底ぬけAIR-LINE
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(小坂和仁から転送)
底ぬけAIR-LINE(そこぬけエアライン)は、かつて日本に存在したお笑いコンビ(1997年まではお笑いトリオ)である。ホリプロコムに所属していた。2003年より、メンバー2人がテクノユニットNO BOTTOM!(現・NBR(NEW BUSHIDOU RAVERS))を結成。その後、所属事務所を離れたため、事実上解散。メンバー全員、日本映画学校中退。
メンバー
来歴
- 1992年結成。結成時のグループ名は「よにん組」。「ハ〜イどーも!」のフレーズを挟んだスピード感溢れるショートコント、初めにやった芝居が後に流れる音楽の歌詞と同じ動きをするという「あてぶり」というコントを得意としており、音楽(テクノ)を駆使したコントも披露している。
- 「ボキャブラ天国」シリーズには「タモリのsuperボキャブラ天国」内の「ヒットパレード」の頃から参加していた。元器械体操部である小島の特性を活かし大きなアクションを伴うネタを披露。その後、「家族そろってボキャブラ天国」まで参加した。キング(優勝)経験は無く、最高位は3位。キャッチフレーズは「きりもみ空中3回転」。村島の脱退後は「2回転」に変更された。
- 第1回爆笑オンエアバトル チャンピオン大会では「テクノ体操」というネタを披露したが結果は「165キロバトル」という散々な結果で、出場10組の中で9位だった。ところが特別審査員として参加していた立川談志が「元気があって面白かったよ」と評価し「審査員特別賞」を与えた。その収録後、古坂と小島は談志から食事に誘われた。
- 2003年9月からお笑い活動を休止し、テクノグループ「ノーボトム」の活動に専念した。
- ノーボトムとして音楽性を追求するため2005年10月11日にM2カンパニー(現ホリプロコム)を離れ、事実上の解散になった。
- 2005年、小島がゲーム開発プロデューサーに転向し、ノーボトムを脱退。最後のライブには村島も客として参加し、小島自身も「ノーボトムから依頼があれば引き受ける」と言った発言をしていることから、3人は現在も交流を持っていると思われる。
- 古坂は2008年9月28日のボキャブラ天国の復活特番に出演。番組内での過去の映像が流れた際、古坂以外の2人の顔の部分は「元相方」のマークで隠されていた。また、古坂は元U-turnの土田晃之とコンビを組んでネタを披露した。ちなみに土田の元相方である対馬盛浩の顔の部分も「元相方」マークで隠されていた(芸人を完全廃業し、対馬本人が公開しないことを希望したため)。
- 2008年から古坂がピン芸人としての活動を再開。「あてぶり」の新ネタなどを披露している。
過去の出演番組
- 金曜ワラッター! Mote2大放送(青森放送)
- ワラッター!SUPER(青森放送)
- 爆笑オンエアバトル 戦績11勝6敗 最高501KB
- 第1回チャンピオン大会 予選9位敗退(立川談志から審査員特別賞を授与)
- 第2回チャンピオン大会 予選8位敗退
- GAHAHAキング 爆笑王決定戦
- タモリのボキャブラ天国 出演当初のキャッチフレーズは「きりもみ空中3回転」だったが村島の脱退に伴い、「きりもみ空中2回転」に変更された。
- 火曜ワイドスペシャル(現・カスペ!)・激突 なりきりスター天下とったる歌合戦! (最優秀個人賞・小島、村島在籍時)
- 北海どん!(北海道テレビ)
- 64マリオスタジアム
- Mars TV
- UN FACTORY ソムリエ