神代文字
テンプレート:Sidebar with heading backgrounds 神代文字(じんだいもじ、かみよもじ)とは、漢字伝来以前に古代日本で使用されたとされる日本固有の文字の総称である。
概説
神代(初代神武天皇が即位した紀元前660年より前)に使用されたとされる文字である。多くの神代文字には神話や古史古伝に基づく伝承がある。
主に神社の御神体や石碑や施設に記載されたり[1]、神事などに使われており、一部の神社では符、札、お守りなどに使用するほか、神社に奉納される事もあった。機密文書や武術の伝書のほか、忍者など一部の集団で秘密の漏えいを防ぐために暗号として使用されたという。また、江戸時代の藩札の中には、偽造防止のため意図的に神代文字を使用したものもある。
鎌倉時代のころから朝廷の学者によって研究されたほか、江戸時代にも多くの学者に研究されたが、近代以降は、現存する神代文字は古代文字ではなく、漢字渡来以前の日本に固有の文字はなかったとする説が一般的である。その一方で、神代文字存在説は古史古伝や古神道の関係者を中心に現在も支持されている。
伊予文字、秀真文字(ほつまもじ)と呼ばれてきた[2][3]ヲシテについて、日本の古代に実在した文字であるとする説がある[4][5]。
明治時代のころまでは、単に「古い時代にあった(未知の)文字」という意味で「古代文字」と呼ばれるものもあり、遺跡や古墳、山中で発見された文字様のものがそう呼ばれた。この例としては、筑後国で発見され、平田篤胤の著書で有名になった筑紫文字、北海道で発見されたアイノ文字等がある。
歴史
神代文字についてはじめて言及したのは鎌倉時代の神道家の卜部兼方である。兼方は『釈日本紀』(1301年以前成立)で、父・兼文の説として「於和字者、其起可在神代歟。所謂此紀一書之説、陰陽二神生蛭児。天神以太占卜之。乃卜定時日而降之。無文字者、豈可成卜哉者。」と述べ、日本書紀の、神代に亀卜が存在したとの記述から、文字がなければ占いはできないとして、何らかの文字が神代に存在した可能性を示した。
兼方自身はその候補として仮名を考えていたようだが、その後卜部神道では仮名とは異なる神代文字の存在を説くようになった。たとえば、清原宣賢(吉田兼倶の子)は『日本書紀抄』(1527年)で「神代ノ文字ハ、秘事ニシテ、流布セス、一万五千三百七十九字アリ、其字形、声明(シャウミャウ)ノハカセニ似タリ」と、神代文字の字母数や字形等についてかなり具体的に述べている。(例えば、伊勢神宮等で発見された阿比留草文字等の神代文字は声明や謡曲譜本の節博士に似ている。)しかし、室町時代までは神代文字の実物は示されなかった。江戸時代に入り、尚古思想の高まりにより、神代文字存在説も盛んになり、遂に実物が紹介されるに至る。
江戸時代以降、神代文字として数十種類の文字が紹介され、出典となった書籍や発見場所などから名付けられた。神代文字の研究としては、平田篤胤が否定論から肯定論になって最初の論である『古史徴(こしちょう)』第1巻『開題記』所収「神世文字の論」、そして『神字日文傳(かんなひふみのつたえ)』とその付録『疑字篇』が著名である。また、鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は『嘉永刪定神代文字考』において天名地鎮(あないち)文字を世界のすべての文字の根源であると説いた。ほか、三井寺(園城寺)住職の敬光による『和字考』など、数多くの研究がなされた。それらの研究を集大成したのが落合直澄の『日本古代文字考』である。
1930年には、古史古伝(伝説の一種。天皇家以前に王朝があったとする)を教典として伝える天津教という宗教団体が不敬罪[6]で特高警察に弾圧された。このときに検察は国語学者の橋本進吉や教育者の狩野亨吉などの学者を証人として出廷させ、竹内文書の内容と神代文字を全否定させた(詳しくは天津教弾圧事件を参照)。
主な神代文字
- 天名地鎮 - 太占と関係があるという。
- 阿比留文字 - 対馬に伝わる。
- 阿比留草文字 - お札等によく使われる、比較的メジャーな神代文字。
- 阿波文字 - 阿波国名東郡の神社で発見された。
- 出雲文字 - 出雲国の書島(ふみしま)で見つかったとされる。
- カタカムナ文字 - カタカムナ文明で使われていたとされる。
- 豊国文字 - 『上記』(うえつふみ)において用いられる。
- 琉球古字 - 琉球で占いに使われたという文字。
- 北海道異体文字 - 北海道で発見された。
- 筑紫文字 - 筑後国の重定古墳にある壁画を文字とする見解。
- 対馬文字 - 対馬に伝わり、現在も神事に使われる。
- 他の神代文字と異なるという主張もある文字
- 神代文字ではないとされることが多い文字
学術的な議論
神代文字存在説への批判
神代文字存在説への批判は江戸時代に既に湧き起こっていた。否定説を唱えた者としては貝原益軒、太宰春台、賀茂真淵、本居宣長、藤原貞幹などがいるが、中でも伴信友の『仮字本末(かなのもとすえ)』所収の「神代字弁」は神代文字を否定し、後世の偽作とした。以下に否定説の主な論拠を挙げる。
- 古人の証言
- 中臣氏とともに朝廷の祭祀を務めた古代氏族である斎部氏の長老・斎部広成は、『古語拾遺』(808年)において「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘」と記し、漢字渡来以前の日本には文字がなかったと明言した。卜部兼方より約500年前の証言として注目される。
- また『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國(倭国)」に、「無文字 唯刻木結繩 敬佛法 於百濟求得佛經 始有文字」とあり、隋の使節も仏教伝来以前の倭人には文字がなかったと認識していたことがわかる。
- 鎌倉時代の『二中歴』にも「年始五百六十九年内丗九年■号不記支干其 間結縄刻木以成■[7]」とあり[8]「明要十一年」の細注に「元辛酉文書始出来結縄刻木止了」[9]とあり、『宗像大菩薩御縁起』にも「明要元年癸亥停結縄、刻木始成文字」とある[10]ため仏教伝来により結縄刻木をやめて文字を使用したとされる[11]。また「筥埼宮記」(『朝野群載』所収)には「我朝で始めて文字を書き、結縄の政に代えること、即ち此の廟に於て創まる」とある[12]。
- 字母数の問題
- ハングルとの類似点
- 漢字の輸入・仮名を創作する必然
- 出土品
- 考古学の進歩により、古い時代の遺跡や古墳などから文字の書かれた土器・金属器・木簡などが発見されているが、これらの中にも神代文字を記したものは発見されていない。
神代文字存在説
肯定論も古くから存在し、卜部兼方、忌部正通、新井白石、平田篤胤、大国隆正等が唱えた。以下のような主張がある。
- 古人の証言について
- 『古語拾遺』の「蓋聞 上古之世 未有文字 貴賤老少 口口相傳 前言往行 存而不忘」とは「漢字が存在しなかった」という意味であり、「文字が存在しなかった」という意味ではない。斎部広成と同じ斎部氏にあたる忌部正通は『日本書紀口訣』(室町時代?)において「神代の文字は象形なり」と存在を肯定している。また斎部氏に伝わる神代文字(斎部文字と称される)もある。
- 平安時代に嵯峨天皇に日本書紀を講義した勇山文継が書いた「弘仁私記」の中に、「飛鳥岡本宮朝皇太子大に漢風を好み給ふにより、(中略)代々の系譜等を漫りに漢字を以って翻訳し」テンプレート:要検証とある。また日本書紀にも「帝王本紀多に古字あり」や「丙午境部連石積等に命じて、新字一部四十四巻を作らしむ」とありテンプレート:要検証、何らかの「古い文字」があった事を示しているテンプレート:要出典。
- 字母数について
- 阿比留文字について
- 出土品について
- 日本独自の文字の類例
- 仮名の存在について
- 学問以外の部分
- 島国で1000年以上の間漢字に親しんできた日本人には、漢字以前にあったという見慣れない別の「文字」の存在は精神的に受け入れがたく、そこから否定論が起きるとする。肯定論者[20]は、古代日本に文字があった可能性を全否定するのは、古い考えへの拘り、頑迷な態度と主張している。月刊『日本神学』主幹の中野裕道も神代文字否定説について「これは日本人のもつ島国根性といわれる悪い性格傾向によるものであって、近代の学問が科学的態度を重視するように、事実の前にはもっと謙虚にならなければいけない」と述べている[21]。
- 伊勢神宮の神宮文庫には神代文字で書かれている、奉納文が数多く奉納されていることから偽物でないという説もある
一部肯定
伊予文字、秀真文字として神代文字のひとつである[2][3]ヲシテには、11万字におよぶ古文書(ヲシテ文献)が確認されており、記紀との3書比較により先行性が確認されたとの主張や[4]、その文字形によって大和言葉の文法や語源を説明しうるとする主張[5]などにより、少なくともヲシテは実在した古代文字であるとする説がある。
関連文献
- 著名文献
- 新村出『上古文字論批判』
- 橋本進吉『國語学概論』
- 山田孝雄『所謂神代文字の論』
- 落合直澄『日本古代文字考』
- その他
- 國學院大學日本文化研究所 『神道事典』ISBN 4335160232
- 『神道史大辞典』吉川弘文館 ISBN 4642013407
- 『国史大辞典』吉川弘文館
- 吾郷清彦『日本神代文字研究原典』
- 原田実『図説神代文字入門』 発行:ビイング・ネット・プレス 発売:星雲社 2007年 ISBN 9784434101656
脚注
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 2.0 2.1 佐治芳彦『古史古伝入門―正史に埋もれた怨念の歴史 (トクマブックス)』徳間書店 新書 - 1988/10 ISBN 4195037557 引用エラー: 無効な
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タグ; name "kosikoden1"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 3.0 3.1 [[原田実 (作家)|]]『古史古伝論争とは何だったのか』・新人物往来社『歴史読本』2009年8月号
- ↑ 4.0 4.1 池田 満『「ホツマツタヱ」を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代』 展望社 2001/11 ISBN 4885460832
- ↑ 5.0 5.1 池田満監修、青木純雄、平岡憲人著『よみがえる日本語』明治書院 2008年5月 ISBN 9784625634079
- ↑ 「天皇家以前の歴史」を伝えることは、反社会的とされることが多かったテンプレート:要検証。
- ↑ 算博士
- ↑ 「結縄刻木」と「年始」について
- ↑ 常識としての『仏教伝来』
- ↑ 2-4.「善記」「明要」「僧聴」「定居」
- ↑ 「文字成立」年次の「仏教伝来と同時」説について
- ↑ 倭国に仏教を伝えたのは誰か 「仏教伝来」戊午年伝承の研究大江匡房『筥埼宮記』の証言
- ↑ 但し、音韻的対立が必ず表記に反映されるわけではない。例えば日本語には清音と濁音の区別があるが、仮名にはかつてその区別がなかった。また、現代日本語には /oR/: [oː] と /ou/: [ou] の区別がある(「王」と「追う・負う」)が、現代仮名遣いはそれらを区別しない(ともに「おう」)。
- ↑ 上代特殊仮名遣いに対する母音の音韻論的解釈には8母音説のほかに、5母音説、6母音説、7母音説があるが、これらは88音節が区別されていたことへの反論ではなく、語によって区別があったことは否定されていない。
- ↑ 金文吉「神代文字と『六合雑誌』」「宗教研究」2004年3月、日本宗教学会 ISSN:03873293。
- ↑ 漢字の導入は4世紀に始まるが、平安時代に漢字・仮名混じり文が完成するまで、漢文の訓読、宣命体などの試行錯誤を経ている。(漢字伝来 大島正二著 岩波新書 ISBN 978-4004310310)
- ↑ 八木奨三郎 「日本考古学」の「原始時代篇第七章技術」
- ↑ 明治19年(1886年)には神谷由道が『東京人類学会報告』第9号にて琉球の古代文字を発表、また明治20年(1887年)には坪井正五郎が『東京人類学会雑誌』第18号にて北海道の異体文字を発表している。
- ↑ 『赤い鳩(アピル)』小池一夫原作池上遼一作画 小学館刊 ただし本書は学術書ではなく、フィクションの漫画作品である。
- ↑ 吾郷清彦『日本神代文字研究原典』
- ↑ 吾郷清彦『日本神代文字』所引。
外部リンク
- ホツマツタエ - アワのうた
- たあやんわあるど - 神代文字のフォントがある
- 国会図書館デジタルライブラリー
- 富士塚にあった阿比留草文字
- 古代文字便覧
- テンプレート:近代デジタルライブラリー書誌情報
- 『神字日文伝』 - 早稲田大学図書館古典籍総合データベース