日産自動車硬式野球部
テンプレート:社会人野球チーム 日産自動車硬式野球部(にっさんじどうしゃこうしきやきゅうぶ)は、神奈川県横須賀市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属した社会人野球チームである。
歴史
創部は1959年。歴戦の猛者揃いの神奈川地区において、的確なチーム作りを続けて都市対抗野球大会での優勝2回など、輝かしい戦績を誇る。また、2003年には過去2度挑戦して叶わなかった社会人野球日本選手権大会での優勝を果たすなど、関東を代表するチームの一つである。
1999年に本社の社長に「コストカッター」ことカルロス・ゴーンが就任し、硬式野球部の存続が不安視されたが、ゴーンは都市対抗野球での社員の応援に感銘を受け、硬式野球部を存続させることを決心したとされる(後にゴーンは「都市対抗野球こそが日本の企業文化の象徴だ」とも断言した)。また、横須賀工場に隣接する横須賀スタジアムは、横浜DeNAベイスターズの二軍組織、湘南シーレックスが本拠地としていることから、同チームとの親交が深く、2001年8月15日には、柳川事件以後初めてとなるプロアマ交流試合が行われた。また、毎年8月半ばにはシーレックスとの交流戦が行われていた。
ユニフォームは2003年まで青色を基調としたものだったが、2004年からコーポレートカラーである赤色を基調としたものに変わった。しかし、日産のシンボル「ブルーバード」(青い鳥)は健在で、右肩に描かれている青い鳥の下には2度の都市対抗野球優勝を表す2つの赤い星があしらわれていた。
2009年2月9日に経済・金融危機を受け、日産自動車九州硬式野球部や同社卓球部、陸上部と共に同年12月末をもって休部することが発表された。2009年12月19日に現役選手とOBで親善試合を行い、3対1で現役チームが勝利。歴史に幕を下ろした[1]。
翌2010年からは選手OB有志が毎年冬季に神奈川県内の小学生を対象とした野球教室を開催しており、2回目の2011年からは現在プロのOB選手も参加している[2]。
設立・沿革
- 1959年 - 創部
- 1965年 - 都市対抗野球大会初出場(2回戦敗退)
- 1978年 - 日本選手権初出場(8強)
- 1984年 - 都市対抗野球大会初優勝
- 1998年 - 都市対抗野球大会2度目の優勝
- 2003年 - 日本選手権初優勝
- 2009年 - 休部
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球大会:出場29回、優勝2回(1984, 98年)
- 日本選手権:出場16回、優勝1回(2003年)
- JABA北海道大会:優勝1回(2005年)
- JABA東京スポニチ大会:優勝3回(2000, 02, 06年)
- JABA静岡大会:優勝9回(1986, 90, 91, 95, 97, 2000, 01, 04, 06年)
- JABAベーブルース杯争奪大会:優勝6回(1971, 79, 91, 93, 94, 98年)
- JABA岡山大会:優勝1回(2007年)
- JABA日立市長杯争奪大会:優勝3回(1982, 83, 92年)
主な出身プロ野球選手
- 中田良弘投手(テンプレート:NPBドラフト 阪神:ドラフト1位)
- 池田親興投手(テンプレート:NPBドラフト 阪神:ドラフト2位)
- 大野久外野手(テンプレート:NPBドラフト 阪神:ドラフト5位)
- 北川哲也投手(テンプレート:NPBドラフト ヤクルト:ドラフト1位)
- 川尻哲郎投手(1994年 阪神:ドラフト4位)
- 川越英隆投手(テンプレート:NPBドラフト オリックス:ドラフト2位)
- 鷹野史寿外野手(テンプレート:NPBドラフト 近鉄:ドラフト6位)
- 押本健彦投手(テンプレート:NPBドラフト 日本ハム:ドラフト4巡)
- 三橋直樹投手(テンプレート:NPBドラフト 横浜:大学生・社会人ドラフト4巡)
- 梵英心内野手(2005年 広島:大学生・社会人ドラフト3巡)
- 高崎健太郎投手(テンプレート:NPBドラフト 横浜:大学生・社会人ドラフト希望入団枠)
- 青木高広投手(2006年 広島:大学生・社会人ドラフト4巡)
- 野上亮磨投手(テンプレート:NPBドラフト 西武:ドラフト2位)
- 堂上隼人捕手(2008年 ソフトバンク:育成選手ドラフト5位) 香川オリーブガイナーズ移籍後の指名
- 久古健太郎投手(テンプレート:NPBドラフト ヤクルト:ドラフト5位) 日本製紙石巻移籍後の指名
- 熊代聖人外野手(2010年 西武:ドラフト6位) 王子製紙移籍後の指名
- 太田裕哉投手(テンプレート:NPBドラフト ヤクルト:ドラフト4位) 日本製紙石巻移籍後の指名
かつて在籍していた主な選手
- 藤田康夫投手(1973年第1回インターコンチネンタルカップ日本代表で優勝)
- 村上忠則捕手(1987年から1999年まで監督を務める)
- 黒須隆捕手(アトランタオリンピック日本代表)
関連項目
脚注
テンプレート:社会人野球日本選手権大会優勝チーム- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 梵らプロも初参加 日産OB野球教室 - スポーツニッポン、2011年12月11日