第1次中曽根内閣

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概要

自由民主党単独内閣。中曽根はロッキード事件被告人として糾弾されていた田中角栄の後押しで政権を握ったため、社会民主連合楢崎弥之助などは「中曽根内閣の上に田の字を付けて、田中曽根内閣」と皮肉った[1]

1983年、中曽根が訪韓し、テンプレート:要出典範囲。この後、ロッキード事件の裁判において田中に実刑判決が出た、同年12月の第37回衆議院議員総選挙において自民党は議席を減らす結果となった。

同年1月、都市再開発促進の規制緩和策であるアーバンルネッサンス計画を立ち上げ、都心部(特に東京23区内)の容積率を大幅に緩和した。これは後の地価高騰をもたらす根源的な要因となりバブル景気への道筋を作っていくことになった[2]

閣僚

政務次官

1982年11月30日任命。

楢橋進
鈴木正一 /田代由紀男:1983年7月12日 -

脚注

  1. 前代、前々代の大平内閣鈴木善幸内閣が「角影内閣」と呼ばれていたが、田中の影響が更に増したという意味で「直角内閣」とも呼ばれた。
  2. 段勲千昌夫の教訓』 (小学館文庫、2000年) ISBN 4094043616

参考文献

外部リンク

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