新幹線911形ディーゼル機関車
テンプレート:鉄道車両 911形は、日本国有鉄道(国鉄)が1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業時に、新幹線電車救援用として製造した液体式ディーゼル機関車である。日本車輌製造で3両が製造された。
1号機 (911-1) と3号機 (911-3) は国鉄時代に廃車され、1987年の国鉄分割民営化時には、2号機 (911-2) 1両のみが東海旅客鉄道(JR東海)に引き継がれた。
概要
DD51形をベースとして、箱型両運転台構造の車体、6動軸駆動に改めたもので、新幹線の事業用車共通の青20号と警戒色の黄色5号の塗装(全体が青で、運転台窓下から側面にかけて太く短い黄色の帯)となっている。前面は非貫通で、後のEF66形やDD54型などと似た力強さを感じさせる半流線型のデザインであった。
エンジンは先行車の1号機ではDD51形と同じDML61S (1,000PS/1,500rpm) ×2が使用されたが、量産車の2・3号機では余裕を持たせるため、中期DD51型のDML61Z (1,100PS/1,500rpm) ×2に変更され出力が強化された。液体変速機は初期型DD51形と同じDW2であるが、使用目的によって引張力と速度を2段に切り替えられるように、高速段 (160km/h) と低速段 (92km/h) の副変速機を付加したDW2Bを搭載し6軸の車輪を駆動する。
連結器は工事車両の牽引も考えられていたので、新幹線用密着連結器と並形自動連結器の双頭連結器を装備していた。また、列車救援を念頭において製造されているので、牽引される電車に予備灯電源を供給するためのディーゼル発電装置を搭載し、20‰勾配において16両編成の満員電車に相当する重量を引き出すことが可能となっている。
最高速度は160km/hで、当時の世界最速のディーゼル機関車であった。山陽新幹線開業時、新大阪駅 - 岡山駅間を1時間で走破し、平均速度165km/hのディーゼル機関車世界速度記録を樹立した。
運用
前述のように故障電車の救援用として製造されたが、幸いにもこの目的で使用されることはなく(列車密度等の面から、故障等で立ち往生した列車の救援は本形式を使用するのではなく、前後の列車を使用して行うような措置になったため)、自力走行できない軌道検測車921形0番台を160km/hで牽引する運用についたが、新型検測車922形10番台が導入されると921形0番台は予備車となり[1]、922形10番台の検査入場中の検測や、工事列車の牽引に活用された。
国鉄分割民営化時にJR東海に継承された2号機は1995年に廃車となったが、以降はJR東海浜松工場で保管され、工場の一般公開時(新幹線なるほど発見デー)に展示されていた。
新製時には鉄道ファン1964年11月号の表紙も飾っている。
脚注
テンプレート:日本の新幹線 テンプレート:国鉄のディーゼル機関車
- ↑ 『東海道 山陽新幹線二十年史』日本国有鉄道新幹線総局、1985年、p.918