宮城県宮城第一高等学校
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(宮一女高から転送)
宮城県宮城第一高等学校(みやぎけんみやぎだいいちこうとうがっこう)は、仙台市青葉区に所在する宮城県立の高等学校である。
女子校として設立されたが、2008年度(平成20年度)から男女共学となり、旧称の「宮城県第一女子高等学校」から変更された。現在の略称は、「宮一(みやいち)」。
概要
旧制の高等女学校以来の伝統を持ち、いわゆるナンバースクールの一員である。ナンバースクールの中では仙台三高と共に理数科が設置されており、2002年度(平成14年度)から4年間はスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定校となっていた。
共学化前は全国でも珍しい公立の私服女子高校であった。
全国高等学校クイズ選手権の2番目、当時女子高として初の優勝校でもある。
設置学科
理数科は宮城県内の高等学校の中では偏差値が高い上に、学区制にとらわれず全県から受験可能で、定員も少ないため、毎年入試では高い倍率となっていた。
共学化について
- 本校の男女共学化は2008年(平成20年)春に実施された。同時に単位制に変更され、名称も「宮城県宮城第一高等学校」となった。
- 校章・校歌は従来のものがそのまま使用されているが、校名については、福島女子 → 橘や安積女子 → 安積黎明などの福島の女子高の例を良しとせず、テンプレート:要出典範囲、少々の変更だけに留まった。
- 共学化前は緑色の体育ジャージを着用している生徒が多かった。共学化とともに、2008年度(平成20年度)入学生から廃止され、新しいジャージに変更された。緑の色は残されたものの、ズボンの裾がしぼられていないタイプに変更になった。
- 部活動での応援の際、自校名の通称として、旧校名からの通称の「一女」を使う。これは以前から使われてきた呼称であり、共学化となった現在でもこの呼称が使われている。
沿革
- 1897年 - 仙台市高等女学校として開校。
- 1900年 - 県移管、宮城県高等女学校と改称。
- 1919年 - 宮城県第一高等女学校と改称。
- 1948年 - 学制改革により宮城県第一女子高等学校と改称。
- 1953年 - 現在地に移転。
- 1969年 - 全校新校舎に移転。
- 1973年 - 服装自由化実施(この年より私服高校となる)。
- 1997年 - 創立100周年、理数科新設。
- 2002年 - スーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定(現在は終了)。
- 2008年 - 共学化とともに単位制に移行し、校名を宮城県宮城第一高等学校に変更。
アクセス
部活
- 陸上競技部(男〇)
- 硬式テニス部(男〇)
- ソフトテニス部(男〇)
- 新体操部
- バスケットボール部
- バドミントン部(男〇)
- 弓道部(男〇)
- 剣道部(男〇)
- 山岳部(男〇)
- バレー部
- サッカー同好会
- スキー部(男〇)
- 器械体操部
- スケート同好会
- 水泳部(男〇)
- ソフトボール部
- ハンドボール部(男〇)
- 卓球部
また、他にも多数の文化部あり。
著名な卒業生
- 松岡佑子 - ハリー・ポッターシリーズ訳者
- 黒田玲子 - 東京大学大学院工学系研究科教授
- 菅英三子 - ソプラノ歌手
- 滝島雅子 - NHKアナウンサー
- 佐藤(旧姓岡田)明子 - 元仙台放送アナウンサー
- 我妻絵美 - 中京テレビ放送アナウンサー
- 丹野麻衣子 - 北海道文化放送アナウンサー
- 八重樫葵 - 秋田放送アナウンサー
- 佐野未央子 - 漫画家
- 秋元薫 - 作詞家、歌手
- 青柳嘉代 - フリーアナウンサー
- トゥインクル - フォークデュオ
- 原阿佐緒 - 歌人
行事
- 4月 - 春季体育大会
- 5月 - 三女子校定期戦(2008年より共学化を理由に廃止。旧一女、二女、三女の3校が部活ごとに行っていた。)
- 7月 - 1・2学年夏期研修、歌合戦
- 9月 - 秋桜祭
- 10月 - 秋季体育大会