巌流島
巖流島(がんりゅうじま)は山口県下関市にある、関門海峡に浮かぶ島(無人島)。正式な島の名前は船島(ふなしま)であり、住所は「下関市大字彦島字船島」となっている。
概要
本州(下関市彦島)から約0.4kmの関門海峡内に位置する小島である。島全体が平らな地形であり、標高は最高地点でも海抜10mに満たない[1]。島の東海岸に設けられた遊歩道などからは関門海峡を行きかう大型船を間近に見ることができる。また、島の相当部分は公園として整備され人工海浜や多目的広場が設けられている。
宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたとされることで著名となっている。決闘が行われたとされる当時は豊前小倉藩領の船島であったが、小次郎が「巖流」(「岩流」とも)を名乗った[2]ことから巖流島と呼ばれるようになった。
歴史
武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。
かつてはすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉も名護屋から帰坂途中にここで乗船が座礁転覆したさい、毛利水軍によって助けられたと言われている。このとき船と運命を共にした船長の明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には『与次兵衛ヶ瀬』と呼ばれていた。岩礁は大正年間、航行する船舶の増加と大型化の障害となるため爆破されたが、この部分もあわせて三菱重工業[3]によって埋め立てられ、現在の巌流島の一部となった。この埋め立てによって、もともと1万7千平方メートル程度であった島の面積は約6倍の10万平方メートルに広がった。明治中期にはコレラ患者の医療施設が立地していた[1]。
第二次世界大戦の前から周辺が日本軍の要塞地帯となり、撮影はもちろん、小型キャメラすら向けることは禁止された。この軍による規制は非常に厳しく、昭和10年の吉川英治の連載小説『宮本武蔵』では、石井鶴三の描いた巖流島の挿絵に「要塞司令部許可済」との文言が添えられていたほどである。よってこの時期の島の風景写真は残っていない。武蔵の映画が多数製作されても、ロケはもちろん許可されなかった[4]。
戦後、島に移住者があり一時は30世帯に達したが、のち再び減少し1973年には無人島に戻った。近年では狸が生息しているという。
観光
前項の経緯もあり、土地の大半を三菱重工業が所有していたが、島内の相当部分について下関市に譲渡され、2003年に公園として整備された(現在も三菱重工業の所有地が島内に残っている)。これは同年放送されたNHKの大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』の放映にあわせたもの。公園として整備されるさいに宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像が建立されたが、小次郎の像は小次郎ゆかりの地である岩国市[5]出身の彫刻家・村重勝久の作で2002年12月に建立、武蔵の像は公募により廣瀬直樹のデザインを採用した。また、武蔵像は決闘の伝説になぞらえたかのように[6]、小次郎の像から遅れて2003年4月に建立されている。
5月のゴールデンウィークに開催される「しものせき海峡まつり」では、巖流島フェスティバルのイベントとして、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現などが行われる。
島内は禁煙であるほか、遊泳は禁止[1]である。また、ゴミを回収する施設は設けられていない。
交通
島の北端に船着場が設けられており、下関港(唐戸桟橋)および北九州港(門司港)から、関門汽船および遊覧船を運航するチャレンジ(唐戸発のみ)[7]により船便が運航されているほか、彦島江の浦桟橋からのチャーター船なども運航されている。[8]
舞台になった主な作品
- 映画
- 宮本武蔵完結編 決闘巖流島(1956年、東宝、稲垣浩監督)※巖流島のロケは南伊豆の今井浜で行われた
- 宮本武蔵 巖流島の決斗(1965年、出演:中村錦之助・入江若葉・木村功ほか、内田吐夢監督)
- 宮本武蔵(1973年、出演:高橋英樹・田宮二郎・松坂慶子ほか、加藤泰監督)
- 巌流島-GANRYUJIMA-(2003年、出演:本木雅弘・西村雅彦・田村淳ほか、千葉誠治監督)
- ドラマ
- 漫画
- 江戸前鮨職人きららの仕事(2002年 原作:早川光作画:橋本孤蔵) -スシバトル21決勝戦を巌流島・多目的広場に半ドームの特別会場を設置して行った。
関連項目
- 巌流島の戦い (プロレス) - 1987年10月4日に巌流島で行われた、アントニオ猪木とマサ斎藤によるプロレスの試合。
- 昭和の巌流島 - 1954年12月22日に行われた、木村政彦と力道山のプロレスの試合。蔵前国技館で行われた(巌流島で行われたわけではない)
- 巌流焼 -下関市の巌流本舗が製造・販売する土産菓子(和菓子)。同地域での知名度は高く、映画チルソクの夏においても街角の商品看板など、下関の風景イメージの一つとして採用されている。
脚注
外部リンク
- 巌流島ホームページ - しものせき観光ホームページ(下関市)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』第2版 p.607-608、2004年7月、財団法人日本離島センター、ISBN 4931230229
- ↑ 決闘の相手については、そもそも「岩流」の名が先にあり「佐々木小次郎」という姓名自体が後からつけられたものだとする説もある。詳しくは、宮本武蔵#巖流島を参照。
- ↑ 対岸に同社の大規模な造船所(下関造船所)が立地している。
- ↑ 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
- ↑ 大河ドラマの原作となった吉川英治作「宮本武蔵」では佐々木小次郎が周防国岩国出身として描かれている。なお、実際の小次郎は豊前国(福岡県)あるいは越前国(福井県)出身とする説が主流である。
- ↑ 決闘のさい、武蔵が遅れて到着し小次郎を待たせたとされている。また、この除幕式には『武蔵 MUSASHI』で武蔵役を演じた市川新之助(当時)が招待されていたが、交通事情により羽田で予定の飛行機に搭乗できなかったため到着が30分ほど遅れている。
- ↑ 株式会社チャレンジ(公式サイト、2011年2月27日閲覧)
- ↑ 巌流島航路のご案内 - 下関市(2011年2月27日閲覧)