富士急行5000形電車

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富士急行5000形電車

テンプレート:ローレル賞 富士急行5000形電車(ふじきゅうこう5000がたでんしゃ)は、富士急行の2扉セミクロスシートの電車[1]

1975年昭和50年)に3100形事故廃車補充用として、2両編成1本のみが日本車輌製造で製造された。

概要

2012年時点において富士急行が自社発注した最後の鉄道車両である。地方私鉄としては意欲的な冷房付き新造車であったことが評価され、1976年(昭和51年)度鉄道友の会ローレル賞を受賞した。形式名の「5000」は、昭和50年に登場したことに由来する。

車体

テンプレート:Double image aside 車体は、長さが19,500mm、幅が2,900mm(最大幅2,950mm)と地方私鉄としては大型で、大型の国鉄車両が乗り入れ可能な規格の富士急行線ならではの仕様である。衝突対策として高運転台構造を採用し、車体裾を絞ったスタイルとしている点も115系などの日本国有鉄道(国鉄)の新性能近郊形電車に類似するが、フロントデザインは機能本意な独自のものとなった。なお、コストダウンの見地から国鉄電車と同一の内外装部品が窓周りなどに用いられている。

客用扉は、1,300mmの両開扉を片側につき2か所備えている。座席は、扉付近にロングシート、扉間および車端にボックスシートを備えるセミクロスシートである。また、富士急行の車両として初めて、冷凍能力10,000kcal (11.6kW) の分散式冷房装置を屋根上に4基搭載している。定員128名(座席72名)。

落成当初は車内案内装置は放送装置のみであったが、のちに客室内にLCDを設置し、次駅案内や次駅周辺の観光案内などを表示している。またボックス席を1区画分つぶして清涼飲料水自動販売機が設けられた。

後に類似の車体を採用した国鉄417系電車などが登場しているが、本形式はそれらよりも扉間が窓1つ分長い。

機器

モハ5001 (M'c) とモハ5002 (Mc) がユニットを組んでおり、5001号に電動発電機空気圧縮機といった補機類を、5002号に主制御器パンタグラフを搭載している。主電動機出力は75kW、駆動装置はWNドライブ、勾配対策として抑速発電制動を装備し、手ブレーキも1両あたり2台装備している。寒冷地対策として、扉の自動/半自動切り替え機能、ドアレールヒーター、機器保温用の外部コンセント (AC100V) を備える。

台車はND-112形[2]と称し、国鉄DT21形台車と同型の枕ばねにコイルばね(オイルダンパ付き)を用いたウィングばね式ペデスタル台車であり、運転台側台車は排雪器(スノープラウ)を装備する。

運用

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2000年夏頃のカラーリング

地方私鉄の新製車としては非常に意欲的な車両であったが、3100形の事故廃車による補充であったことから1編成のみに終わり、また他の車両と連結することができないため、運用も限定されている。

塗装は登場後数度変更されている。他形式と同様の白と青を基調とした塗装で登場した後、軽微な変更がなされた。その後、富士急ハイランドのイベントや新施設開業に合わせて、『ゲゲゲの鬼太郎』や『きかんしゃトーマス』のキャラクターをあしらったデザインに変更され、特定の運用に就くことになった。また、客室の内装も、2007年(平成19年)に『きかんしゃトーマス』をあしらったデザインに変更された。

2012年(平成24年)に6000系が登場し、1000形の一部を置き換えるとしている。なお本形式の処遇については決まっていないが、公式サイトによると2013年(平成25年)4月10日 - 6月25日に重要部検査を実施した。 テンプレート:-

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会『日車の車輌史 図面集-戦後私鉄編』(鉄道史資料保存会)1998年、p.169

関連項目

他社における両開き2扉を持つセミクロスシート車両
テンプレート:富士急行の車両
  1. 国鉄・JRのキハ45系気動車や417系電車に類似する点に着目すれば近郊形となるが、私鉄のセミクロスシート車は国鉄・JRのように明確に定義することは難しく、富士急行側でもそこまで明確に何形などとは定義していない。
  2. 日本車輌製造での形式。なお、他に同社で製造された台車で別設計でありながらND-112形を称するものがインドネシア国鉄向け電車(現・KRLジャボタベックKR3-76系など)に装着されていた。本来、富士急行用台車はND-113形を称するべきものであり、ミスによる重複形式であったという。日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』(鉄道史資料保存会)2000年、p.233