小村徳男
テンプレート:サッカー選手 小村 徳男(おむら のりお、1969年9月6日 - )は、島根県松江市出身の元サッカー選手(DF)、指導者。
目次
来歴
松江市立乃木小学校、松江市立湖南中学校出身[1]。島根県立松江南高等学校時代からセンターバックとしてプレーするものの、当時は無名の存在だった[1]。
順天堂大学には学業推薦で入学、サッカー部に所属するものの当初は実質3軍に所属した[1]。大学2年時に1軍に抜擢され[1]、大学3年でレギュラーとなる[2]。この年は、順天堂大学蹴球部黄金期で数々のタイトルを獲得した[2]。大学卒業の翌年にJリーグ開幕を控え、当時JSLに所属しJリーグ参加を表明していたマツダ(サンフレッチェ広島)、松下(ガンバ大阪)、三菱(浦和レッドダイヤモンズ)、住金(鹿島アントラーズ)、日産(横浜マリノス)などからオファーが届いた中で、大学時代から代表で共にプレーした井原正巳とのプレーを選択する[2]。
1992年、横浜マリノスに入団[2]。Jリーグ開幕とともに井原とセンターバックのコンビで活躍し、日本代表にも招集され、1998年のフランスW杯に出場した[2]。
2002年にベガルタ仙台に移籍。チームの守備の柱として奮闘。
2004年からは地元島根に近いサンフレッチェ広島へ移籍。
2006年シーズン途中にJ2の横浜FCに期限付き移籍し、J2優勝に貢献。シーズン終了後には移籍元の広島からの戦力外通告に伴い完全移籍した。
しかし2007年シーズンにはチームがJ2落ちし、シーズン終了後に戦力外通告を受ける。その後、地元である山陰からJリーグ参入を目指す日本フットボールリーグのガイナーレ鳥取へ移籍。2008年シーズン終了後、「来年に向けて監督・チームとの信頼関係を築くことができず」として現役引退[3]。
2009年、JFAアンバサダー[4] として各地でサッカー教室を開催、同年Jリーグアウォーズにて功労選手賞を受賞。2010年、JFA 公認S級コーチライセンスを講習[4]。
2012-13シーズンより、フジテレビワンツーネクストでのドイツ・ブンデスリーガ中継で解説者を務める。
2012年12月7日、2013年シーズンからガイナーレ鳥取の監督に就任することが発表された[5]。だが第28節終了時点で20位と低迷し、8月12日に解任された[6]。
エピソード
- 横浜Mに在籍していた1996年11月9日の対広島戦(三ツ沢球技場)で、DFとして非常に稀なハットトリックを達成したこと(試合も3-1で勝利)もある[7]。なお、この試合は広島の得点も小村のクリアミスによるオウンゴールだったため、1試合における両チームの全得点を1人のDFがたたき出したという珍記録でもある。
- 広島在籍時の2006年3月21日の京都パープルサンガ戦(西京極)で後半ロスタイムに広島のゴールキーパーの下田崇が退場した。このとき広島は交代枠を使い切っていたため控えGKとの交代が出来ず、小村が控えGK・木寺浩一のユニフォームを借りてGKを務めた。GKとしてのプレーは相手フリーキックのワンプレーのみで、それも味方の作った壁が跳ね返したため、1度もボールに触れることなく試合終了となった。GKに選ばれた理由は単に身長が高いためだと言われている。なお、試合は引き分けている。
- 横浜F・マリノス在籍当時の2000年2ndステージ開幕戦・対FC東京においても、正GKの川口能活が負傷退場・交代枠無しという理由で、同じくGKを務めた事がある。
- 国際Aマッチデビューは小村自身が「忘れもしない」という1995年のスコットランド戦。記念すべき代表デビューの試合で退場になった。
- ポルトガル語が堪能で、チームメイトにブラジル人がいる場合は積極的に通訳・コミュニケーション役も務めた。
所属クラブ
- 1985年 - 1987年 : 松江南高校
- 1988年 - 1991年 : 順天堂大学
- 1992年 - 2001年 : 横浜マリノス/横浜F・マリノス
- 2002年 - 2003年 : ベガルタ仙台
- 2004年 - 2006年8月 : サンフレッチェ広島
- 2006年8月 - 2007年 : 横浜FC
- 2008年 : ガイナーレ鳥取
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1992||rowspan=7|横浜M||rowspan=5|-||rowspan=7|J||colspan="2"|-||1||1||4||1||5||2 |- |1993||29||0||3||0||3||0||35||0 |- |1994||33||3||3||2||4||1||40||6 |- |1995||43||5||colspan="2"|-||2||1||45||6 |- |1996||24||5||14||4||1||0||39||9 |- |1997||rowspan=5|5||9||0||0||0||2||0||11||0 |- |1998||32||3||0||0||1||0||33||3 |- |1999||rowspan=3|横浜FM||rowspan=8|J1||27||3||6||0||3||0||36||3 |- |2000||30||2||6||2||3||2||39||6 |- |2001||21||1||5||0||0||0||26||1 |- |2002||rowspan=2|仙台||rowspan=2|4||28||4||5||0||2||0||35||4 |- |2003||20||0||5||0||1||0||26||0 |- |2004||rowspan=3|広島||rowspan=3|3||25||3||5||1||1||0||31||4 |- |2005||33||0||5||0||2||0||40||0 |- |rowspan=2|2006||9||0||1||0||colspan="2"|-||10||0 |- |rowspan=2|横浜FC||rowspan=3|30||J2||15||1||colspan="2"|-||0||0||15||1 |- |2007||J1||18||0||1||0||2||0||21||0 |- |2008||鳥取||JFL||17||0||colspan="2"|-||0||0||17||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始381||29||60||10||31||5||472||44 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行15||1||colspan="2"|-||0||0||15||1 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行17||0||colspan="2"|-||0||0||17||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終413||30||60||10||31||5||504||45 |} その他の公式戦
- 1995年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 1996年
- 2000年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
代表歴
出場大会など
- バルセロナオリンピックアジア予選
- 1996年 アジアカップ
- 1998年 フランスW杯
試合数
- 国際Aマッチ 30試合 4得点(1995-1998)[8]
テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |1995||4||0 |- |1996||12||2 |- |1997||10||2 |- |1998||4||0 |- !通算 |30||4 |}
関連項目
経歴・タイトル
クラブチーム
- Jリーグ初出場 1993年5月29日対ジェフユナイテッド市原戦(三ツ沢球技場)
- Jリーグ初得点 1994年6月11日対横浜フリューゲルス戦(平塚競技場)
代表
指導者経歴
- 2013年 - 同年8月 テンプレート:Flagicon ガイナーレ鳥取 監督
監督成績
年度 | クラブ | 所属 | リーグ戦 | カップ戦 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | |||
2013 | 鳥取 | J2 | 20位 | 28 | 26 | 5 | 11 | 12 | - | - |
解任時点の成績。
脚注
関連項目
- 島根県出身の人物一覧
- 順天堂大学の人物一覧
- サッカー日本代表出場選手
- 横浜F・マリノスの選手一覧
- ベガルタ仙台の選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- 横浜FCの選手一覧
- ガイナーレ鳥取の選手一覧
- Jリーグ監督経験者
外部リンク
テンプレート:Jリーグ功労選手賞 テンプレート:ガイナーレ鳥取及びその前身チーム歴代監督
テンプレート:Navboxes- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 テンプレート:Cite web
- ↑ ガイナーレ鳥取 小村徳男選手引退のお知らせ
- ↑ 4.0 4.1 2010(平成22)年度公認S級コーチ養成講習会 受講者一覧(JFA公式、pdf)
- ↑ 小村徳男氏 監督就任のお知らせ ガイナーレ鳥取公式サイト 2012年12月7日
- ↑ 監督交代のお知らせ ガイナーレ鳥取公式サイト 2013年8月12日
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 引用エラー: 無効な
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