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象列車
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'''象列車'''(ぞうれっしゃ)とは、[[太平洋戦争]]中に日本各地の[[動物園]]の動物たちが処分されたため、[[名古屋市|名古屋]]市営[[東山動植物園|東山動物園]]に唯一残されていた[[ゾウ|象]]を見たいと願う子どもたちのために、敗戦後のアメリカによる[[占領]]下の[[1949年]](昭和24年)に、各地と名古屋の間を走った特別列車のことである。象を輸送するための列車ではない。 == 背景 == 戦前の日本には、[[恩賜上野動物園|上野動物園]]・[[大阪市天王寺動植物公園|天王寺動物園]]・東山動物園の3園に象が飼育されていた。しかし戦時中、空襲によって逃げ出したりしたら危険だという[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の判断に基づく地方行政の命令により前2園の象は[[戦時猛獣処分]]の対象とされ、終戦時には東山動物園にしか象がいない状況になっていた。 東山動物園でも全ての動物が無事であったというわけではなく、幾度にも及ぶ要請があって、大半が殺処分されていた。象に関しては、園長が常時足を鎖で拘束するという条件を軍司令部に出し、何とか当面処分を延期できたという状況であった。それでも食糧不足や病気により、木下サーカスから購入した4頭の象の内、「キーコ」が[[1944年]](昭和19年)2月に、「アドン」が[[1945年]](昭和20年)1月に死亡した。同動物園は[[1945年]](昭和20年)[[1月13日]] - [[1946年]](昭和21年)[[3月16日]]の間観覧が停止され、軍の兵糧庫とされた。なお、当時の東山動物園を管理していた[[獣医師|獣医]][[大尉]]は軍規違反を承知で動物園職員が兵糧の中から象の餌となる[[糠|フスマ]]・[[モロコシ|マイロ]]を盗んでいたのを黙認し、兵士に命じてわざと象舎の通路にそれら[[穀物]]の入った袋を置き忘れさせた事もあった。 == 経緯 == 戦時中には観覧休止になっていた動物園も、戦後情勢が落ち着くにしたがって観覧が再開された。しかし、象を含む猛獣・大型動物は前述の理由に食糧事情が相まって、命を落としており、全国どこの動物園も小動物しか存在しない状況になっていた。東山動物園も例外ではなく、戦争を生き抜いたのは279種961点のうち、象2頭・チンパンジー1頭・鳥類が23羽のみであった(数字は東山動物園公式HPによる)。 1949年(昭和24年)[[4月24日]]に当時の上野動物園園長であった[[古賀忠道]]が、更に[[5月5日]]に2人の台東区[[子ども議会]]を代表して[[中学校|中学生]]2人(中学1年で議長を務めていた大畑敏樹と、師範附属中学校2年生で副議長の原田尚子)が、東山動物園長の[[北王英一]]を訪れ、象を東京に貸してもらえないかとそれぞれ請願を行った(日本国内で戦争が終わるまで象を生き延びさせたのは、東山動物園のみであった)。2人は名古屋市長の塚本三にも同様の請願を行った。 しかし東山動物園に残っていた2頭の象(「エルド」・「マカニー」)はいずれも高齢化しており、また[[貨車]]で送るには2頭をそれぞれ別に乗せる必要があったが、2頭を引き離す実験を行ったところ、暴れだしてついには象舎の鉄壁に頭をぶつけて血を流したため、東京へ貸し出すのは断念せざるを得なかった。しかし、子供達に象を見せたいという気持ちは園長や市長にもあり、結局東京へ送る事が不可能ならば、逆に子供達を東山動物園へ送ろうという代替案が塚本市長などから出され、これが「象列車」運転の運びとなった。 とはいえ、当時の[[日本国有鉄道]](国鉄)輸送は全て[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ/SCAP)の支部連合軍民間運輸局(CTS)の管理下におかれており、国鉄当局が思い立ったところで[[臨時列車]]の1本も自由に立てられる状況ではなかった。そのため当時の東京・名古屋の鉄道局員は、CTSやその支局の鉄道輸送事務所(RTO)に何度も請願を繰り返し、ようやくそれが認められて団体専用列車が設定される事になったのである。 == 詳細 == === 第1陣 === 1949年(昭和24年)6月18日、彦根発着、1400人。国鉄名古屋鉄道局による設定。当初は東京発着の列車が第1陣となる予定であった。 === 第2陣 === 1949年(昭和24年)6月25日(当初の予定では5月22日)、東京発着、エレファント号、15両編成。上野駅、[[日本交通公社]]、[[東京日日新聞]]の共催。 [[東京駅]]21時50分頃発・[[名古屋駅]]翌朝7時47分着、翌6月26日、名古屋駅15時頃発・[[上野駅]]22時01分着で1往復の団体専用列車が走った。1156名の子供たちが象を見るために乗車した。なお、上り列車の終着駅が上野であったのは、[[台東区]]民など下町在住の子供の便を図ったためであり、このような時間帯設定となったのは、子供の体力と有効時間の最大限確保を考慮した苦肉の策である。また当初は[[5月22日]]に運転を行う予定であったが、さまざまな事情で翌月となった。 名古屋駅から東山動物園への移動には[[名古屋市電]]を使用したが、戦争によって車両を多く失っていたこともあり、当初は米軍払い下げの[[貨物自動車|トラック]]に客室を設けた「トレーラー・バス」の使用も検討された。 なお、この列車の編成や時刻に関する公式記録は残っていないとされるが、「エレファント号」という[[方向幕|ヘッドマーク・テールマーク]]も取り付けられていたという。また、下り列車は[[富士川駅|岩淵駅]]付近で子供1人が窓から転落する事故を起こして急停車し、その子供は全治20日の怪我を負ったとされる。 === 各地から === その他、大阪・京都・草津、埼玉・千葉・神奈川、石川・福井、津などから団体専用列車や一般列車に専用車両を連結する形で名古屋へ向かう列車が設定され、この年の秋までに総数1万数千人を運んだ。 また、[[近畿日本鉄道]](近鉄)でも1949年(昭和24年)[[8月3日]]から約3ヶ月間、[[大阪市|大阪]]の[[大阪上本町駅|上本町駅]]から近畿日本名古屋駅(現、[[近鉄名古屋駅]])へ向かう同種の団体専用列車を設定し、毎日500人ずつ、総計約4万5000人の子供達が乗車した。 === 第2回象列車(H2.8.26) === [[太平洋戦争]]の話を子供たちにも語り継ごうということから、第1回象列車の運転された41年後の[[1990年]](平成2年)8月26日に、[[品川駅]](7時25分発) - 名古屋駅(13時40分着)間の下りのみで「第2回象列車」が運転された。編成は[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形電気機関車]]牽引の[[国鉄14系客車|14系客車]]であった。なお、名古屋駅から動物園までは[[名古屋市営地下鉄]][[名古屋市営地下鉄東山線|東山線]]で移動し、帰りは[[東海道新幹線]]を使用した。 == その他 == この象列車が運転された1949年(昭和24年)[[5月10日]]、台東区子ども議会が[[参議院]]に「象輸入懇請」の請願書を提出した。同年[[9月25日]]に[[インド]]の[[ジャワハルラール・ネルー]][[首相]]から「[[実在した象の一覧#インディラ|インディラ]]」(なお名前は、首相の娘、[[インディラ・ガンディー]]の名から取ったと言われている。[[朝日新聞社]]が主催)という名の象が上野動物園に送られ、又[[9月4日]]には[[タイ王国]]から送られた「[[はな子]]」(当時は「ガジャ子さん」という名であったとされるが、主催の[[読売新聞グループ本社|読売新聞社]]と[[講談社]]の公募によりこの名に決定した)という豆象が同じく上野動物園に送られたため、翌年以降このような団体専用列車は設定されていない。また、[[1950年]](昭和25年)[[4月28日]] - [[9月30日]]には「インディラ」を[[有蓋車|有蓋貨車]](ワキ1形)に乗せ、[[北海道]]・[[東北地方]]17都市を周る「移動動物園」という企画も行われている。 == 象たちの晩年 == その後も東山動物園では象のショーが行われていたが、1955年(昭和30年)6月17日にマカニーとエルドが担当飼育員を踏み殺す事件が発生して中止となった。2頭は1963年(昭和38年)9月・10月に続けて死亡し、園内に葬られた。 == 関連項目 == * [[かわいそうなぞう]] * [[ドラえもんのひみつ道具 (ゆ)#郵便ロケット|ぞうとおじさん]] == 関連作品 == === 書籍 === * 絵本ノンフィクション「ぞうれっしゃがやってきた」小出 隆司([[岩崎書店]]) * 「ぞうれっしゃよ走れ―みんなの胸から胸へ」清水 則雄、小出 隆司、 藤村 記一郎(労働旬報社) * 合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」藤村 記一郎([[全音楽譜出版社]]) === 放送 === * 「北王さん象を下さい」([[中京テレビ放送|中京テレビ]]、1986年3月放送) * 「子ども列島〜ぞうれっしゃがやってきた」([[日本放送協会|NHK]]、1987年8月放送) * ラジオアングル'90「平和の祈り四十五年」第2部「"ぞうれっしゃ"の歌は広がる」([[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第一]]、1990年8月11日放送) * [[レディス4]] ぞうれっしゃ特集「母と子の終戦記念日」〜戦災をいきのびた象〜([[テレビ東京]]、1990年8月15日放送) * [[ズームイン!!朝!]]「走れ!ぞう列車」([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、1990年8月27日放送) * 終戦60年関連企画 ドラマ「象列車がやってきた」([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]、2005年8月12日放送) * [[奇跡体験!アンビリバボー]]「動物園 壮絶な闘いの物語」([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2008年4月17日放送) === アニメ === * 「象列車がやってきた」(「象列車がやってきた」製作委員会、1992年) - 小出隆司の絵本を原作とした[[アニメ映画]] == 参考文献 == * 「昭和を走った列車物語」([[ジェイティービー|JTB]]) ISBN 4533039480 * 「象は汽車に乗れるか」(JTB) ISBN 4533047378 * 台東区史からの転載「[http://www.versajp.com/jp-india50/topics/zou/zou.html 象のインディラ物語り]」 NPO法人日印交流を盛りあげる会 == 外部リンク == * [http://www.higashiyama.city.nagoya.jp/index_pc.php 東山動物園] * [http://kawaguchizou.sakura.ne.jp/newpage1.html 川口ぞうれっしゃ合唱団] * [http://hiug.sakura.ne.jp/hachiohji-zou/ 八王子ぞうれっしゃ合唱団] * [http://www.geocities.jp/zuikonchinroom1020// 杉並ぞうれっしゃ合唱団] * [http://www.paw.hi-ho.ne.jp/ufo-uno/history.html 「ぞうれっしゃ」と四頭のぞうたちの歩み] {{DEFAULTSORT:そうれつしや}} [[Category:日本の鉄道史]] [[Category:日本の列車]] [[Category:臨時列車]] [[Category:象]]
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