オーランド諸島
- オーランド自治政府
- Landskapet Åland
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オーランド諸島の旗 100px (地域の旗) (紋章) - 地域の標語:なし
- 地域の歌:Ålänningens sång
- オーランド諸島の位置
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公用語 スウェーデン語 主都 マリエハムン
(Mariehamn)最大の都市 マリエハムン - 政府
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総督 ペーテル・リンドベック
(Peter Lindbäck)首相 ロイエル・ノルドルンド
(Roger Nordlund) - 面積
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総計 13,517km2(N/A) 水面積率 77.5 - 人口
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総計(2010年) 28,700人(N/A) 人口密度 17.5人/km2
<tr> <th>自治領<td>1920 </tr>
通貨 ユーロ(€ EUR) 時間帯 UTC +1(DST:+2) ISO 3166-1 AX / ALA ccTLD .ax 国際電話番号 358 (エリアコード 18)
</dl>
- マリエハムン (Mariehamn)
- エッケロー (Eckerö)
- フィンストロム (Finström)
- ゲタ (Geta)
- ハンマルランド (Hammarland)
- ユーマラ (Jomala)
- レムランド (Lemland)
- ルンパルランド (Lumparland)
- サルトヴィーク (Saltvik)
- スンド (Sund)
オーランド諸島(スウェーデン語: Landskapet Åland, フィンランド語: Ahvenanmaan maakunta)とは、バルト海、ボスニア湾の入り口に位置する6,500を超える島々からなるフィンランドの自治領[1]。住民のほとんどはスウェーデン系で、公用語はスウェーデン語。自治政府の旗はスウェーデンの国旗の意匠である青地に黄色の十字架に、フィンランドの国章に使用されている赤を加味したものとなっている。フィンランドでは、他の県と同じくmaakuntaと書かれるため、日本語でもオーランド(自治)県と表記されることもある。また、2010年1月1日に、オーランドを含むフィンランドの全州が廃止される[2]までは、他州と同様にlääniとも書かれたため、オーランド(自治)州と書かれることもあった。
歴史
オーランド諸島はフィンランドの一地方としてスウェーデン王国に帰属していたが、1809年にロシア帝国との戦争に敗れたことからフィンランドが割譲されたため、オーランド諸島もフィンランド大公国の一部としてロシア領となった[1]。
1854年にクリミア戦争に参戦したイギリス・フランスはスウェーデンの参戦を確実にするため艦隊を派遣して同地のロシア軍を攻撃するが、これに対してロシアは、ノーベルを雇い、新兵器の機雷を使ってバルト海を封鎖する。被害拡大を憂慮したスウェーデン政府は中立政策を取ったが、英仏政府はさらなる参戦を促した。クリミア半島でのロシアの敗勢を見たスウェーデン政府はようやく参戦の意志を顕したが、すでに戦争は終結に向かっていた。
1856年のパリ講和条約によって、国境地帯であったオーランドは非武装地帯に指定された[3]。しかし第一次世界大戦の勃発とともにロシアは条約に違反してオーランドの要塞化を開始した[3]。
大戦末期になるとフィンランド本土においてロシアからの独立の気運が高まり、これと並行するようにオーランドにおいてもフィンランドからの分離とスウェーデンへの再帰属を求める運動が起こり、フィンランド独立間近の1917年には、オーランドの代表がスウェーデンへの統合を求める嘆願をスウェーデン王に提出するに至る[3]。オーランド分離を阻止すべく、1920年にフィンランドはオーランドに対し広範な自治権を付与するオーランド自治法を成立させるも、オーランドは逆にスウェーデンに対し、島の帰属を決定する住民投票を実施できるように要請し、両国間の緊張が高まる結果となった[3]。このため、スウェーデンは国際連盟にオーランド問題の裁定を託し、フィンランドもこれに同意した[3]。
1921年に、国際連盟の事務次官であった新渡戸稲造を中心として、オーランドのフィンランドへの帰属を認め、その条件としてオーランドの更なる自治権の確約を求めたいわゆる「新渡戸裁定」が示された。これらは両国政府の具体化作業と国際連盟の承認の後、1922年にフィンランドの国内法(自治確約法)として成立し、オーランドの自治が確立した[3]。
現在フィンランド政府によって、スウェーデンへの復帰を認められているが、帰属国を問う住民投票では現状を望む人が半数を越える。スウェーデンに復帰すれば一つの県にすぎないが、フィンランドのもとでは大幅な住民自治を認められ、海洋地域であるオーランドにとって非常に自由が利くからだとされる[4]。また、現在ではスウェーデンとフィンランドは共にシェンゲン協定加盟国であり、国境を意識せず自由に往来が可能であるという事情もある。スウェーデンのストックホルムとフィンランドのヘルシンキ、トゥルクを結ぶフェリーのほとんどが主都マリエハムンの港に寄港する。距離的には、フィンランドよりスウェーデンのほうが近く、諸島の最西部と対岸のスウェーデンを結ぶ最短距離の航路だと、所要時間は2時間ほど。また、航空便もストックホルムとヘルシンキ、トゥルクから飛んでいる。
オーランドの自治
今日のオーランドの自治は、1991年に成立したオーランド自治法および1975年に成立したオーランド不動産取得法を基礎として確立している[5]。これらの法律はフィンランドにおける憲法改正手続きに加えて、オーランド議会による承認が無ければ改廃できず、憲法と同等の地位にあるとされている[5]。これらの法律により、オーランドにおけるスウェーデン語およびスウェーデン語文化の保護が実施されると同時に国の権限の大幅な委譲が行われており、オーランドでは独自の行政・財政・立法権限を保持している[6]。
EU加盟に関しても自治法に基づいた運用を行っており、例えばフィンランドが批准しているEU関税同盟からは離脱しているため、オーランド地域においての関税については非加盟国に準じた扱いとなるなどの現象が実際に発生している[7]。
祝祭日
日付 | 日本語表記 | スウェーデン語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Nyårsdagen | |
1月6日 | 公現祭 | Trettondagen | |
3月30日 | 非武装記念日 | Ålands demilitariseringsdag | 1856年のクリミア戦争終結を記念 |
変動祝日 | 聖金曜日 | Långfredag | 復活祭の2日前 |
変動祝日 | 復活祭 | Påskdagen | |
変動祝日 | イースターマンデー | Annandag påsk | 復活祭の翌日 |
4月30日 | ワルプルギスの夜 | Valborgsmässoafton | |
5月1日 | メーデー | Första maj | |
変動祝日 | 昇天祭 | Kristi himmelsfärdsdag | 復活祭から40日後 |
変動祝日 | 聖霊降臨祭 | Pingstdagen | 復活祭から50日後 |
変動祝日 | ホワイトマンデー | Annandag Pingst | 復活祭から51日後 |
6月9日 | ナショナル・ホリデー | 地方政府の最初会合が行われたことを記念 | |
6月第3金曜日 | 仲夏節の前日 | Midsommarafton | |
6月第3土曜日 | 仲夏節 | Midsommardagen | |
11月第1土曜日 | 諸聖人の日 | Alla helgons dag | |
12月6日 | 独立記念日 | Självständighetsdagen | 1917年にフィンランドから独立したことを記念 |
12月24日 | クリスマス・イヴ | Julafton | |
12月25日 | クリスマス | Juldagen | |
12月26日 | ボクシング・デー | Annandag jul |
自治体
3つの郡と、その下に16の自治体がある。
外部リンク
脚注
参考文献
テンプレート:フィンランドの県 テンプレート:フィンランドの州 テンプレート:フィンランドの伝統州 テンプレート:北欧理事会