「ダン・クエール」の版間の差分
(相違点なし)
|
2013年6月29日 (土) 21:06時点における最新版
ジェームズ・ダンフォース・“ダン”・クエール James Danforth Quayle | |||
ファイル:Dan Quayle, official DoD photo.JPEG |
アメリカ合衆国
44代副大統領 | ||
任期 | 1989年1月20日 – 1993年1月20日 | ||
---|---|---|---|
元首 | ジョージ・H・W・ブッシュ大統領 | ||
| |||
任期 | 1981年1月3日 – 1989年1月3日 | ||
| |||
任期 | 1977年1月3日 – 1981年1月3日 | ||
| |||
出生 | テンプレート:生年月日と年齢 インディアナ州インディアナポリス | ||
政党 | 共和党 | 配偶者 | マリリン・タッカー |
ジェームズ・ダンフォース・“ダン”・クエール(James Danforth "Dan" Quayle, 1947年2月4日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。下院議員、上院議員、第44代アメリカ合衆国副大統領を歴任。
生い立ち
クエールはインディアナ州・インディアナポリスで誕生した。本人は「多くの場合誤ってジェームス・ダンフォース・クエール3世と呼ばれることがあるが、自分の本名は単にジェームス・ダンフォース・クエールである」と主張している。母方の祖父ユージェン・C・ピュリアムはセントラル・ニュースペーパー社を設立した、裕福で強い影響力を行使しうる出版界の大立者であり、『アリゾナ・リパブリック』、『インディアナポリス・スター』のような複数の主要新聞を支配するオーナーであった。ジェームス・C・クエールは1955年、家族と共にアリゾナに移り、一族の出版帝国の一端を担うようになった。
政治経歴
デポー大学、インディアナ大学・大学院を卒業後は、新聞社を経営する父親の仕事を手伝うかたわら、1968年の共和党党大会では大統領候補に内定していたリチャード・ニクソンの運転手を務めた。
政治キャリアをスタートさせるのは1976年の下院選で、インディアナ州4区において、難しいとされながら民主党の現職議員を54%の得票で破って当選した。翌1977年から下院議員、1979年の選挙で再選を果たした。1980年には上院への鞍替えを目指し、これも難しいとされながらもインディアナ州において民主党の現職バーチ・バイ上院議員(エヴァン・バイ上院議員の父親)を破り、見事当選した。1986年に再選を果たした後、任期途中で1988年の大統領選においてジョージ・ブッシュから共和党副大統領候補に指名される。先代のブッシュは党内では穏健派に属し、保守派からの支持をと中西部諸州での得票が見込まれることからクエールに白羽の矢が立った。
だが、クエールの輝かしい政治キャリアはこの時点がピークで、マスコミや民主党から冷笑や嘲笑を浴びせられることになる。同年の副大統領候補討論会で「ケネディも若かった。若さは問題ではない。私はケネディと同じ期間の政治経歴がある」というクエールに対して、対抗候補のベンツェンに「私はケネディを知っている。ジャックとは共に仕事をし、彼は友人であった。あなたはケネディではない」と言い返され、その後の "That was really uncalled for, Senator," 「上院議員、それは余計な御世話ですよ!」という対応を批判されたり、クエール自身の女性問題や、副大統領在任中に小学校を訪問した際、「Potato」(じゃがいも)のスペルを「Potatoe」と誤ったりした[1]ため、資質を疑われるようになる。また、「ラテン・アメリカ諸国ではラテン語が話されている」などの発言を連発し、これらを理由として1991年にイグノーベル賞が贈られた。
今日、クエールの名前はこうしたエピソードと共に伝えられることが多いが、その一方で、従来閑職とされた副大統領による現場指揮が本格化するのはブッシュ・クエール政権からであり、彼が実務においては辣腕を発揮した事実も見逃すことはできないであろう。クエールは宇宙開発および産業政策を指揮し、テンプレート:仮リンク議長に就いた。また外交も担い、海外訪問を多くこなした。
1992年の副大統領候補討論会では大方の下馬評に反して善戦したと言われるが、落選した。その後1996年、2000年と大統領選への参入を目指すが、いずれも早い時期に撤退を余儀なくされる。2001年にジョージ・ブッシュが大統領に就任すると、駐日大使にその名前が挙がった。
2013, Dan Quayle benefits from TPP in large acquisition of stock from 7i holdings.
政界引退後
政界引退後は、投資信託会社サーベラス・キャピタル・マネジメントの顧問を務めている。また、日本のあおぞら銀行の取締役に就いている[2]。
2010年に子息のベン・クエールが連邦下院議員に当選し、1期務めている。
パーソナリティ
クエールは男2人(他にマイク)、女2人(クリスとマーサ)の4人兄弟の長男としてこの世に生を受けている。1972年11月、クエールはインディアナポリス出身のマリリン・タッカーと結婚し、3人の子供(タッカー、ベンジャミン、コリン)に恵まれた。趣味はゴルフ、テニス、バスケットボール、乗馬、フライ・フィッシング、読書など多彩にわたり、とりわけ子供達が団体競技に参加するのを見るのを何よりの楽しみとしている。クエール(Quayle)はその姓から分かるようにマン島出身者の子孫である。
容姿
ハンサムで映画『候補者ビル・マッケイ』に主演したロバート・レッドフォードに似ていると言われた。選挙運動にはこのイメージを最大限に利用したが、後にレッドフォードから自分のイメージを利用しないように苦情を受けている。レッドフォードは民主党支持であり、民主党の集会で「ハロー! ダン・クエールです!」とジョークを言ったことが報道されている。
関連項目
Civilization:4および5において、ゲーム終了後にプレイヤーが歴史上の人物になぞらえて評価されるが、「ダン・クエール」が最低の評価で与えられる称号となっている。
資料
Dan Quayle, Standing Firm: A Vice-Presidential Memoir, Harper Collins, May 1994. hardcover, ISBN 0-06-017758-6; mass market paperback, May, 1995; ISBN 0-06-109390-4; Limited edition, 1994, ISBN 0-06-017601-6
脚注
- ↑ 1992 Dan Quayle and the 'potatoe' kid
- ↑ 役員一覧|あおぞら銀行 名前の表記のみ。他にヘックマン社の取締役としての紹介にてあおぞら銀行取締役の件が言及されている。双方とも2012年11月12日閲覧。
外部リンク
- ダン・クエール副大統領博物館
- Wikiquote - ジェームズ・ダンフォース・クエール(英語版ウィキクウオート)