広島県立尾道商業高等学校

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テンプレート:日本の高等学校 広島県立尾道商業高等学校(ひろしまけんりつ おのみちしょうぎょうこうとうがっこう)は、広島県尾道市古浜町にある県立商業高等学校

かつては野球の強豪校であり、春の選抜高校野球では1964年(第36回)と1968年(第40回)に準優勝しているが、1986年(第58回)を最後に出場していない。なお夏の甲子園には1958年(第40回)に1度だけ出場している。 近年は文系クラブの活躍が目立っており、簿記部(2005年・2006年・2013年)、情報処理部(2003年~2006年・2012年)、ワープロ部(2012年・2013年)、が全国大会に出場している。通称は、尾商(おのしょう)である。

沿革

  • 1887年明治20年) - 市邨芳樹が私立尾道商法講習所として創立する。
  • 1888年(明治21年) - 公立尾道商業学校を開校する。
  • 1895年(明治28年) - 尾道簡易商業学校に改称する。
  • 1898年(明治31年) - 広島県に移管し広島県商業学校と改称する。
  • 1901年(明治34年) - 広島県立尾道商業学校と改称。
  • 1948年昭和23年) - 学制改革により広島県尾道商業高等学校と改称する。
  • 1949年(昭和24年) - 再編により全日制(普通科・生活科・商業科)の広島県尾道西高等学校になる。
  • 1953年(昭和28年) - 広島県立尾道商業高等学校(商業科のみ)となる。
  • 1988年(昭和63年) - 創立100周年を迎える。
  • 1991年平成3年) - セミナーハウスを竣工する。
  • 2005年(平成17年) - 新体育館(アリーナ)完成。2号館リフレッシュ工事完了。

学科

  • 商業科
  • ビジネス会計科
  • 情報管理科

エピソード

1953年4月1日、尾道西高校時代にプロ野球公式戦、広島東洋カープ大洋松竹ロビンスが当校校庭で開催された。当時、公式戦を開催できる基準を満たす球場が広島県内には少なかったため、学校や企業のグラウンドを会場にした試合は珍しくなかったが、校庭にはフェンスがなく、客席とグラウンドはロープだけで仕切られた状態にあった。そのため、広島・白石勝巳選手の放った打球が右中間に飛び込む本塁打となったが、このプレーをめぐり大洋松竹の小西得郎監督が異を唱えた。これは観客がロープをわざと前に押し出したのではないかとの猛抗議をしたが受け入れられなかった。ちなみにこの試合は観客のアシストにもかかわらず、ロビンスが2対1で勝利している。

著名な卒業生・出身者

その他

広島県立尾道工業高等学校広島県立総合技術高等学校へ統合されて閉校されたのにともない、同校の卒業証明書などの発行事務を取り扱っている。

関連項目

外部リンク

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