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2014年8月14日 (木) 10:17時点における最新版
尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。種田山頭火らと並び、自由律俳句の最も著名な俳人の一人である。
概略
東京帝国大学(現在の東京大学)法学部を卒業後、東洋生命保険に就職し、大阪支店次長を務めるなど、出世コースを進み、豪奢な生活を送っていたエリートでありながら、突然、それまでの生活を捨て、無所有を信条とする一燈園に住まい、俳句三昧の生活に入る。その後、寺男で糊口(ここう)をしのぎながら、最後は小豆島の庵寺で極貧の中、ただひたすら自然と一体となる安住の日を待ちながら、俳句を作る人生を送った。クセのある性格から周囲とのトラブルも多く、その気ままな暮らしぶりから「今一休」と称された。その自由で力強い句は高い評価を得、代表的な句に、「咳をしても一人」などがある。[1][2]
年譜
- 1885年
- 1899年 - この頃より俳句を作り始める。
- 1902年 - 鳥取県立第一中学校(現・鳥取県立鳥取西高等学校)卒業。第一高等学校(一高)文科に入学。一高俳句会に参加。夏目漱石に英語を習い、漱石に傾倒する。
- 1905年 - 東京帝国大学入学。ホトトギスに投句、入選。いとこの沢芳衞に求婚、親類の反対のため断念。
- 1909年 - 東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。通信社に入社。
- 1911年 - 東大教授穂積陳重らの推挙により東洋生命保険株式会社に就職。契約課に所属。坂根馨と結婚。
- 1913年 - 契約係長となる。
- 1914年 - 東洋生命保険大阪支店次長として赴任。
- 1915年 - 東京本社に帰任する。この頃から新傾向俳句機関誌「層雲」に寄稿し、自由律俳句に転向する。
- 1921年 - 契約課課長を罷免される。この年の暮れ頃、東洋生命保険を退職する。
- 1922年 - 新創設の朝鮮火災海上保険に支配人として朝鮮に赴任。
- 1923年 - 会社を罷免される。「層雲」への寄稿を再開する。満州に赴き再起を期すも、肋膜炎悪化のため入院。手記「無量寿仏」を妻に口述筆記させる。その後、妻子と別居し一燈園に暮らす。
- 1924年
人物・エピソード
季語を含まず、五・七・五の定型に縛られない自由律俳句の代表的俳人として、種田山頭火と並び称される。旅を続けて句を詠んだ動の山頭火に対し、放哉の作風は静の中に無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。性格は偏向的であり、自身が東京帝国大学法学部を出ていながら、他の法学部卒業生を嫌うという矛盾した性格を持ち、また酒を飲むとよく暴れ、周囲を困らせたという。唯一の句集として、死後、荻原井泉水編『大空〔たいくう〕』(春秋社、1926年6月)が刊行された。
放哉の伝記的小説を書いた吉村昭によると[3]、性格に甘えたところがあり、酒がやめられず、勤務態度も気ままなため、会社を退職に追い込まれたという[3]。妻に「一緒に死んでくれ」と頼んだこともあり、呆れた妻は放哉のもとを去り、保険会社の寮母として生涯を送った[3]。放哉は寺男などを転々とし、小さな庵と海のある場所に住みたいという理由から、晩年の八ヶ月を小豆島の西光寺奥の院で寺男として暮らしたが、島での評判は極めて悪かった[3]。吉村が1976年に取材のため島を訪ねた時、地元の人たちから、「なぜあんな人間を小説にするのか?」と言われたほどで、「金の無心はする、酒癖は悪い、東大出を鼻にかける、といった迷惑な人物で、もし今、彼が生きていたら、自分なら絶対に付き合わない」と、吉村自身が語っている[3]。それでも、島の素封家で俳人の井上一二(いのうえいちじ)と寺の住職らが支援し、近所の主婦が下の世話までして臨終まで看取った[3]。吉村の小説『海も暮れきる』は、海が好きだった放哉にちなんで、放哉の句「障子開けておく、海も暮れきる」から取ったもの[3]。
代表句
有名な句を以下に挙げる。
- 咳をしても一人
- 墓のうらに廻る
- 足のうら洗えば白くなる
- 肉がやせてくる太い骨である
- いれものがない両手でうける
- 考えごとをしている田螺が歩いている
- こんなよい月を一人で見て寝る
- 一人の道が暮れて来た
- 春の山のうしろから烟が出だした(辞世)
参考文献
- 吉村昭 『海も暮れきる』 講談社文庫 1985年
- 村上護 『放哉評伝』 春陽堂 2002年
- 大瀬東二『尾崎放哉の詩とその生涯』
- 吉屋信子『底のぬけた柄杓』
脚注
- ↑ 『歴史と人生』 松波治郎著 (彰文館, 1942)
- ↑ 『教育随想・教育論叢』 山崎白雲著 (久米書店, 1939)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 「NHK文化講演会(小豆島と尾崎放哉)」(1994年5月22日放送)