尾道中学校・高等学校

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尾道中学校・高等学校(おのみち ちゅうがっこう・こうとうがっこう)は広島県尾道市向島町にある学校法人尾道学園が運営する全日制の私立の中学校並びに総合高校である。高等学校は尾道小・中学校PTA連合会が母体となり設立した経緯がある全国的にも珍しい高等学校である。通称は尾道または、尾高(おのこう)。

沿革

  • 1957年 栗原町1268番地の1に開校(普通科・商業科)
  • 1960年 工業科(機械科)を設置、翌年には電気科も設置、現在に至る。
  • 1967年 屋内温水プールを設置。
  • 2000年 通信制課程を設置。
  • 2002年 屋内温水プールを取り壊し。
  • 2005年7月 通信制課程の募集停止
  • 2006年 校名から「広島県」を取り、「尾道高等学校」とする。この年度から中学校も新設し「尾道中学校」との併設となる。校章も「尾」の字が羽ばたく様子をイメージしたものに刷新した。
  • 2007年5月 新校歌制定(作詞:光原百合(作家)、作曲:小原孝(ピアニスト、作曲家))。旧校歌は学校賛歌へ
  • 2007年 総合ビジネス科の募集を停止。
  • 2009年8月 尾道市向島町にあった広島県立尾道工業高等学校跡地へ移転。始業式が8月28日に9月1日に向島キャンパス開校式が執り行われる。

高等学校の学科

募集停止

部活動

水泳部

古くから水泳の歴史で広島県は中枢を担ってきていたが[1]、徳田一臣のスパルタ教育で全国一の強豪だった三原三中出身選手の受け皿に1967年昭和42年)、尾道高校に水泳部が出来ると、当時としては珍しい屋内プールを作るなど強力なバックアップを敷き、翌1968年(昭和43年)の広島全国高校総体全国高校選手権)で白パンツ旋風を巻き起こし11の高校新をマークし圧勝[2][3]1969年(昭和44年)、鶴峯治が監督に就任すると、さらに実力を伸ばし高校総体5連覇を含む優勝9回、1976年モントリオールオリンピックでは、男子水泳代表選手を、全員尾道高校現役かOBで固めるという空前絶後の黄金時代を築いた[2][3][4][5]。またこの尾道高校の出身選手を「広島に残そう」と広島の水泳関係者の尽力で広島市内に出来たのがフジタドルフィンクラブで、ここで育った田口信教1972年(昭和47年)、ミュンヘンオリンピックで金メダルを獲得した[1]。尾道高校とフジタドルフィンクラブには全国のトップ選手が集まり、1970年代広島は日本の男子水泳の中心になった[1][2][6]。しかし世界を目指すエリートたちの水泳部は、高校のクラブ活動の限界を越える諸問題があり1979年(昭和54年)、鶴峯監督と主力選手が中京高校に転校した[7][8]。チームは勿論、その後弱体化し、現在では温水プールも取り壊されているが、ОBの田口が柴田亜衣らを、田口の尾道高校時代の同級・石森昌治古賀淳也らを育てている[9]

近年ではラグビー部の強化に力を入れており、全国高等学校ラグビーフットボール大会でベスト8に入るなどの活躍をしている。野球部もここ数年、上位に進出している。

卒業生

歴代校長

  • 初代:岡田茂二
  • 二代:佐藤暢三
  • 三代:小林武夫
  • 四代:長山慶次郎
  • 五代:武田利明
  • 六代:桑田邦敬
  • 七代:多和志朗
  • 八代:村瀬俊之
  • 九代:平賀正幸(2006年度8月に交代)

姉妹校

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 1.2 体力健康新社 クラブの履歴書 フジタドルフィンクラブナタリー
  2. 2.0 2.1 2.2 金枡晴海『広島スポーツ100年』中国新聞社、1979年、p260-261、271-272、292-293
  3. 3.0 3.1 河野徳男『広島スポーツ史』財団法人広島県体育協会、1974年、p240-249
  4. 週刊サンケイ、1976年7月8日号p187-188
  5. 中京大学水泳部 大学紹介
  6. 『広島スポーツ史』p245
  7. 『広島スポーツ史』p247
  8. 週刊サンケイ、1979年3月15日号p27
  9. 島村俊治(アラカルト)