北近畿タンゴ鉄道宮津線
|} 宮津線(みやづせん)は、京都府舞鶴市の西舞鶴駅から宮津市の宮津駅を経由して兵庫県豊岡市の豊岡駅に至る北近畿タンゴ鉄道の鉄道路線である。もとは日本国有鉄道(国鉄)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の路線で、1990年から北近畿タンゴ鉄道が運営している。
丹後半島の付け根を通り、日本三景の天橋立などへの観光の足となっている。
目次
路線データ
- 路線距離(営業キロ): 83.6 km
- 軌間: 1,067 mm
- 駅数: 19駅(起終点駅含む)
- 複線区間: なし(全線単線)
- 電化区間:
- 宮津 - 天橋立間電化(直流1500 V)
- 西舞鶴 - 宮津間、天橋立 - 豊岡間非電化
- 閉塞方式: 特殊自動閉塞式(電子符号照査式)
- 最高速度: 85 km/h
- 最小曲線半径: 300 m
- 最急勾配: 25 パーミル[1]
運行形態
沿線に観光地や海水浴場を数多く控えていることから、観光輸送や夏季の海水浴客輸送のために多くの優等列車が設定されている。宮福線を経由して京都駅方面と特急列車が直通運転されている。運行列車と使用車両は以下の通り。なお、舞鶴線西舞鶴経由でも京都方面との優等列車が設定されていたが、2008年3月15日のダイヤ改正で宮福線経由に変更され、西舞鶴 - 宮津間は快速・普通列車のみの運転となった。また、新大阪駅方面への直通列車は2011年3月12日のダイヤ改正で全廃された。
- 宮福線経由
- 特急「はしだて」(京都 - 福知山 - 天橋立 - 久美浜、久美浜 - 豊岡間快速列車扱い)287系電車・381系電車・KTR8000形気動車
- 特急「たんごリレー」(福知山 - 天橋立 - 豊岡、宮津 - 西舞鶴間普通列車扱いあり)KTR8000形気動車
周辺の各接続路線が電化された一方、宮津線内の電化区間は北近畿タンゴ鉄道への転換後に電化された宮津 - 天橋立間だけ(国鉄・JR時代は全線非電化)であるので、非電化区間にまたがって走る特急には自社の気動車が使用されている。
普通列車は、宮津駅、天橋立駅での特急接続を考慮したダイヤとなっていて、1 - 2時間に1本運行されている。また、観光型列車として一部の普通列車が「タンゴ悠遊号」「丹後あかまつ号」「丹後あかまつ号」として運転される。
なお、かつて運転されていた優等列車の、急行「丹波」・急行「大社」については「舞鶴線・小浜線・宮津線優等列車沿革」を、急行「丹後」については「きのさき (列車)#沿革」を参照。
車両
現用車両
自社車両
- 気動車
- KTR700形・KTR800形
- MF100形・MF200形(極稀に)
- KTR001形(臨時列車用)
- KTR8000形
JR西日本の車両
過去の車両
北近畿タンゴ鉄道移管後
自社車両はすべて現用中。
JR西日本の車両
- 電車
- 183系(宮津 - 天橋立間)
国鉄・JR西日本時代の車両
- 蒸気機関車 - 1972年10月1日で運用終了。宮津線は、京都府内の国鉄線では最後の蒸気機関車運転区間だった。
- 気動車 - 一般型車両は福知山機関区(現・JR西日本福知山運転所)所属、特急型のキハ82系・キハ181系は向日町運転所(現・JR西日本吹田総合車両所京都支所)所属。
歴史
宮津線の周辺の鉄道を敷設しようとする動きは古くからあり、特に後の宮福線にあたる福知山と結ぶ鉄道の計画は何度も繰り返されてきた。鉄道建設の運動をしていた地元の丹後鉄道急設期成同盟会では、民営による鉄道建設と運営の難しさを感じ、国による建設を訴える方向に転じた。これをうけて1918年(大正7年)の帝国議会で舞鶴(現在の西舞鶴駅)と峰山を結ぶ峰山線(みねやません)の建設予算案が通過した[2]。
当初の建設計画では、舞鶴から真壁峠を越えて志高で由良川を渡り、由良川左岸に沿って下って現行ルートに取り付くようになっていた。しかし架橋の計画を知った上流の大江地区などからは、橋が水流の障害となって引き起こされる洪水への懸念から強い反対運動が起きた。そこで再調査の結果、1921年(大正10年)7月の計画変更で、神崎村まで由良川右岸に沿って下って、河口付近で由良川を横断する現行計画に改められた[2]。
その後舞鶴側から工事が順次進められ、宮津線として網野まで1926年(大正15年)12月に開通した。さらに豊岡までも峰豊線(みねとよせん)として計画され、豊岡側からも工事が進められた結果1932年(昭和7年)8月に全通し、峰豊線は宮津線に編入された。
全通後は鉄道省 - 日本国有鉄道(国鉄)が運営をしてきたが、国鉄の経営悪化に伴い1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の規定により、特定地方交通線(第3次)に指定された。その頃、国鉄が開業させる予定で建設が進められながら、同じく国鉄再建法の規定で建設中断となっていた宮福線を引き受ける第三セクター会社として宮福鉄道が設立されることになっていたことから、地元ではこの会社に宮津線も引き受けさせて第三セクター化することとした。宮津線はその後西日本旅客鉄道を経て、宮福鉄道を改称した北近畿タンゴ鉄道が1990年4月1日から承継した。本路線を最後に、特定地方交通線の転換は終結した。
第三セクター化後、宮福線の高速化・電化事業に関連して宮津 - 天橋立間の電化が実施され、京都や大阪方面から直通の特急電車が乗り入れるようになっている。
その一方で、過疎化やマイカー化等により、普通列車等の地域交通としての役割が揺らぎ、赤字が山積してきており、特に天橋立-豊岡方面の乗客減が特に顕著なことから、北近畿タンゴ鉄道の経営主体の京都府は、兵庫県に対し、運行本数見直しや一部路線の廃止も含めた検討を始めたことが明らかとなり、地元自治体と検討会を設置し、2011年9月までに結論を出すとしていた[3]。検討会(北部地域総合公共交通検討会)は、当初予定より1年遅れて2012年9月に「中間とりまとめ」を府に提出し、この中で上下分離方式の導入や経営組織の変更、設備更新投資、ダイヤ・企画乗車券の見直しなどの提言を盛り込んだ[4]。
年表
- 1924年(大正13年)4月12日:宮津線 舞鶴(現在の西舞鶴駅) - 宮津間(15.5M≒24.94km)が開業。四所駅、東雲駅、丹後由良駅、栗田駅、宮津駅が開業[5]。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(昭和元年)12月25日:峰山 - 網野間(4.5M≒7.24km)が開業。網野駅が開業[8]。
- 1927年(昭和2年)3月7日:18時27分に発生した北丹後地震(M7.3。峰山・網野を中心に死者2925人)で舞鶴 - 網野間が不通となったが、早期に復旧し、復旧復興の物資・人員輸送を担う。8日には天橋立まで、9日には丹後山田まで、14日には網野 - 口大野間が復旧。21日全面復旧[9]。
- 1929年(昭和4年)12月15日:峰豊線 豊岡 - 久美浜間(7.4M≒11.91km)が開業。但馬三江駅、久美浜駅が開業[10]。
- 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(舞鶴 - 網野間 34.6M→55.7km、豊岡 - 久美浜間 7.4M→11.9km)。
- 1931年(昭和6年)5月25日:網野 - 丹後木津間 (5.6km) が延伸開業。丹後木津駅(現在の木津温泉駅)が開業[11]。
- 1932年(昭和7年)8月10日:丹後木津 - 久美浜間 (10.8km) が開業し全通。新規開業区間と峰豊線を合わせた舞鶴 - 豊岡間が宮津線となる。丹後神野駅が開業[12]。
- 1944年(昭和19年)
- 1月20日:舞鶴 - 四所間に高野信号場を開設。
- 4月1日:舞鶴駅を西舞鶴駅に改称。
- 1946年(昭和21年)11月21日:高野信号場廃止。
- 1957年(昭和32年)6月22日:丹後神崎駅が開業。
- 1962年(昭和37年)3月1日:甲山駅が開業。
- 1963年(昭和38年)5月25日:口大野駅を丹後大宮駅に改称。
- 1972年(昭和47年)10月1日:山陰本線綾部(舞鶴線経由)・西舞鶴 - 網野間で京都府内の国鉄線で最後の蒸気機関車運転、西舞鶴機関区(現・北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)所属の9600形蒸気機関車を使用。
- 1985年(昭和60年)3月14日:貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1990年(平成2年)
- 1992年(平成4年)1月10日:列車無線運用開始。
- 1993年(平成5年)
- 1996年(平成8年)3月16日:宮津 - 天橋立間が電化。西日本旅客鉄道の電車特急「はしだて」・「文殊」が運転開始。
- 2007年(平成19年)3月18日:「タンゴ悠遊号」が運転開始。
- 2008年(平成20年)
- 3月:円山川橋梁の架け替え工事開始。
- 3月15日:「タンゴ浪漫号」が運転開始。
- 2009年(平成21年)
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)3月12日:特急「文殊」が廃止。特急「たんごリレー」が運転開始。
- 2013年(平成25年)4月14日:「丹後あかまつ」「丹後あおまつ」運行開始[15]。
駅一覧・接続路線
- 凡例
- ●:停車、|:通過
- 普通列車:各駅に停車するため省略。
- #印は、列車交換が可能な駅。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 快速 | 特急 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
西舞鶴駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道:舞鶴線 | 京都府 | 舞鶴市 | ||
四所駅#〈四所しだれ桜公園駅〉 | 5.4 | 5.4 | |||||
東雲駅#〈安寿の里駅〉 | 3.5 | 8.9 | |||||
丹後神崎駅〈神崎海水浴場駅〉 | 3.8 | 12.7 | |||||
丹後由良駅# | 1.7 | 14.4 | 宮津市 | ||||
栗田駅# | 5.8 | 20.2 | |||||
宮津駅# | 4.5 | 24.7 | ● | ● | 北近畿タンゴ鉄道:宮福線 | ||
天橋立駅# | 4.4 | 29.1 | ● | ● | |||
岩滝口駅〈阿蘇の入江駅〉 | 3.7 | 32.8 | | | | | |||
野田川駅#(丹後山田駅)〈美心 与謝野駅〉 | 2.9 | 35.7 | ● | ● | 与謝郡与謝野町 | ||
丹後大宮駅#(口大野駅) | 7.0 | 42.7 | ● | ● | 京丹後市 | ||
峰山駅# | 5.6 | 48.3 | ● | ● | |||
網野駅# | 7.2 | 55.5 | ● | ● | |||
木津温泉駅(丹後木津駅) | 5.6 | 61.1 | ● | ● | |||
丹後神野駅# | 5.4 | 66.5 | ● | | | |||
甲山駅 | 3.2 | 69.7 | | | | | |||
久美浜駅# | 2.3 | 72.0 | ● | ● | |||
但馬三江駅〈コウノトリの郷駅〉 | 8.6 | 80.6 | | | | | 兵庫県豊岡市 | ||
豊岡駅 | 3.0 | 83.6 | ● | ● | 西日本旅客鉄道:山陰本線 |
()内は転換前もしくは開業当初の旧駅名。〈〉内は愛称駅名。
終日無人駅となっているのは四所駅・東雲駅・丹後神崎駅・岩滝口駅・甲山駅・但馬三江駅の6駅。それ以外の13駅は有人(一部時間帯無人となる駅を含む)であるが、KTR直営駅は西舞鶴駅・宮津駅・天橋立駅・豊岡駅の4駅のみで、残りの9駅は民間や観光協会に駅業務が委託されている。
過去の接続路線
- 野田川駅(丹後山田駅): 加悦鉄道
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
テンプレート:特定地方交通線テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 『三セク新線高速化の軌跡』pp.76 - 79
- ↑ 京都北部経済新聞(読売新聞舞鶴支局版より)「再建議論 廃線も視野 北近畿タンゴ鉄道」2011年2月2日。
- ↑ 第5回「北部地域総合公共交通検討会」の開催結果について 京都府ウェブサイト
- ↑ 鉄道省告示第68号「明治四十二年十月鉄道院告示第五十四号国有鉄道線路名称中山陰線ノ部舞鶴線ノ次ノ行ニ『宮津線(舞鶴宮津間)』ヲ加エ…」、同第69号「大正十三年四月十二日ヨリ宮津線舞鶴宮津間鉄道運輸営業ヲ開始ス」『官報』1924年4月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 鉄道省告示第132号、同第133号『官報』1925年7月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 鉄道省告示第208号、同第209号『官報』1925年10月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 鉄道省告示第240号、同第241号『官報』1926年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 蒲田文雄 『昭和二年北丹後地震』 古今書院、2006年。
- ↑ 鉄道省告示第260号「山陰線ノ部宮津線ノ次ノ行ニ左ノ如ク加フ 峰豊線(豊岡久美浜間)」、同第261号「昭和四年十二月十五日ヨリ峰豊線豊岡久美浜間鉄道運輸営業ヲ開始ス」『官報』1929年12月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 鉄道省告示第100号、同第101号『官報』1931年5月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 鉄道省告示第293号「山陰線ノ部宮津線ノ行中『舞鶴丹後木津間』ヲ『舞鶴豊岡間』ニ改メ峰豊線ノ行ヲ削ル」、同第294号「昭和七年八月十日ヨリ宮津線丹後木津久美浜間鉄道運輸営業ヲ開始ス」『官報』1932年8月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 『鉄道ジャーナル』通巻285号 p36
- ↑ 珍しい工法で橋梁架け替え 北近畿タンゴ鉄道テンプレート:リンク切れ - 神戸新聞、2010年4月7日。
- ↑ 北近畿タンゴ鉄道観光型リニューアル列車 「丹後あかまつ号・丹後あおまつ号」の運行開始等について - 2012年3月22日、北近畿タンゴ鉄道