PT-76

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PT-76 (Ob-740) は、ソビエト連邦が開発した水陸両用の軽戦車1951年から量産が開始され、改良されつつ現在でも使用されている。

開発と特徴

ソ連軍は第二次世界大戦前から水陸両用軽戦車を開発・配備していたが、独ソ戦の開戦後、それらの水陸両用軽戦車の非力さが目立つ上、主力戦車や重戦車の生産が優先されたため、水陸両用軽戦車はT-40以降途絶えていた。しかし戦後、偵察や上陸作戦支援用として水陸両用軽戦車を開発することとなった。こうして、1947年から1950年に開発されたのがK-90であるが、K-90は浮航時の安定性不足のため不採用となってしまった。

このK-90の経験を活かし、1949年から新規に開発が開始されていた水陸両用軽戦車がPT-76である。K-90の欠点であった浮航時の安定性を改善するため、K-90より大きな船型車体と、車体下部から水流を取り入れ後面からウォータージェット式推進装置で排出する機構を採用した。エンジンは、戦時中にT-34でも搭載されたV-2ディーゼルエンジンの気筒数を半分の6気筒にしたV-6を搭載し、主砲も、T-34などが搭載していた76.2 mm戦車砲F-34を改良したD-56TまたはD-56TMを採用した。

こうして開発されたPT-76は、満足する性能を有していたため1951年から量産が開始された。

1959年からは改良型のPT-76B(Ob-740B)の生産が開始された。PT-76Bは核戦争下での活動を視野に入れ、PAZと呼ばれる放射線防護システムを装備していた。その他にも、主砲へのスタビライザーの付与、操縦主用赤外線暗視装置の搭載、燃料タンクの拡大による航続距離の延伸などが図られていた。

PT-76の生産は1969年まで継続された。

配備と運用

PT-76は1969年の生産終了までに総計約7,000輌が生産され、その内約2,000輌が友好諸国に供与された。

ソ連軍では、PT-76を基に開発されたBTR-50装甲兵員輸送車と共に自動車化狙撃兵連隊の偵察中隊や海軍歩兵の支援車両として配備された。現在ロシア軍では、大半のPT-76がその後開発されたBRDM-1BRDM-2などの偵察用装甲車両に代替された。

友好諸国に供与されたPT-76はベトナム戦争中東戦争、第三次印パ戦争などで実戦投入され、本来の偵察任務や支援に止まらない活躍をしている。悪路に強いPT-76はインフラが未整備な地域での作戦に重宝された。中国では1966年から60式水陸両用戦車としてライセンス無しにコピー生産が行われ、その後、火力を強化し85 mm戦車砲を搭載した63式水陸両用戦車も開発され、これらの車両もベトナム戦争やカンボジア内戦中越紛争に投入されたり、中国の友好諸国に広く供与または販売された。

その他にも、PT-76はポーランド朝鮮民主主義人民共和国インドネシアなど約25カ国に配備され、イスラエルは捕獲した車両を使用した。

また、PT-76は信頼性に富み使い易かったためフロッグ2(マルス)やフロッグ3(ルナ)等の戦術ロケットの車台やZSU-23-4対空戦車のベースとなった。

PT-76は水陸両用軽戦車としてはかなりの成功作と言えるが、火力が第二次世界大戦後期には既に陳腐化していた76.2 mm戦車砲であったため、用兵者からは火力の強化が求められPT-76のコンポーネントを流用したPT-85(Ob-906)が試作されたが開発中止になってしまい、その後もOb-685やOb-934等の浮航戦車が開発されたが、資金難などの理由により全て試作の域を脱しないまま終わってしまった。ただし、、主力歩兵戦闘車BMP-2歩兵戦闘車の後継であるBMP-3歩兵戦闘車はOb-685の設計を基にしており、高い浮上航行能力をもつ。このため100 mm低圧砲を搭載するBMP-3をPT-76の後継車とする説がある。

関連項目

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