関根正二
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関根 正二(せきね しょうじ、本名読み:まさじ[1]、1899年4月3日 - 1919年6月16日)は、日本の洋画家。
1899年、福島県西白河郡大沼村(現白河市)に屋根葺き職人の父のもとに生まれる。1908年、前年に発った父を追い上京、深川に住む。小学校の同級生に伊東深水がおり、彼の紹介で1914年に東京印刷株式会社に就職、そこでオスカー・ワイルドの作品を読み、彼の思想に触れた。1915年、会社を辞めた関根は知人と共に長野県へ放浪、そこで洋画家の河野通勢と出会った影響などを受け、ほぼ独学で絵画を学んでいく。同年、16歳の時に描いた「死を思う日」が第2回二科展に入選。1918年、19歳の時に第5回二科展に出品した「信仰の悲しみ」が樗牛賞に選ばれたが、この頃より心身共に衰弱し、翌年結核により20歳で夭折した。絶筆となった「慰められつゝ悩む」は後に紛失し、現在は作品を写した絵葉書のみが残されている。代表作である「信仰の悲しみ」は後に日本の近代洋画史を代表する傑作の一つと評され、2003年に重要文化財の指定を受けている。
代表作品
- 「信仰の悲しみ」(1918年、大原美術館蔵、重要文化財)
- 「姉弟」(1918年、福島県立美術館蔵)
- 「自画像」(1918年、福島県立美術館蔵)
- 「三星」(1919年、東京国立近代美術館蔵)
- 「子供」(1919年、ブリヂストン美術館蔵)
関連項目
脚注
外部リンク
- 関根正二と河野通勢の邂逅(三重県立美術館学芸課長)
- 関根正二(三重県立美術館)