一光硬式野球部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一光硬式野球部(いっこうこうしきやきゅうぶ、1994年 - 2007年)は、かつて愛知県名古屋市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属し活動していた社会人野球チームである(合宿所は同県愛知郡長久手町(現・長久手市)に、練習グラウンドは愛知県西加茂郡藤岡町(現・豊田市)に所在した。
概要
1994年、中部地方を中心にガソリンスタンドを展開する企業一光が硬式野球部を創部。激戦区である東海地区で全国大会の出場を前に足踏みが続いたが、1997年熊谷組からアマチュア選手として実績のあった林敏之を監督に招聘。2000年は成績不振により、一光の矢野裕美子社長により年後半の活動自粛を命じられたものの、2001年には日本選手権に、2002年には都市対抗野球本大会に初出場を果たす。2003年は都市対抗野球の出場を逃すが、日本選手権で全国大会初勝利を挙げるとベスト4まで進む快進撃を見せた。2004年都市対抗野球本大会には出場を逃すも、田中明投手が王子製紙の補強選手として出場し橋戸賞を獲得した。
2007年夏、同年限りで廃部との報道がなされる。原因は原油価格の高騰による本社の経営逼迫によるものとされている。同年の日本選手権予選での敗戦後、休部を決定。14年間の活動に幕が下ろされた。
設立・沿革
- 1994年 創部
- 2000年 一光社長の矢野裕美子が野球部の成績不振に激怒、野球部はこの年後半の活動自粛(部員はこの間、各地のスタンドで社業に専念していた)。
- 2001年 日本選手権初出場(初戦敗退)
- 2002年 都市対抗野球初出場(初戦敗退)
- 2003年 日本選手権ベスト4進出
- 2005年 妹尾軒作投手がチーム初のドラフト指名
- 2007年 休部
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球 出場1回
- 日本選手権 出場3回、4強1回(2003年)
- JABA新潟大会 優勝1回(2006年)
かつて在籍していた選手
- 蔵本雅由投手(地元・中日ドラゴンズに所属する英智選手の2人いる兄の一人)
- 田中明投手
- 青山正克内野手
- 上原茂行捕手(退部後、母校・龍谷大コーチを経て、1997年~2007年までヤクルト二軍チームスタッフ・バッテリーコーチ補佐・バッテリーコーチを歴任)
出身プロ野球選手
- 高橋郁雄外野手 (1997年ヤクルトドラフト5位;退部後の指名・入団)
- 森一馬投手 (2002年に在籍。日本でのプロ野球在籍経験がなく、2003年韓国プロ野球のロッテ・ジャイアンツと契約したが、公式戦開幕前に解雇された。)
- 妹尾軒作投手(2005年オリックス大学生・社会人ドラフト6巡)