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2014年7月23日 (水) 09:10時点における最新版
三河知立駅(みかわちりゅうえき)は愛知県知立市内幸町にある、名古屋鉄道三河線の駅である。
歴史
現在の知立駅が開業するまでは、この駅が知立駅を名乗り、西側にあった愛知電気鉄道の新知立駅(現在の知立駅開業後は名古屋本線の駅は東知立駅と改称、後に廃止)との乗り換え駅となっていた。
- 1915年(大正4年)10月28日 - 三河鉄道が知立駅(初代)として開業。
- 1922年(大正12年)
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 三河鉄道知立駅(初代) - 分岐点間の貨物連絡線(知立連絡線)が開通。
- 1935年(昭和10年) - 8月1日 愛知電気鉄道が名古屋鉄道へ改編。
- 1941年(昭和16年)
- 6月1日 - 名古屋鉄道が三河鉄道を合併。名鉄三河線の駅となる。
- 8月1日 - 知立駅と新知立駅を統合し、知立駅(2代)とする。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 現在地に知立駅(3代)を開設し、名古屋本線の駅は東知立駅、三河線の駅は三河知立駅と改称して分離。
- 1968年(昭和43年)1月7日 - 東知立駅廃止。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 知立連絡線廃止。
- 2001年(平成13年) - 駅集中管理システム導入。
- 2003年10月1日(平成15年) - トランパスを導入。
- 2011年(平成23年)2月11日 - ICカード乗車券「manaca」供用開始。
- 2012年(平成24年)2月29日 - トランパス供用終了。
駅構造
島式1面2線の地上駅である。当駅は三河線の他の駅とは異なり、東側(駅舎とは反対側)からホーム番号が振ってある。 開業以来の比較的大きな駅舎は取り壊され、現在はシンプルな作りで比較的新しい駅舎が建っている。駅舎とホームは構内踏切で連絡しており、ホーム上にはワンマン運転支援用のセンサーポールが設置されている。駅集中管理システムが導入された無人駅のため、豊田市駅から遠隔管理されている。
1番線に相当する部分に、線路と草に埋もれたホームが残り、知立駅方の信号機も稼働しているが、使われていない。1番線の三河八橋駅方は、かつて名古屋本線と接続していた連絡線の跡につながっている。
2・3番線とも逆方向に入線・出発できるよう信号機が設置されているが、通常使われることはない。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ■三河線 | - | 不使用。ホームの遺構が見られる。 | |
2 | ■三河線 | 上り | 知立方面 | |
3 | ■三河線 | 下り | 豊田市・猿投方面 |
知立駅高架化に伴う移転
知立駅周辺地区の区画整理事業に合わせて、知立連続立体交差事業[1] (知立駅高架化は2023年度完成予定)が着手されることとなり、これに伴い三河知立駅を地上区間に移設することとなった。位置は市立竜北中学校の南側となる[2]。
漫画展
知立市出身のイラストレーターのウノ・カマキリが、1994年4月に三河知立駅の掲示板に「夢人駅(むじんえき)」と題して「夢人駅漫画展」 を常設した。展示のきっかけは、同氏が小学校の同窓会出席で、三河知立駅を訪れた際、子供のころの賑わいが失われ寂れた無人駅になった姿に「出会いや別れなど、人生の節目、節目で登場する駅が『無人』では味気無い。自分の作品がきっかけで『夢人(むじん)』になるよう、利用する人の気持ちを和ませたい」という思いを込めて、夢人駅漫画展と名付けられた。1998年からは隣の知立駅にも「知立(ちりゅう)は知立(ともだち) 夢人画廊(ゆめびとぎゃらりぃ)」というイラストの掲示板を出している。
配線図
利用状況
1日平均の乗車人員は2008年度229人、2009年度238人である。三河線の駅では、最も利用客が少ない。長い間、三河線の豊田市-知立間では唯一の無人駅であった。当駅で多くの列車が行き違いを行っているため、駅というより信号場のような感じである。
駅周辺
- 知立市役所
- 弘法山遍照院
- 愛知県立知立高等学校
- 愛知県立知立東高等学校
- 知立市立知立中学校
- 知立市立竜北中学校
- 知立市立知立小学校
- 知立市立猿渡小学校
- 山本学園 情報文化専門学校 高等部
- 知立郵便局
- 国道1号
- 国道155号
- 国道419号
- 愛知県道51号知立東浦線
- 愛知県道285号安城八ツ田知立線
- 愛知県道298号安城知立線
隣の知立駅まで700mほどしか離れておらず、歩いて行き来が容易である。駅のすぐ知立寄りを名鉄名古屋本線が高架で通っている。