬遼太郎賞受賞
- 桑子敏雄 - 東京工業大学大学院社会理工学研究科教授
- 浜日出夫 - 慶應義塾大学文学部社会学専攻教授
- 関根義彦 - 三重大学大学院生物資源学研究科教授
- 宮川公男 - 一橋大学名誉教授
- 押田茂實 - 日本大学医学部法医学教授
- 小林直人 - 愛媛大学医学部教授、総合医学教育センター長
- 小林圭二 - 京都大学大学元講師
- スポーツ
- 音楽
- 俳優・タレント
- 詩歌文芸
- メディア関連
- 斎藤勉 - 産業経済新聞社常務取締役 ソビエト連邦崩壊(共産党独裁の放棄)を世界に先駆けスクープした。
- 佐藤健 - 元毎日新聞論説委員
- 江森陽弘 - 元朝日新聞論説委員
- 関口健 - NHKアナウンサー
- 吉田匠 - モータージャーナリスト
- 大野治夫 - 気象予報士
- 増田卓 - NHKアナウンサー
- 池田耕一郎 - NHKアナウンサー
- 芸術その他
- 関口照生 - 写真家・コメンテーター
- 須田剋太 - 日本画家
- 入江悠 - 映画監督
- 近藤信輔 - 漫画家
- 八木橋宏純 - 八木橋百貨店前代表取締役会長
- 八木橋正隆 - 八木橋百貨店前代表取締役専務
- 八木橋宏貴 - 八木橋百貨店代表取締役社長
脚註
- ↑ 「われら」(熊谷高校生徒会発行)第50号 15頁、「われら」(熊谷高校生徒会発行)第47号 17-33頁
- ↑ 「われら」(熊谷高校生徒会発行)第50号 17、21頁
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『熊谷高校百周年誌』「甲子園大会出場と新校歌の誕生」(記:鈴木長作)606-608頁
- ↑ テンプレート:Cite web