愛媛県立松山東高等学校

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愛媛県立松山東高等学校(えひめけんりつ まつやまひがしこうとうがっこう)は、愛媛県松山市持田町二丁目にある公立高等学校

概要

藩校・明教館の流れを汲み、旧制松山中学以来の伝統を持つ県内最古の高等学校である。初代校長は草間時福で、同校の校風に多大な影響を与えている[1]。愛媛県尋常中学校時代に夏目漱石第五高等学校へ赴任するまで1年間教鞭をとっており、この体験を元にして小説『坊っちゃん』が描かれた。

2008年(平成20年)6月15日に創立130周年を迎えた。

沿革

  • 1805年文化2年) - 松山藩藩主松平定則により藩校興徳館を創立。
  • 1821年文政4年) - 藩主松平定通が興徳館を移転、修来館と改称。
  • 1828年(文政11年) - 修来館を拡充し明教館と改称。
  • 1872年明治5年) - 学制公布。旧明教館に松山県学校を開設。
  • 1873年(明治6年) - 英学舎と改称。
  • 1875年(明治8年) - 愛媛県に移管し、英学所と改称。
  • 1876年(明治9年) - 愛媛県変則中学校と改称。
  • 1877年(明治10年) - 愛媛県北予変則中学校と改称。
  • 1878年(明治11年) - 愛媛県松山中学校と改称(この年を創立年とする)。
  • 1884年(明治17年) - 愛媛県第一中学校と改称。
  • 1887年(明治20年) - 愛媛県第一中学校を廃校。
  • 1888年(明治21年) - (私立)伊予尋常中学校を開校。
  • 1892年(明治25年) - (私立)伊予尋常中学校を廃校、愛媛県尋常中学校を開校。
  • 1896年(明治29年) - 東予分校(現:愛媛県立西条高等学校)・南予分校(現愛媛県立宇和島東高等学校)を開校。
  • 1899年(明治32年) - 愛媛県松山中学校と改称。東予分校が愛媛県西条中学校、南予分校が愛媛県宇和島中学校として独立。
  • 1901年(明治34年) - 愛媛県立松山中学校と改称。
  • 1916年(大正5年) - 現在地に移転。
  • 1934年(昭和9年) - 火災により本館・講堂その他焼失。
  • 1942年(昭和17年) - 火災により本館その他焼失。
  • 1945年(昭和20年) - 戦災により明教館、プールを除く全建物焼失。
  • 1948年(昭和23年) - 学制改革により愛媛県立松山第一高等学校となる。通信教育部を設置。
  • 1949年(昭和24年) - 愛媛県立松山東高等学校と改称。愛媛県立松山商業高等学校と統合し商業科を設置。
  • 1950年(昭和25年) - 通学区制、男女共学を実施。
  • 1952年(昭和27年) - 愛媛県立松山商業高等学校が独立し商業科を廃止。

設置学科

主な施設と設備

  • 第一教棟(事務室、保健室、職員室、校長室、音楽室、進路室、3年HR(ホームルーム)教室、音楽室、進路室、アリーナ等)
  • 第二教棟(1・2年HR教室)
屋上には、松山地方気象台の風向・風速計、日射・日照計が設置されている。これは、松山地方気象台の西側、県知事公舎跡地に高層マンションが建設され、正確なデータが測定できなくなる恐れが出てきたため2006年(平成18年)12月に移転したものである。
  • 第三教棟(2・3年数学・英語講座用教室、通信制スクーリング用教室、コンピューター室、視聴覚室)
2・3年生の数学・英語講座や通信制課程の教室として使われている。なお、1学年11クラス時代は、第二教棟(20クラスぶんの教室)に収まりきらなかった2クラスが使用していた。
  • 特別教棟(被服室、調理室、書道室、美術室、化学講義・実験室、生物講義・実験室、物理講義・実験室、地学講義室、地歴公民講義室)
  • 冷暖房
    • 1994年(平成6年)夏に発生した未曾有の「松山大渇水」のとき、図書館の冷房は水冷式であることが災いして使えなかった。
    • 2005年(平成17年)度より全教室にエアコンが設置された。このためエアコン使用料が徴収されている。

本館新築工事

耐震性の確保を主な理由とし、2008年(平成20年)7月から本館の新築工事が行われた。同年8月までに本館の解体と新本館の着工が開始され、校長室を含む旧本館の全設備と1年生の3クラスが仮校舎に移動、残りの7クラスについては特別教棟や用途を失った第三教棟の2教室などを充てて同年度は対処した。完成した新校舎の供用は2009年(平成21年)3月27日から開始され、ぬくもりのある環境とするべく木材を随所に使用し床はフローリング仕上げとしたため、校舎内は既存の建物を含めすべてのエリアが土足禁止となった。

新本館は既存の鉄筋コンクリート造4階建て延べ2,618m²を解体して跡地に建設。その規模は鉄筋コンクリート造3階建て延べ3,453m²で、3階の一部が体育館 (592m²) である。完成後には既存の古い西体育館を解体して跡地にクラブハウスが建設された。

修学旅行

従来からの立山黒部アルペンルートに加え、北海道関東のルートがある。中国行きも設定されているが、生徒の希望数が少なく、2008年(平成20年)からは実施されていなかったが、2010年(平成22年)は万博等により希望者が伸びたため実施された。沖縄行きは2005年(平成17年)度より廃止となった。 その後2013年(平成25年)には治安や環境等の危険を考慮し、中国行きは廃止、再度沖縄行きが登場した。

校歌

洲之内徹1930年(昭和5年)に松山中学を卒業)作詞、近衛秀麿作曲。

  • 学校名・地名が一切入っていない、極めて独特のものである。
  • 1953年(昭和28年)、作詞を依頼された当時の洲之内徹は芥川賞の候補にもなった新進の小説家であったが、すでにできあがっていた曲に合わせて作詞をしたため苦労したようである。

部活動

野球部

硬式野球部の設立は1892年(明治25年)と愛媛県内で最古[2]であり、1950年(昭和25年)に、夏の甲子園優勝している。ただし、この優勝は商業科を併設した統合時代のものであるため、出場回数と優勝回数の記録は本校と松山商業とで共有する。松山商業の優勝回数としてクローズアップされることが多いとはいえ、同時に松山東の優勝記録でもあり、記念大会の歴代優勝校の校旗の入場行進時には当然、本校の校旗も連なっている。

戦前の松山中学時代の野球部は、愛媛県内では松山商業に次いで強かったとされ[3]1933年春の2回甲子園に出場している。

2014年夏の県大会では、実に63年ぶりに決勝戦まで勝ち進んだ。

ラグビー部

ラグビー部の創部は1932年(昭和7年)。1939年、1940年、1947年の全国中等学校蹴球大会、1970年の全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場。

ハンドボール部(男子)

1971年、1975年、2008 - 2010年のインターハイに出場。

ボート部

2013年、朝日レガッタ高校女子ダブルスカルで優勝。世界ジュニアボート選手権出場。

2014年、全国高等学校選抜ボート大会女子舵手付クォドルプルで準優勝。朝日レガッタ高校女子舵手付クォドルプルで優勝。


そのほか弓道部、テニス部、ソフトテニス部、卓球部、陸上部、水泳部、ダンス部などでインターハイ国体等の出場者を輩出している。

吹奏楽部

1987年度と2010年度の全日本アンサンブルコンテスト出場者を輩出。

コーラス部

1972年と1976年と2006年のNHK全国学校音楽コンクールに出場。1976年には最優秀賞に選ばれている。

文芸部

1950年の部誌『掌上』創刊時のメンバーに伊丹十三がおり、翌年には大江健三郎も編集に参加。

俳句部

全国高校俳句選手権大会(俳句甲子園)の常連で、2001年、2012年に優勝、1999年、2002年、2006年に準優勝している。

囲碁将棋部

第15回全国高等学校文化連盟将棋新人大会(2007年)、第21回全国高等学校将棋竜王戦(2008年)で個人戦5位入賞。全国高等学校将棋選手権大会(全国高等学校総合文化祭将棋部門)の常連で、県内団体戦4連覇。2010年に全国ベスト16。

そのほか、美術部、書道部、放送部、かるた部などで各種全国大会出場者を輩出している。

「がんばっていきましょい」

敷村良子の小説「がんばっていきまっしょい」は当校が舞台。これを原作に2度映像化され、1998年公開の映画は当校で、2005年放送のテレビドラマでは松山北高校と当校で撮影された。映画版では「伊予東高校」、ドラマ版では「松山第一高校」として登場する。これら劇中登場の2校は実在しないが、1948年から49年にかけて、当校が「松山第一高等学校」と名乗っていた時期もあった。

石碑

校内(グラウンド東側)に「がんばっていきましょい」と記された石碑がある。

学校行事

  • 春 - リレーカーニバル
  • 夏 - ボートレース大会
  • 秋 - 運動会文化祭
  • 冬 - 予餞会(3年生の送別会)

その他、2回のグループマッチ、クラスマッチなど。

この中で毎年9月に実施される運動会が一番のメイン行事であり、生徒たち自らが竹林で竹を取ってきて櫓(やぐら、生徒が座る観客席風のスタンド)を作ったり、巨大な人形、各グループの陣地のバックに掲出するパネ絵(かつては朝昼夕の3枚あったが現在は朝夕の2枚になった)などを運動会当日よりかなり前から行う。なお、グループは青柳(せいりゅう、名前の由来となったヤナギの木は老化と道路拡張工事に伴い伐採された)、紫雲(しうん)、紅樹(こうじゅ)、黒潮(くろしお)の4つに分けられている。

交通

  • 伊予鉄道市内線勝山町電停から徒歩8分。
  • 伊予鉄バス東高前停留所からすぐ。南持田停留所から徒歩3分。

著名な出身者

それぞれ、五十音順に記す。

藩校(明教館)時代

旧制中学(松山中学等)時代

新制高校(松山東高校等)時代

関連項目

参考文献

  1. 構造改革特別区域計画
  2. 宇和島東高・栄光の伝説
  3. 結踏一朗『野球の島に四商ありて』、愛媛新聞社、平成9年 ISBN4-900248-43-6

外部リンク

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