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'''朱 拠'''(しゅ きょ、生没年不詳)は、[[中国]][[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]の[[武将]]・[[政治家]]。[[字]]は'''子範'''。[[揚州]]呉郡呉県([[江蘇省]][[蘇州市]])の出身。『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』呉志に伝がある。 呉に仕えた[[朱桓]]の一族で、[[朱異]]の従父に当たる。妻は[[孫権]]の娘(孫魯育)。朱熊・朱損・朱夫人([[孫休]]の皇后)の父、朱宣の祖父。 ==経歴== ===呉の名臣=== 風采がよく、体力に優れ、議論にもまた長けていた。[[黄武]]年の初年に五官郎中となり、侍御史に任命された。当時、選曹尚書の曁艶という人物が人事において大いに幅を利かせていたが、朱拠は天下が定まっていない以上、有能な人物であるのならば多少の欠点にも目をつぶるべきではないかという意見をした。曁艶はこの意見を取り入れず、のちに人望を失い失脚し自害に追い込まれた。 孫権は当時の軍の指揮官の不甲斐なさを嘆き、昔の[[呂蒙]]や[[張温 (孫呉)|張温]]らのことを懐かしく思うようになったが、朱拠を文武の才に秀でた人物と見い出し、呂蒙の後を継ぐ人材として期待。建議校尉とし湖孰に駐屯させた。[[229年]]、[[武昌]]から[[建業]]に都を戻したとき、朱拠は孫権の娘(孫魯育)と結婚し、[[左将軍]]に任命され、雲陽[[侯]]に封じられた。朱拠は贅沢はせずに質素を好み、奢ることも無く、財産や恩賞を好んで振舞った。 人物眼にも優れた才能を発揮し、[[孟宗|孟仁]]など多くの有能な人物を孫権に推挙したが、[[230年]]に[[魏 (三国)|魏]]から偽の投降をしてきた隠蕃の正体を見抜くことができず、[[廷尉]]の[[カク普|郝普]]と共にその人物を賞賛していたため、事態の発覚の後、しばらく遠ざけられたこともある(「胡綜伝」)。 [[呂壱]]が幅を利かせていた時代、部下が大銭を横領したという疑いをかけられ、朱拠自身も呂壱の讒言を信じた孫権により、無実の罪で嫌疑をかけられて数ヶ月も拘禁されたことがある。このときは後に無実だと判明し、赦免された。後に[[潘濬]]などの働きにより、呂壱は誅殺された(「潘濬伝」)。 ===二宮事件=== [[246年]]、[[驃騎将軍]]に昇進した。[[249年]]には[[丞相]]代行として祭祀を執り行った(「呉主伝」)。 これ以前、皇太子であった[[孫登]]が早世したことを契機とし、皇太子の[[孫和]]と魯王の[[孫覇]]の間で後継者争いが起こっていたが(いわゆる[[二宮事件]])、その末に孫和が幽閉されたことを知ると、諸将・吏を引き連れ、自分の顔に泥を塗り、縄で自身の身体を縛ってまで抗議した。しかし、孫権は聞き入れず、逆に怒って朱拠を百叩きの刑に処したうえ、新都郡の丞に左遷して中央から遠ざけた(「孫和伝」)。 嘗て孫覇派の[[中書令]]であった[[孫弘]]は、病床にあった孫権に盛んに讒言をし、ついにはその命令と偽って、朱拠に任地に赴く途中で自殺を命じ、朱拠は自殺した。57歳であった。 子の朱熊・朱損は、[[孫亮]]の時代に兵を預かる身分となったが、後に孫儀の[[孫峻]]に対するクーデター計画の首謀者のひとりとして、伯母の[[孫魯班]](全公主)に讒言された母(朱公主)に連座する形で処刑された(「孫休朱夫人伝」)。また、朱拠の娘を夫人とする[[孫休]]の時代となった[[永安 (呉)|永安]]年間には、孫の朱宣が父祖の功労を認められ、雲陽侯とされ、公主を妻に与えられた。朱夫人も[[262年]]に皇后となった。[[孫皓]]の時代に朱宣は驃騎将軍にまで出世したが、朱夫人(景皇后)は孫皓に疎まれ、[[265年]]に暗殺された。 なお小説『[[三国志演義]]』には記述が無い。 ==評価== [[陳寿]]は「朱拠と[[吾粲]]は、困難な時勢の中、正義を守るために身を滅ぼした。悲しいことである」と評している。 {{DEFAULTSORT:しゆ きよ}} [[Category:三国志の登場人物]] [[Category:呉の人物]] [[Category:蘇州出身の人物]]
朱拠
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