山陽電気鉄道網干線

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|} 網干線(あぼしせん)は、飾磨駅から山陽網干駅までを結ぶ山陽電気鉄道鉄道路線。全線が兵庫県姫路市内を走行する。

新日鐵住金広畑製鐵所をはじめとする沿線の工場群への通勤路線というかつての色合いは薄れ、現在では網干線沿線から姫路・明石・神戸方面への通勤客や、周辺地域から沿線高校(兵庫県立姫路南高等学校兵庫県立網干高等学校)への通学利用が多く見られる。

2000年以降、飾磨・山陽網干駅以外のすべての駅で、駅員の常駐がなくなった。駅員は定期的に巡回しており、駅員の在勤時には、企画乗車券の販売や両替等の出札対応が行われているが、各駅のその時間帯については明示されていない。

路線データ

  • 路線距離:8.5km
  • 軌間:1435mm
  • 駅数:7駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:自動閉塞式
  • 運行管理システム:SANTICS(サンティクス:Sanyo Traffic and Information Control System)

運行形態

かつては、通勤時間帯などに電鉄姫路駅(現・山陽姫路駅)への直通運転が見られたが、1991年(平成3年)のダイヤ改正で無くなって以降、本線直通の運用は存在しない。網干線内の折り返しのみである。運行本数は、平日の日中が毎時4本(15分ごと)、平日の通勤時間帯には毎時5本(12分ごと)、土休日は終日毎時4本(15分ごと)が基本となっている。

車両は、3両編成の3000系または3200系が使用されている。1995年(平成7年)からはワンマン運転を行っており、網干線運行の車両には、ドアチャイムや自動案内放送装置が設置されている。なお、ワンマン運転ではあるが、車内での料金収受が一切ないため、運賃箱・運賃表示器等の機器は設置されていない。

ファイル:広畑駅で交換する臨時特急「観梅号」と、「観梅号」の回送。.JPG
広畑駅で交換する臨時特急「観梅号」と、「観梅号」の回送(1995年)

過去には、例年2 - 3月の週末に綾部山梅林への送客を目的とした網干線直通の臨時特急「観梅号」が運転されていた。車両は5000系の4両編成で運転され、当時は4両編成であった3次車で運行されたこともあった。高速神戸駅始発(復路は新開地駅行き)とし、本線内は特急停車駅に停車、網干線内はノンストップで運行された(運転停車あり)。定期列車が3両編成のみで、特急の運転がない網干線では、貴重な優等列車であったが、本線で直通特急が運行開始されて以降は、一度も運転されていない。

歴史

  • 1940年(昭和15年)
    • 10月15日:電鉄飾磨駅 - 夢前川駅間が開業。
    • 12月23日:夢前川駅 - 日鉄前駅間が開業。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月27日:広畑駅 - 電鉄天満駅間が開業。日鉄前駅を広畑駅に改称。
    • 7月6日:電鉄天満駅 - 電鉄網干駅間が開業し全通。
  • 1991年(平成3年)4月7日:山陽姫路駅との直通列車廃止。電鉄飾磨駅を飾磨駅、電鉄天満駅を山陽天満駅、電鉄網干駅を山陽網干駅に改称。
  • 1995年(平成7年)
  • 2011年(平成23年)
    • 3月1日:駅構内の喫煙コーナーを廃止し、駅構内を全面禁煙化。
  • 2014年(平成26年)4月1日:全駅に駅ナンバリングを導入[1]

網干線延伸計画

一時は網干線を現在の国道250号にほぼ並行する相生赤穂経由ルートで岡山、さらにテンプレート:要出典範囲があった。

山陽電気鉄道が、兵庫県南部に限定された路線であるにもかかわらず「山陽」という広範囲をあらわす地名を用いていることは、宇治川電気時代末期から山陽電気鉄道設立に至る当時の拡大姿勢を唯一今日に残すものと言える。このように、実際の所在地と会社名との相違は、南海電気鉄道上信電鉄江若鉄道三岐鉄道などに見られるものと同様である。

そもそも「山陽電気鉄道」の社名は、宇治川電気時代の1928年に飾磨 - 岡山間の鉄道敷設免許申請を行った際、別名義として用いられたことに始まる。この免許申請は、当時の鉄道省が有年 - 赤穂 - 西大寺という競合ルートの計画(戦後赤穂線として開通)を持っていたため却下された。

しかし、その後も飾磨 - 赤穂間については、鉄道省の計画線と競合しないことから延伸が検討され続け、1936年に再び電鉄飾磨 - 相生(那波)間の鉄道敷設免許申請が行われた。この際、電鉄飾磨 - 網干間については、日本製鐵(現在の新日鐵住金)の製鉄所建設決定など急速な工場立地が進んだことから、その必要性に加えて緊急性が認められ、1937年に免許が交付された(日米開戦直前の1940年10月から翌年7月にかけて全線が開通)。しかし、残る網干 - 相生間については却下された。

残る区間の建設計画が再浮上したのは戦後になってからで、1952年に姫路市網干 - 赤穂市上仮屋間25.2kmの鉄道敷設免許が交付された。前年(1951年)に、国鉄赤穂線の相生駅 - 赤穂駅間が開業していたにもかかわらず、並行する路線免許の交付がされた背景には、燃料事情の極端な悪化でバスなどの運行が困難であった当時の社会情勢が影響している。

しかし、実際には揖保川への橋梁架設など建設工事にあたって様々な技術的困難が存在し、また多額の建設資金が必要であったこと、その後の急速な燃料事情回復から鉄道延伸の必然性自体が低下したため、ほどなく計画は中断するに至った。そして、1971年秋の網干 - 相生間免許失効をもって、網干以西への延長計画は消滅している。

駅一覧

駅番号 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 所在地
SY 40 飾磨駅 - 0.0 山陽電気鉄道:本線 飾磨区
SY 51 西飾磨駅 2.4 2.4  
SY 52 夢前川駅 1.2 3.6   広畑区
SY 53 広畑駅 1.1 4.7  
SY 54 山陽天満駅 0.9 5.6   大津区
SY 55 平松駅 1.7 7.3  
SY 56 山陽網干駅 1.2 8.5   網干区

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

  • 1.0 1.1 テンプレート:PDFlink - 山陽電気鉄道、2014年2月7日