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'''青柳 勧'''(あおやぎ かん、[[1980年]][[8月19日]] - )は、[[京都府]]出身の[[水球]]選手である。愛称は「皇帝」 == 来歴 == 小学校3年生の時、京都踏水会で水球をはじめ、[[京都府立鳥羽高等学校]]へ進学。[[1998年]]には元ユーゴスラビア代表監督であったドラガン=アンドリッジに選ばれ、史上最年少で[[水球男子日本代表]]に選出される。その後[[筑波大学]]へ進み、大学1年を終えると同時に[[スペイン]]へ渡ってプロ1部リーグでプレー。1シーズン20得点をマークしてチームに大きく貢献した。 2004年、[[イタリア]]のプロチーム・[[ベルガモ]]([[セリエA (水球)|セリエA]])と契約、世界有数のスピードとシュートを武器にセリエA2北の得点王。 その実績が評価され、イタリアのセリエA1四強の一つ『ブレッシア』でプレー。日本人初のチャンピオンズリーグ出場も決めている。 2006年の[[アジア競技大会水球競技|アジア大会]]では決勝戦で中国に負けたものの2大会連続の銀メダルに大きく貢献。2007年3月の[[世界水泳選手権水球競技|世界選手権]]にも出場。 2007-08シーズンより、[[モンテネグロ]]のブドバでプレー。ブドバはモンテネグロの4強チームで、今シーズンはLENトロフィーにも出場。チーム躍進のキーマンとなっている。 帰国時には、多数のメディアにも出演。 2009年10月からは[[新潟産業大学]]で教員を勤めている。(広川俊男学長は筑波大の先輩に当たる) 2010年7月、クラブチーム「[[ブルボンウォーターポロクラブ柏崎]]」を発足させ、[[選手兼任監督]]に就任。 日本に帰国後は日本代表に復帰。 2012年1月、水球日本代表チーム「ポセイドンジャパン」の主将としてロンドンオリンピック出場権を賭けて、アジア地区予選(兼アジア選手権)に出場したが、出場権は得られなかった。 == 情報 == *[[スイミングマガジン|月刊スイミングマガジン]]連載 *[[月刊水球|月刊水球マガジン]]連載 * [[きらり☆夢ファイル]]([[テレビ新潟放送網|テレビ新潟]]) - 2010年7月14日放送分 == 外部リンク == *[http://www.aoyagikan.com/ プロ水球選手 青柳勧 オフィシャルウェブサイト] *[http://www.aoyagikan-blog.com/ 青柳勧ブログ] {{DEFAULTSORT:あおやき かん}} [[Category:日本の水球選手]] [[Category:選手兼任監督]] [[Category:京都府出身の人物]] [[Category:1980年生]] [[Category:存命人物]]
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