松山高知急行線

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松山高知急行線「なんごく号」

松山高知急行線(まつやまこうちきゅうこうせん)は、ジェイアール四国バスが運行する自動車路線である。担当は松山支店。

本項では、かつて存在していた当路線の急行バスであるなんごく号と、そのなんごく号の実質的な後継路線であるなんごくエクスプレス及び現存している久万高原線についても説明する。

概要

1934年に四国で最初の省営自動車線として予土線が開業。「予土線」とは、旧国鉄予讃本線(現在のJR四国予讃線)と土讃本線(同じく土讃線)を結ぶ路線であることを意味しており、鉄道線の予土線とは異なる[1]。改正鉄道敷設法(大正11年法律第37号)別表に「愛媛県松山附近ヨリ高知県越知ヲ経テ佐川ニ至ル鉄道」と記載されており、本路線は「鉄道線の先行・短絡」という使命の下に開設された。この路線は松山の有志たちが「鉄道が無理なら自動車線を」という想いで鉄道省に陳情し実現した路線である。

国道33号線経由で松山と高知を結ぶ幹線で、1960年以降の都市間連絡輸送は好調となり、特に四国旅客鉄道(JR四国)発足当時は鉄道も含めたJR四国全体で唯一の黒字路線であった[2]。しかし、「なんごく号」は新車投入及び増便を積極的に行う一方、本線(松山~高知)以外の枝線の廃止が進み、平成に入ってからは、本線のローカル便にも合理化が及び、松山~落出以外の普通便はすべて廃止された。

2001年以降、伊予鉄道高知県交通及び土佐電気鉄道による「ホエールエクスプレス」の運行開始に対抗する意味合いもあり、かつてのなんごく号が担った役目は高速バス「なんごくエクスプレス」に譲り、一般道区間は愛媛県内の松山落出駅(愛媛県久万高原町)間に平日9往復の普通便のみ運行している。地元自治体(高吾北広域事務組合及び愛媛県柳谷村(2004年より久万高原町))はなんごく号も含めた路線維持を求めていたが、最終的には廃止を覆すことはできなかった。

なんごく号の廃止日は折しも悪天候で、松山発の最終便が途中の久万高原、高知発の最終便は越知までの運行で打ち切りとなった。

沿革

  • 1934年3月24日 - 「省営自動車予土線」として松山・久万(愛媛県上浮穴郡久万町(当時))間開業[3][4]。松山自動車所開設。松山・久万間を1時間30分で結ぶ。
  • 1935年4月15日 - 森松本町において発送車扱貨物取扱開始。
  • 1935年7月21日 - 久万・佐川(高知県高岡郡佐川町)間延伸[5]。松山自動車所佐川支所開設。
  • 1937年6月1日 - 停車場新設及び富士見町・西佐川間の支線開業。
  • 1947年9月1日 - 省営自動車路線名称の改正により、松山・落出間を予土北線、落出・佐川間及富士見町・西佐川間が予土南線となる。松山自動車区佐川支区が佐川自動車区に昇格。これにより落出での乗換えが必要となった。
  • 1950年7月15日 - 松山・佐川間急行便設定。
  • 1950年10月16日 - 予土南線富士見町・古畑間及び土佐大崎・池川間の支線開業。
  • 1951年1月24日 - 土佐電気鉄道と高知乗入に関し運輸協定締結。
  • 1951年2月6日 - 予土北線落出・古味間の支線開業。
  • 1951年4月10日 - 予土南線佐川~高知間延伸。松山~高知間急行便の運転を開始。下りを「くろしお」、上りを「いでゆ」と命名。
  • 1951年11月1日 - 停車場改称及び新設
  • 1952年1月27日 - 予土南線上仁淀・長者間の支線開業。
  • 1955年6月1日 - 予土南線支線の池川・安居間開業。
  • 1955年10月20日 - 予土北線大街道・道後間及び御三戸・面河間の支線開業。
  • 1956年7月27日 - 松山・高知間夜間急行便の運転開始。
  • 1958年7月15日 - 予土南本線富士見町―上川内ヶ谷―越知間の支線及び池川線用居・檜谷間延伸。
  • 1960年12月14日 - 鉄道線との貨物の通し運送廃止。
  • 1961年8月8日 - 座席指定制(4型(現在の1型)いすゞBL171型定員12名)の特急便2往復が設定。(日本初のワンマン運転によるマイクロ路線バスとしてスタート)当時の松山-高知間の所要時間は4時間30分であった。
  • 1962年8月3日 - 特急便の定員を14名に変更。
  • 1963年2月15日 - 予土南線停車場改称及び改キロ実施。西佐川駅前、高知の業務取扱範囲を旅客のみに変更。
  • 1963年7月9日 - 予土南線富士見町―土佐中山―越知間廃止。
  • 1965年6月10日 - 国鉄四国支社は松山・高知間に、予讃本線・多度津・土讃本線経由の気動車急行「予土」を運転。
  • 1965年7月15日 - 特急便の車両を大型化。
  • 1965年10月11日 - 停車場廃止及び新設。池川線、三叉・池川間の支線開業
  • 1966年1月1日 - 予土北本線停車場新設
  • 1967年8月1日 - 予土北線、予土南線と統合し路線名を松山高知急行本線に改称。
  • 1968年10月1日 - 列車の急行「予土」廃止。松山と高知を直通する列車は消滅。
  • 1969年2月1日 - 急行便及び特急便の愛称を公募により「なんごく」に改称。
  • 1969年5月5日 - なんごく23号を除き座席予約システムを自動化。
  • 1970年8月20日 - 横倉口・上川内ヶ谷間開業。
  • 1971年4月16日 - 面河線面河・石鎚土小屋間延伸。
  • 1971年12月18日 - 横倉口・上川内ヶ谷間廃止。
  • 1974年10月1日 - 急行便に必要な料金を、急行料金から座席指定料金(バス指定券)に変更。
  • 1985年3月14日 - 松山、久万、落出での荷物扱いを廃止。
  • 1986年3月3日 -途中久万、引地橋のみ停車の特急便2往復(松山-高知間の所要時間は3時間12分)を増便。15往復になる。
  • 1986年11月1日 -途中久万、引地橋のみ停車の特急便を3往復に増便。一部通過の特急便も2往復出来、急行便が10往復になる。松山-高知間の所要時間は最速3時間9分。
  • 1987年3月28日 - 久万・二瀬橋間の支線を廃止。
  • 1988年4月10日 - 途中1か所(上りは久万、下りは引地橋)のみ停車の特急便を2往復に。一部通過の特急便を5往復にし、急行便が8往復になる。松山-高知間の所要時間は最速3時間4分。
  • 1994年4月22日 - 久万駅を久万高原駅に改称。
  • 1996年 - 一部通過の特急便を7往復にし、急行便が6往復になる。松山-高知間の所要時間は最速3時間12分。
  • 1998年 - 一部通過の特急便を、全便急行便にし、13往復になる。
  • 1998年11月30日 - 佐川~土佐大崎間の普通便廃止。
  • 2001年12月21日 - 伊予鉄道などによる高速バス「ホエールエクスプレス」運行に対抗して、「なんごく号」の高速道路への乗せ換えによる「なんごくエクスプレス」が6往復/日で運行開始。「なんごく号」は13往復/日から3往復/日へ減便、バス指定券は廃止。
  • 2002年9月1日 - 「なんごく号」全廃とともに落出~高知間の路線を廃止。落出~佐川間は同年7月1日から黒岩観光バスが代替運行。これによって佐川~岩目地間が路線バス空白区間となった。「なんごくエクスプレス」、高知市内で一部路線を変更。
  • 2004年4月1日 - 四国旅客鉄道本体から、子会社のジェイアール四国バスへ路線移管。営業所の名称も松山自動車営業所から松山支店に変更。
  • 2006年3月24日 - 「なんごくエクスプレス」、高知インター南バスターミナル停車開始に伴うイオン高知SC停留所廃止、同時に座席定員制から座席指定制へ変更。
  • 2008年4月5日 - 日・祝日ダイヤが土休日ダイヤに変更となる。
  • 2010年4月1日 - 伊予宮内・砥部中学校前間に「砥部町中央公民館前」停留所を新設。
  • 時期不明 - 現存する一般路線バスの路線名が久万高原線に名称を変更。

路線一覧

ファイル:Tosa Osaki Sta.jpg
土佐大崎駅(2002年8月31日限りでJRバスとしては廃止)

久万高原・落出・土佐大崎・越知の各駅は自動車駅

本線・支線系統

  • 松山高知急行本線
    • 松山 - 大街道 - 砥部 - 久万高原 - 伊予落合 - 御三戸 - 落出) - 上仁淀 - 名野川 - 引地橋 - 土佐大崎 - 越知 - 佐川 - 伊野駅前 - 播磨屋橋 - 高知
    • 現在は括弧の区間のみ久万高原線として残っている。
      落出 - 播磨屋橋間は廃止。そのうち落出 - (川内ヶ谷) - 佐川間については黒岩観光に移管(播磨屋橋 - 高知間は高速バス路線の運行区間として免許上存続)。
    • 河原町 - 道後温泉及び南井門 - 供養堂(バイパス)
      「なんごく号」のみ運行の支線。
    • 佐川 - 川内ヶ谷(こうちがだに)
      普通便のみ運行の支線。黒岩観光に移管。
    • 富士見町 - 西佐川駅前
      普通便のみ運行の支線。国鉄時代に廃止。黒岩観光に移管。
  • 面河線
    • 御三戸 - 面河 - (石鎚土小屋)
      伊予鉄南予バスが代替運行。
  • 八釜線
    • 落出 - 古味
      周遊指定地「四国カルスト」への経路に指定されていた。途中には「郷角」という停留所があり、これが「合格」につながることから「落出→郷角(のち「ごうかく」に改名)」の乗車券は縁起物だった。久万高原町有代替バスに移管。
  • 長者線
    • 上仁淀 - 川渡 - 長者
      仁淀川町営バスに移管
  • 池川線
    • 土佐大崎 - 池川 - (土佐瓜生野)及び三叉-若山橋
      土佐大崎~池川間は黒岩観光に、池川~土佐瓜生野間及び三叉~若山橋間は仁淀川町営バスに移管。
  • 古畑線
    • 富士見町 - 古畑
      普通便のみ運行の支線。黒岩観光に移管。

なんごく号

  • 松山 - (大街道)‐(道後温泉) - (一番町二丁目)- 砥部 - 久万高原 - 伊予落合 - 御三戸 - 落出 - 伊予旭 - 秋葉口 - 高瀬口 - 大渡 - 名野川 - 引地橋 - 土佐大崎 - 越知 - 柳瀬 - 佐川 - 伊野駅前 - (五丁目) - (播磨屋橋) - 高知
    • 一番町二丁目・大街道・道後温泉は松山行きのみ停車。(道後温泉は通過便もあり)
    • 五丁目・播磨屋橋は高知行きのみ停車。
    • 名野川は一部便は通過。
    • 1988年ごろは、途中休憩を1回だけとした便が1日2往復運行されていた。松山行きは久万駅・大街道のみ、高知行きは引地橋のみ停車していた。

なんごくエクスプレス

(停留所 - 停留所)内の相互間の乗降は、できない。

車両

特急便・急行便にはリクライニングシート装備の観光タイプの車両が使用されていた。1989年に「いよじ号」「とさじ号」の運行が開始されると、これらの夜行便用に投入されたハイデッカー車両(4列シート40人乗り・便所なし)も共通運用で「なんごく号」にも使用された。

なんごくエクスプレスでは4列シート便所付ハイデッカーが使用されている。

普通便には急行便に使用されていた経年車や、通常仕様の路線車が使用されていた。「なんごく号」廃止後は他社からの譲受車により運行されている。2014年現在は、大阪市営バスより導入したいすゞ・キュービック6台(純正ボディ4台、西工96MC B型2台)を使用。

競合路線

松山駅-落出駅の全区間に渡って競合する路線はない。かつては久万まで伊予鉄バス久万線(16系統)が運行されていたが、現存しない。

一部区間に限ると、起点に近い市役所前(伊予鉄バスは松山市駅を発着するため)から松山都市圏の南端となる伊予郡砥部町内までは伊予鉄バス18系統が存在している。特に18系統は日中10~15分おきに運行されており、松山-砥部間の交通は伊予鉄道が圧倒的に優勢である。松山から森松までは当路線便に伊予鉄バス運行便を加えた平日上り74本・下り70本が運行されており、四国の中では運行本数が多い一般バス路線の一つとなっている。ちなみに、同区間では1965年まで伊予鉄道森松線が並走していた。

乗車券

「なんごく号」(特急便・急行便)に松山駅及び高知駅から乗車する場合は、全国のみどりの窓口でバス指定券を購入できた。ただし、途中停留所から乗車した場合は車内でバス指定券を発売した。

外部リンク

関連項目

注記

  1. 現在のルート(予讃線北宇和島土佐くろしお鉄道中村線(旧国鉄中村線)若井)で鉄道路線としての予土線が全通したのは1974年である。
  2. 鈴木文彦『高速バス大百科』(1989年・中央書院)p88の記述による。
  3. 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  4. 「鉄道省告示第99号」『官報』1934年3月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. 「鉄道省告示第275号」『官報』1935年7月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)

参考文献

  • バスジャパン・ハンドブックシリーズ9「四国旅客鉄道・九州旅客鉄道」(1996年・BJエディターズ)