クルディスタン地域
- クルディスタン地域
- ھەرێمى كوردستان
إقليم كردستان العراق -
クルドの旗 クルドの紋章 (地域の旗) (地域の紋章) - 地域の標語:なし
- 地域の歌:テンプレート:要出典範囲 Ey Reqîb
- クルドの位置
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公用語 クルド語 主都 アルビール 最大の都市 アルビール 通貨 イラク・ディナール(IQD) 時間帯 UTC +3(DST:+4) ISO 3166-1 不明 ccTLD 不明 国際電話番号 964
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テンプレート:Kurds
クルディスタン地域(クルディスタンちいき、テンプレート:Lang-ku、テンプレート:Lang-ar、テンプレート:Lang-en)は、イラクの北部に設けられたクルド人の自治地域。イラク領クルディスタン、クルド人自治区、クルド自治区、クルディスタン自治区などともいう。1970年3月11日にバアス党政権とテンプレート:仮リンク率いるクルディスタン民主党の間で成立した協定にもとづいて設置された。
- クルディスタン民主党(KDP)
- クルディスタン愛国同盟(PUK)
- クルディスタン・イスラーム連合
- クルディスタン共産党
- ゴラン党
- アッシリア民主運動
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1975年の自治区
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1998年の自治区
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2009年の自治区
- Kurdistan Regional Government (KRG) クルディスタン地方政府(英語)
その領域はイラク北東部のアルビール県、ドホーク県、スレイマニヤ県の3県からなり、自治区の首府はアルビール市にある。イラク北部最大の都市であるモースルを含むニーナワー県やイラク最大の油田地帯であるキルクークを含むキルクーク県もクルド人地域(クルディスタン)の一角であるが、クルディスタン地域には含まれていない。
1991年の湾岸戦争に際し、クルド人住民はサッダーム・フセイン大統領に反抗する決起を行い、米英軍がイラク北部に飛行禁止空域を設けて保護したので、事実上バグダードのバアス党政権の支配を離れた。この時代、自治区のクルド勢力は自治区独自の旗を有し、独自の通貨を発行した。しかし、イラク・クルド人勢力の二大主要政党であるクルド民主党とクルド愛国同盟の対立が激しく続き、1994年、1996年、1997年には数千人が死亡する大規模な戦闘が発生し、クルディスタン地域は2大政党支配地域に分裂した。
2003年のイラク戦争によりバアス党政権が崩壊すると、連合国側についたクルディスタン地域の独立やモースル、キルクークへの拡大の可能性が浮上したが、イラク国内のアラブ人や、国内に同じクルド人問題を抱える隣国トルコが強硬に反対しており、その将来は予断を許さない。地域に住む若いクルド人の間では、トルコやイランのクルド地域も含めて早期に独立すべきだというクルド民族主義(大クルディスタン)の気運が高まっているとされる。
2004年9月から2,800人規模の韓国軍ザイトゥーン部隊がアルビール県に展開し、平和維持と再建に当っていた。現在は撤退した。
政治
元首は、クルディスタン地域政府(KRG)の大統領(「議長」と呼ぶこともある)が務める。現在の地域政府大統領は、クルディスタン民主党(KDP)党首のマスウード・バルザーニ。大統領の下には首相のポストがあり、首相は主に行政を担当する。地域政府は外交以外の権限が、イラクの中央政府から与えられている。
また、地方議会としてクルディスタン民族議会が存在する。議席は全部で111議席。主な政党は、
KDPとPUKが地域における最大勢力であり、両政党は議会で統一会派を結成している。このため、フセイン政権崩壊後、二大与党による議会支配が続いてきた。近年、二大政党の長期支配による汚職などの腐敗、失業率の悪化などから住民の間、特に若者の間で両党に対する忌避感情、変化を望む意見が起き始め、2009年7月に行われた民族議会選挙では、「改革」を掲げた野党・ゴラン党が躍進した。
軍事
軍事組織、事実上の国軍としてペシュメルガが存在する。
経済
クルディスタンでは、独自の治安維持組織が活動しており、テロリズムによる攻撃が続くイラク国内では例外的なほど治安が保たれていた。そのため、油田開発が進んでおり、その輸出により好景気に沸いている[1]。
しかし、イスラーム国家樹立を掲げるイスラーム国が台頭し、2014年にはクルディスタン地区と交戦状態に入った[2]。
地方行政区画
3つの県(「州」と呼ぶこともある)に分かれる。