広島県立三次高等学校
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広島県立三次高等学校(ひろしまけんりつ みよしこうとうがっこう)は、広島県三次市南畑敷町にある普通科の県立高等学校。略称は「三高」(さんこう)。
2005年に硬式野球の夏の甲子園広島県大会で43年ぶりに決勝進出を果たしたが、県代表の切符をあと1勝のところで逃した。
所在地
〒728-0017 広島県三次市南畑敷町155
沿革
- 1898年 - 広島県第三尋常中学校創立(4月20日)、現校地に校舎・寄宿舎落成(6月25日)
- 1899年 - 広島県第三中学校と改称(4月1日)
- 1901年 - 広島県立三次中学校と改称(6月11日)
- 1908年 - 双三郡立技芸女学校創立(4月15日)
- 1920年 - 双三郡立高等女学校と改称(4月1日)
- 1921年 - 広島県立三次高等女学校と改称(4月1日)
- 1948年 - 広島県三次西高等学校(広島県立三次高等女学校を継承)開校(4月30日)、広島県三次高等学校(広島県立三次中学校を継承)開校(5月10日)、定時制夜間課程設置(9月1日)、定時制課程君田分校開校(9月2日)
- 1949年 - 両校が統合して、旧三次高校校地校舎に広島県三次高等学校として開校(4月11日)、定時制課程作木分校開校(5月14日)
- 1962年 - 塩町高等学校布野分校を三次高等学校布野分校として移管(4月1日)
- 1963年 - 定時制課程君田分校,作木分校,布野分校を全日制分校に改革(4月1日)
- 1968年 - 広島県立三次高等学校に改称 創立70周年式典挙行
- 1976年 - 第13学区総合選抜による入試制度開始
- 1980年 - 君田分校、布野分校閉校(3月2日)
- 1987年 - 作木分校閉校(3月8日)
- 1991年 - 総合選抜入試制度廃止
- 1996年 - 商業科募集停止(4月1日)
- 1998年 - 創立100周年式典挙行(4月26日)
- 2003年 - 理数コースを開設(4月1日)
- 2010年 - 理数コースを募集停止(4月1日)
校風
「一校一和・明るく楽しく正しくまじめに」
著名な卒業生
- 柏村武昭 - タレント、元参議院議員
- 梵英心 - プロ野球選手、広島東洋カープ
- 中重勝 - ライフル射撃選手。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪代表
- 金藤理絵 - 競泳選手、北京オリンピック日本代表選手
- YORI - DA PUMP
- 永川光浩 - プロ野球選手、広島東洋カープ
- 倉田百三 - 劇作家、評論家、哲学者、国家主義者
- 中村憲吉 - 歌人(「アララギ」所属)
- 桑原正紀 - 歌人(「コスモス」所属)
- 正木亮 - 刑法学者、弁護士
- 野村秀雄 - ジャーナリスト、第8代NHK会長、元朝日新聞社社長
- 佐々木吉郎 - 経営学者、元明治大学総長、札幌大学初代学長
- 藤井深造 - 実業家、新生三菱重工業初代社長
- 岩本義行 - 元プロ野球選手、松竹ロビンス他
- 島田虔次 - 中国思想史学者
- 森滝市郎 - 原水爆禁止運動に尽力
- 稲垣人司 - 元高校野球監督
- 辻村寿三郎 - 人形作家
- 竹河内捷次 - 元統合幕僚会議議長
- 坂井義則 - 陸上選手、東京オリンピックの開会式で聖火リレーの最終ランナーを務めた。
- 吉岡広小路 - 前三次市長
- 増田和俊 - 三次市長、元作木村長
- 児玉正憲 - 日本生産管理学会会長、前広島修道大学学長、九州大学名誉教授
- 橋本勇夫 - 日本でただ一人のオルゴール作曲家
- 住田正一 - 東京都副知事、呉造船所社長
- 浅原利正 - 広島大学学長
- 竹本正道 - 日東電工取締役会長(CEO)、前取締役社長、広島県立広島皆実高校へ途中で転校
- 高橋浩之 - 新潟農事試験場水稲育種指定試験地主任技師、コシヒカリの生みの親
- 長谷部成彦 - 俳優
- 宮本弦 - トランペット奏者、第4回津堅コンクール第1位、第6回 東京音楽コンクール金管部門第2位、第25回日本管打楽器コンクールトランペット部門第2位、第78回日本音楽コンクールトランペット部門第2位、名古屋フィルハーモニー交響楽団、三次高校吹奏楽部OB
- この他、相良八重、二葉あき子が教師として在籍。