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佐野 実(さの みのる、1951年4月4日 - 2014年4月11日[1][2][3][4])は、日本の実業家で、ラーメン店「支那そばや」創業者。神奈川県横浜市戸塚区出身。血液型A型。メディアに多数出演し、「ラーメンの鬼」の異名で知られる[5]。
目次
経歴
神奈川県横浜市戸塚区に4人兄妹の次男として生まれた。家が貧しくつねに空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたらしい(本人は記憶していない)[6]。父親は酒乱気味で、少年時代の佐野に度々暴力を振るっていた。その影響からか、本人も短気で直ぐ「キレる」性格故、幼稚園を退園処分になった事もあった。横浜市立戸塚小学校、横浜市立戸塚中学校時代は新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして小遣いを稼ぎ、その金でラーメン屋に通った。中学生のとき初めてラーメンを作って家族にふるまい、旨いと褒められた。
中学生時代のクラブ活動は園芸部。当時好きな女子生徒に近付きたくてその女子生徒と同じ園芸部に入ったという。これがきっかけで花が好きになり、将来は育種家か園芸家になろうと思って[7]神奈川県立平塚農業高等学校園芸科を受験したが不合格となった[8]。なお、花は派手な物、大きな物よりもあまり目立たないような小ぢんまりしたような物を好み、一番好きな花はミヤコワスレであるとも述べている[9]。また、アルバイトで飲食業の仕事をし出したのはこの頃で、金がかかる園芸の資金稼ぎにと甘味屋や純喫茶などで仕事をするうち、だんだん飲食業が楽しくなっていったという[7]。
藤沢商業高等学校(現:藤沢翔陵高等学校)に進学し、野球部に所属してプロ野球を目指したが、チームメイトに後に読売ジャイアンツなどで投手として活躍した小俣進がいたため、実力の差を知り、プロ野球への夢を諦めた。その小俣とは高校卒業後もずっと親交が深く[10]、小俣は佐野の店に時々ラーメンを食べに来たりもしていた[11]。なお、野球部退部後は応援団に所属して活動していた[11]。学校の近くに好きなラーメン屋があり、毎日のように登校前と昼休みの2回食べに行った[6]。
高校卒業後、横浜ドリームランド内の不二家レストランに就職。同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めるほど旨かったからという[12]。以後ずっと洋食の世界ですごし、28歳から34歳迄は管理職(店長)を務める傍ら趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたが、独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、「修業はした方がいい」と言う地元・戸塚の飲食店組合融資部長が斡旋した湯河原の青竹手打ち麺が売り物のラーメン店で1週間修業したのち[13]、実兄の資金援助を受けて1986年8月に藤沢市鵠沼海岸7丁目に「支那そばや」を開店した。店名については、自分の原体験から「ラーメン」より「支那そば」という名称の方が馴染みがあったとのことで、前述の融資部長のアドバイスも受け入れた上で決めた[13]。初めは思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭った事もあるという。店の経営がようやく軌道に乗りはじめたのは、2年後の1988年ごろである。2000年からは藤沢の店舗は佐野の弟子に譲ったが、辞めてしまった為2004年に閉店している[14]。
ラーメンの世界で唯一頭が上がらない人物として、旧「東池袋大勝軒」店主の山岸一雄の名を挙げている[15]。
2000年以降、2008年11月に生地である横浜市戸塚区に移転した「支那そばや」本店と、新横浜ラーメン博物館店を営業している。本店の開店と同時に、「「ラーメンの鬼」佐野実の厳選ブログ」を開設した[16]。
2009年5月に駒沢オリンピック公園で行われた「ラーメンShow in Tokyo 2009」など、近年のラーメン関係のイベントでは、「佐野JAPAN」[17]というチーム名で出店している。これは、佐野を師と仰ぐラーメン店の店主たちが集まったチームであり、支那そばや同様あっさり系スープの店が多い。イベントではHEY!たくちゃんにものまねされることも多い。なお、弟子については授業料をもらう代わりに技術を教え、独立した時には佐野自身が食材の斡旋をしていた。独立以後の弟子についてあまりこだわらなかったところ、閉店する店も出て来たため、この反省を踏まえて「最低3年から5年は修業してもらい、自分が納得するまでは独立させない」方針に転換した。「俺のと同じ味は作れないが、俺のよりうまいラーメンは作れる」と教えていたと言う[18]。
人前で涙を見せることはなかった佐野だが、弟子の一人であるHEY!たくちゃんが『東京ラーメンショー2011』の『NRA杯 ラーメンコンテスト バトプリ2011』で優勝したという連絡を受けた時、トイレに駆け込んで一人でこっそり泣いていたとのことで、佐野の妻は「夫が泣いている姿を見たのはその時だけ」だったという[19]。
2014年4月11日午前2時57分、多臓器不全のため川崎市の病院で死去。関係者によると、2006年頃から10年近くに亘り糖尿病を患っており、同年2月中旬より体調を崩していたという。テンプレート:没年齢[1][2][3][4]。私生活では息子と娘が一人ずつ居り、息子(1972年生まれ)は愛媛県今治市でイタリア料理店を経営している。又、息子に対して本人は「俺はラーメンの道を極めるからお前はイタリアンの道を極めろ」と教え諭していたと言う。
こだわり
麺は自家製麺しており、新しい麺の開発にも積極的である。新横浜ラーメン博物館店で使用している「絹越和伊麺」(きぬこしわいめん)[20]は、イタリア産のデュラム・セモリナ粉と、国産小麦『ハルユタカ』をブレンドしたものを用いている。製麺機から出来た麺は木箱に入れ、2〜4分間、少し蓋を開けて放置。その後高湿冷蔵庫(高級蕎麦屋で使われている)でひと晩保管して熟成させる[21][22]。
戸塚本店では、スープに使う鶏ガラは名古屋コーチン[23]、麺に使うかん水はモンゴル産[24]、[25]。具のネギは九条ネギ[24]、醤油味と塩味で分けている器は有田焼などと、高価なものを使用している[26]。他に具材は、豚肉は中型のヨークシャー種中心[27]、スープ材に焼きアゴ(アゴとはトビウオの幼魚)を使用しているとも述べている[28]。その為、価格設定も他の同業界に比べ可也高めとなっている。
鵠沼に出店していた時代は、香水の匂いが強い人の入店・店内での私語・喫煙・携帯電話の使用が一切禁止とされていたが[29]、現在はそういった「客への細かい注文」は事実上解消されている。こう言ったことは佐野自身が決めたわけではなく「私語が出来ないような雰囲気の店である」ことをマスコミが演出した結果こうなったらしいともされている[30]。店内の私語については「食事中は静かにと言っているだけ」と述べている他、香水については「香水の匂いがきつい女性客が来店した事があったから」とコメントしている[30]。又、過去には泥酔した客に対して刃物を振り回して「お前らは客じゃない、金は取らないから出て行け」と追い出した事もあった[31][32]。
その他、麺の出来に納得いかない時は店を臨時休業したり[33]、スープを残す客に対して「残すなら最初から食うな」と本人が発言している[32]。又、営業時間も昼間の数時間のみと非常に短い。
メディア出演
白い詰め襟の厨房服とオールバックの髪型をトレードマークとして[34]、メディアに多数出演していた。
テレビ東京系列
- 『愛の貧乏脱出大作戦』1998年の同番組初期に登場、初めてのテレビ出演であり、横浜ラーメンの達人として紹介されたテンプレート:要出典。
- 『最強ラーメン伝説』 ラーメンを味見し、不満足なら席を立つ。納得すれば「参りました」と頭を下げ、5人中3人が認めれば『参ったラーメン』に認定。更にその中からベスト・オブ・ベストのNo.1を選ぶというガチンコのラーメン対決。亡くなるまで第1回~第4回までの全てに審査員として出演テンプレート:要出典。
TBS系列
- 『水トク!『本日、開店します!』』(2014年1月22日放送)の「脱サラ店主をその道のプロが辛口判定」では、ガチンコラーメン道・佐野の弟子が10年ぶりに開店を目指す内容を放送した。佐野は弟子のラーメンを食べて「普通の中華屋さんのラーメンだな」と評価した[35]。当番組が本人自身の生涯に於いて最後のテレビ出演となった。
- 『ガチンコ!』の企画「ガチンコラーメン道シリーズ」にラーメン職人を育てる講師として出演し、ラーメンの鬼として全国的に本人の知名度が上昇、同番組では、出演者を激しく罵倒したり、冷水を掛けたり、出演者の作ったスープを事ある毎にまずいと評して鍋ごと捨てるなどの厳しい指導シーンが頻出していた[36]。
- テンプレート:要出典範囲、 佐野の妻によると、同時期会社や店舗に苦情の電話が1日200件以上あり、中には「佐野を殺す」「店を爆破する」という殺害・爆破予告もあり、街頭でも酔漢とトラブルに巻き込まれていた程でもあった[36]。
テレビ朝日系列
- 『裸の少年』 ゲスト賢人として出演した。
- 『Delicious Collection』 「ラーメンへのこだわりと愛情物語」で取材を受けた。
日本テレビ系列
- 『NEWSリアルタイム』 2008年末の戸塚移転の際に、開店迄の佐野や、その関係者達の様子、オープン当日の様子が放送されていた。
NHK
- 『クイズ 100人力』(2014年1月11日) 「ラーメン対決」の回に100人側キャプテンとして出演。
映画
- アイ・アム I am.(主演水川あさみ) 初めての映画出演[37]。
- ラーメン侍(主演渡辺大)
CM
著書
- 『佐野実、魂のラーメン道』 2001年10月、竹書房、ISBN 978-4812408148
- 『オレが唸ったラーメン一杯—ガチンコオヤジ佐野実』 2005年4月、講談社 ISBN 978-4061795631
- 『佐野実のラーメン革命— 麺は男、スープは女』 2009年9月、朝日新聞出版 ISBN 978-4022506306
脚注
参考図書
- 『湯気のむこうの伝説—ラーメン偉人伝』 垣東充生著、新宿書房、2000年 ISBN 978-4880082677 (145-171ページ『第6話・佐野実』より。)
関連項目
- チャルメラ - 明星食品から発売されているインスタントラーメン「チャルメラ」に期間限定で佐野実シリーズが発売されていた。