中川裕貴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年8月4日 (月) 09:43時点における途方シネマズ (トーク)による版 (プロ入り前)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 中川 裕貴(なかがわ ひろき、1985年4月26日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身の元プロ野球選手内野手外野手)。

来歴・人物

プロ入り前

中京高校では、1番城所龍磨の後を打つ4番打者として甲子園に2度出場。高校通算28本塁打。2003年のドラフト会議中日ドラゴンズから1巡目指名を受け入団。

プロ入り後

2004年2005年シーズンは一軍出場はなく、2006年のシーズン最終戦で一軍初出場。2007年、春のキャンプで右肩を痛めて以降、リハビリを続けるも再発し、オフに右肩を手術。2008年8月、二軍戦復帰を果たした。

2009年落合博満監督の指示により内野手から外野手に転向。同年6月、3年ぶりに1軍に昇格し、6年目でプロ初安打を記録。7月11日の対広島戦(ナゴヤドーム)にて7番・右翼手で初のスタメン出場。オフに背番号を森野将彦が着けていた31に変更。

2010年6月5日の対ロッテ戦(ナゴヤドーム)にて吉見祐治からプロ初本塁打となる2ランを放つ。最終的に自己最高の13試合に出場し、この本塁打を含む4本の安打を放った。

2011年はケガもあってか一軍出場がなく、ファームでも1試合出場に留まり10月23日に球団から戦力外通告を受け[1]、現役を引退。

引退後

同球団の2軍マネージャーに転属となった[2][3]ファーム日本選手権では自身のユニフォームがベンチに掲げられていた。

プレースタイル

入団時点で動体視力福留孝介以上、50mも5.8秒と俊足で、肩も強い。しかし怪我が多く、チャンスを掴むことができなかった。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 中日 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 14 11 11 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 4 2 .091 .091 .091 .182
テンプレート:By2 13 21 21 2 4 1 0 1 8 2 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .190 .190 .381 .571
通算:3年 28 33 33 3 5 1 0 1 9 2 0 0 0 0 0 0 0 9 2 .152 .152 .273 .425
  • 2011年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 32 (2004年 - 2009年)
  • 31 (2010年 - 2011年)

脚注

  1. テンプレート:Cite web
  2. 中日新聞2011年11月13日号より。また、井手峻球団取締役によると、「リハビリ中の人間的な部分を評価して」の就任となった
  3. テンプレート:Cite web

関連項目

テンプレート:中日ドラゴンズ2003年ドラフト指名選手