中川裕貴
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テンプレート:Infobox baseball player 中川 裕貴(なかがわ ひろき、1985年4月26日 - )は、滋賀県蒲生郡竜王町出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
来歴・人物
プロ入り前
中京高校では、1番城所龍磨の後を打つ4番打者として甲子園に2度出場。高校通算28本塁打。2003年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1巡目指名を受け入団。
プロ入り後
2004年、2005年シーズンは一軍出場はなく、2006年のシーズン最終戦で一軍初出場。2007年、春のキャンプで右肩を痛めて以降、リハビリを続けるも再発し、オフに右肩を手術。2008年8月、二軍戦復帰を果たした。
2009年、落合博満監督の指示により内野手から外野手に転向。同年6月、3年ぶりに1軍に昇格し、6年目でプロ初安打を記録。7月11日の対広島戦(ナゴヤドーム)にて7番・右翼手で初のスタメン出場。オフに背番号を森野将彦が着けていた31に変更。
2010年6月5日の対ロッテ戦(ナゴヤドーム)にて吉見祐治からプロ初本塁打となる2ランを放つ。最終的に自己最高の13試合に出場し、この本塁打を含む4本の安打を放った。
2011年はケガもあってか一軍出場がなく、ファームでも1試合出場に留まり10月23日に球団から戦力外通告を受け[1]、現役を引退。
引退後
同球団の2軍マネージャーに転属となった[2][3]。ファーム日本選手権では自身のユニフォームがベンチに掲げられていた。
プレースタイル
入団時点で動体視力は福留孝介以上、50mも5.8秒と俊足で、肩も強い。しかし怪我が多く、チャンスを掴むことができなかった。
詳細情報
年度別打撃成績
テンプレート:By2 | 中日 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
テンプレート:By2 | 14 | 11 | 11 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | .091 | .091 | .091 | .182 | |
テンプレート:By2 | 13 | 21 | 21 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .190 | .190 | .381 | .571 | |
通算:3年 | 28 | 33 | 33 | 3 | 5 | 1 | 0 | 1 | 9 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 2 | .152 | .152 | .273 | .425 |
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- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2006年10月16日、対広島東洋カープ22回戦(広島市民球場)、6回表に佐藤充の代打として出場
- 初打席:同上、6回表に林昌樹の前に遊ゴロ
- 初安打:2009年6月27日、対広島東洋カープ8回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に大竹寛から三塁内野安打
- 初先発出場:2009年7月11日、対広島東洋カープ11回戦(ナゴヤドーム)、7番・右翼手として先発出場
- 初打点・初本塁打:2010年6月5日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(ナゴヤドーム)、4回裏に吉見祐治から左越2ラン
背番号
- 32 (2004年 - 2009年)
- 31 (2010年 - 2011年)
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 中日新聞2011年11月13日号より。また、井手峻球団取締役によると、「リハビリ中の人間的な部分を評価して」の就任となった
- ↑ テンプレート:Cite web