浜離宮恩賜庭園

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浜離宮恩賜庭園(はまりきゅうおんしていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。

概要

東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。江戸時代庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。もとは甲府藩下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開園。

複数の茶屋の復元計画が進められており、2014年度に「燕の御茶屋」が完成予定である[1][2]

主な見所

  • 鴨場 - の猟をおこなうために作られた池。
  • 潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満による眺めの変化を楽しむことが出来るようになっている。東京湾から魚が入り込んで生育しており、江戸時代には釣りが行われていた(現在は禁止されている)。
  • 中島 - 潮入の池の中央に位置する小さい島。
  • 中島の御茶屋 - 中島にある休憩所。
  • 松の御茶屋 - 潮入りの池のほとりにある茶屋。(利用不可)
  • 三百年の松 - 江戸時代、徳川家宣が改修したときに植えられたと伝わる。東京都内最大の黒松
  • ボタン園 - 60種800株が植えられている。
  • お花畑 - 季節の花が咲きほこる。
  • - 種類が多いため見頃が比較的長い。春はライトアップされる。
  • 他の樹木 - ケヤキなど多種。園内には多くの大木が残されている。

ギャラリー

歴史

1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされた。浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。とくに徳川家斉家慶の頃は、将軍の鷹狩の場であった。幕末には、幕府海軍伝習屯所であった。

慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工した。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治3年に、宮内省の管轄となり名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。

交通

大手門口
中の御門口
水上バス

出典

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関連項目

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脚注

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参考文献

  • 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 郷学舎, 1981.
  • 水谷三公『将軍の庭 ― 浜離宮と幕末政治の風景』中公叢書, 2002.
  • 横浜開港資料館編『F. ベアト写真集 1 ― 幕末日本の風景と人びと』明石書店, 2006. - 英語版に写真あり

外部リンク

テンプレート:東京都立公園
  1. 都建設局 浜離宮「燕の茶屋」を復元
  2. [1]
  3. 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
  4. 小杉雄三『浜離宮庭園』東京公園文庫 12, 1981, p.93.