秋田県立秋田工業高等学校
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テンプレート:日本の高等学校 秋田県立秋田工業高等学校(あきたけんりつあきたこうぎょうこうとうがっこう;Akita Prefectural Akita Technical Highschool)は秋田県秋田市保戸野金砂町にある秋田県立の工業高等学校。略称は「秋工(あきこう[1])」または「工業(こうぎょう)」。
沿革
- 1903年5月2日 - 秋田県立工業学校設置。本科機械科・本科建築科・専攻科及び別科を設置し、授業開始。
- 1912年3月31日 - 建築科を廃して電気科を新設。
- 1926年3月31日 - 土木建築科を設置。
- 1936年9月10日 - 第2部機械科を設置。
- 1938年4月1日 - 本科採鉱科および第2部採鉱科を設置。
- 1939年4月1日 - 第2本科電気科を設置。
- 1940年4月30日 - 冶金科および第2本科電気科を増設。
- 1944年3月29日 - 航空機科を設置。
- 1945年3月31日 - 専修科(第2本科電気科)を廃止。
- 1945年4月1日 - 秋田市立工業学校廃止にともない工業化学科移管。
- 1945年8月31日 - 航空機科を機械科と改称。
- 1947年4月1日 - 学制改革により併設中学を置く。
- 1948年4月1日 - 学制改革により秋田県立秋田工業高等学校となる。機械科・電気科・土木科・建築科・採鉱科・冶金科・工業化学科を設置。
- 1951年6月11日 - 定時制課程を新設し、機械科・電気科を置く(定時制の沿革は、秋田県立秋田工業高等学校定時制課程 も参照)。
- 1957年4月1日 - 定時制課程に建設科を増設。
- 1958年4月28日 - 産業科を新設。
- 1968年3月31日 - 産業科を廃止。
- 1968年4月1日 - 採鉱科を地質工業科、冶金科を金属工業科と改称。
- 1973年4月1日 - 地質工業科を地質工学科と改称。
- 1987年3月31日 - 定時制課程の建設科を廃科。
- 1990年4月1日 - 金属工業科を材料技術科と改称。
- 1994年4月1日 - 情報技術科新設。定時制課程電気・機械科くくり募集を導入。
- 1995年4月1日 - 定時制課程が秋田県立秋田東高等学校通信制課程との集団定通併修導入。
- 2000年4月1日 - 土木・地質科新設。土木科、地質工学科の募集を停止。
- 2003年4月1日 - 2学期制開始。
- 2004年4月1日 - 3つの系(生産制御・建設技術・環境物質)によるくくり募集実施。情報技術科の募集を停止し、土木・地質科を土木科と改称する。
- 2005年4月1日 - 定時制課程を秋田県立秋田明徳館高等学校に移管。
- 2006年3月31日 - 情報技術科が廃科。
- 2007年4月1日 - 2つの系(生産制御・建設環境)によるくくり募集実施。材料技術科の募集を停止。二学期制開始。
- 2013年1月1日 - 2007に開始されたくくり募集を25年度募集から廃止。同時に「電気科」の呼称を「電気エネルギー科」に改称。機械科の募集定員を10人減・電気エネルギー、土木、建築、工業科学各科の募集定員を5人減とした。
校訓
質実剛健
教育課程
- 全日制(2007年度より)
部活動
ラグビー部
ラグビー部は、全国高等学校ラグビーフットボール大会で出場64回・全国優勝15回はいずれも歴代最多である。 国体では全国優勝3回で、全国タイトル計18回は歴代最多である。
陸上競技部
陸上競技部は全国高等学校駅伝競走大会男子の部で第15回大会(1964年)に初めて全国出場し、14位。第49回大会(1998年)から第61回大会(2010年)までは13年連続で出場した。最高成績は第57回(2006年)の8位。
吹奏楽部
吹奏楽部は、第35回 マーチングバンドバトントワーリング全国大会 高等学校の部 小編成において 高校の部としては東北支部初の金賞を受賞。 翌年の36回大会でも金賞を受賞している。
その他
- 体育部
- バスケットボール、剣道、バレーボール、バドミントン、ボクシング、空手道、柔道、硬式野球、卓球、ソフトテニス、軟式野球、体操、テニス、サッカー、ウエイトリフティング、レスリング、少林寺拳法
- 文化部
- 写真、文芸、建築研究、吹奏楽、パソコン、アマチュア無線、囲碁
- 同好会
- メカクラブ(レーシング班)、メカクラブ(ロボット班)、化学、JRC
主な出身者
五十音順
- アポロ菅原 - プロレスラー
- 天野芳太郎 - 実業家、アンデス文明研究家
- 伊藤護 - ラグビー選手・日本代表(東芝ブレイブルーパス)
- 遠藤幸雄 - 体操競技選手。オリンピックに3大会連続出場。通算で、個人で2つの金メダルと2つの銀メダル、団体の3つの金メダルを獲得。
- 太田治 - ラグビー選手・日本代表、日本代表ゼネラルマネージャー
- 落合博満 - プロ野球選手、3度の三冠王は史上唯一。監督としても中日ドラゴンズを日本一に導き、正力松太郎賞を受賞。
- 川邉忠義 - プロ野球選手
- 金子洋文 - 小説家、劇作家。参議院議員としても活躍。
- 黒崎昭二 - エフエム秋田パーソナリティー
- 桜庭吉彦 - ラグビー選手・日本代表
- 佐藤尚 - 東洋大学陸上競技部コーチ
- 佐野正文 - ラグビー選手(新日鉄釜石ラグビー部)
- 瀬川淑 - 映画監督
- 瀬下和夫 - ラグビー選手・日本代表(東芝府中ラグビー部)
- 高橋憲一 - プロバスケットボール選手(岩手ビッグブルズ)
- 千葉治平 - 作家
- 土田雅人 - ラグビー選手、サントリーサンゴリアス監督
- 土方巽 - 舞踏家
- 冨樫博之 - 衆議院議員、元秋田県議会議長(定時制課程)
- 堀内靖博 - 映画監督
- 森幹太 - 俳優
- 森下くるみ - AV女優
- 山本勇 - 電気通信大学学長、東京高等工業学校(東京工業大学の前身)教授
- 吉田義人 - ラグビー選手・日本代表。世界選抜に3度選出は日本人で唯一[2]。明治大学ラグビー部監督。
脚注
- ↑ 秋田県立秋田高等学校が現在のように「しゅうこう(秋高)」と呼ばれるようになる前は、本校(秋田県立工業学校、秋田県立秋田工業高等学校)が「しゅうこう(秋工)」と呼ばれていた。その痕跡は、ラグビー部の歌の歌詞「トララ秋工、秋工(しゅうこう、しゅうこう)」に残っている。
- ↑ 明治大学 - 元世界選抜・吉田監督(ラグビー部)×長友選手育ての親・神川監督(サッカー部)TOP対談(共同通信社)(2011年7月10日閲覧)